第57話 広島弁
東京では昔から女の子からはウケの良い広島弁だが、普通に話していても喧嘩していると誤解される事が多々ある。広島弁は昔は3つだったが、現在では4つに分けられていて、純粋な広島弁を言うのは限られた地域のみになってきている。
私が幼稚園の頃の一人称、つまりは自分の事を言う時は、ワシが普通だった。小学生に上がってもワシと呼ぶ、相手の事や自分の彼女の事は基本的にお前と呼ぶが、自分の事を俺とか言った日には、滅茶苦茶バカにされる。
「なんなお前? 気持ち悪いわ」とか言われるが、これも特別喧嘩口調では無い。ヤングマガジンで昔、BADBOYS(バッドボーイズ)という漫画があって、全国紙であるにも関わらず、ガッツリ広島弁しか使ってない漫画があった。個人的にはBADBOYS グレアーのほうが好きだった。最初のは暴走族の漫画で、これは殆どの人が知らないが実話である。
グレアーのほうはチーマーが出てきた時代で、薬やドラッグを中心にする奴等や、暴走族たちとの抗争を漫画にしている。これも広島弁ガッツリ使っていて、当時付き合っていた東京の彼女に見せたが、何を言っているのかも分からないと言われた。
なかなかドギツイ広島弁でしかも、喧嘩中心になると広島に住んでいる人でも分からない方言等も出て来る。
元々は昔のヤクザ映画の「仁義なき戦い」の主人公のモデルになった人が呉という町に住んでいた。港もあり荒い連中が多く、犯罪も平気でするような奴等は多い。呉は喧嘩っぱやいのが多いので、広島市内の奴等はあまり呉には来なかった。
今は、広島市内、呉、福山、東広島この4つに分かれているが、福山はわりと温厚な人が多い。広島と言っても端っこのほうだからか、柔らかい言葉を使う。
東広島は空港が出来てから元々平地も多く、土地は多かったため、現在では福山と同じくらい栄えている。
呉はヤバい。私は呉のしかも田舎じゃないほうだから荒い言葉には慣れている。昔、東京から長期休暇をもらって、呉に帰ると皆が私に驚いた顏で、
「どしたん?」と苦笑いしながら聞いて来た。「いや、俺とか使うん?」と聞かれて困ったが、昔の自分は確かに喧嘩はよくしていた。そのギャップもあってもか、皆に笑われた。20歳を過ぎた頃、中学時代の同級生で飲みに行ったら、当時の自分は実は目を合わせるのも怖かったと言われた。「いやいや、普通にはなしとったやん?」と聞くと「当時は殺されるかと何度も思った」と告白してきた。
それと同時に、そいつはキムと呼ばれていたのだが、私は結構だるいと思ったら帰ったりしていた。教室に入ると二クラスの男どもがいなかったので、体育かと分かって、ジャージに着替えて体育館に行くと、人だかりが出来ていた。割って中に入ると、喧嘩など一度もした事もないキムが、喧嘩っぱやいクソ野郎にいきなり一発頬を殴った。が、何が原因かは今でも知らないが
殴られた奴が、どうやら悪く無い様子で、「土下座せぇや」と言った。
私は内心、「おいおいマジか? こんな人数がいて誰も何もせんのか?」と思って、キムが片膝を床につけた瞬間に腕を掴んで引っ張り上げて群衆の中から連れ出した。キムはあの時は本当に助かったと話したが、私は軽く流した。キムが殴った奴も嫌いだったし、あの状況で友達に土下座なんかさせる訳にはいかないと思っていたのに、実は私のほうが怖かったと言われた。
私の中学は悪い連中が大勢いた最後の世代でもあった。警察の護送用の金網が窓についたトラックが来たりして、捕まったりしていた。
基本的に男のタイプは4つに別れる。まず一番多いのが約半数の男子は盗みをしていた。こいつらは盗み専門で喧嘩等は一切しない連中だった。次に多いのが弱小オタク軍団。喧嘩にもならない為、静かにひっそりと楽しんでいた。そして次が喧嘩メインの奴等で、私もここの部類に入っていた。中には盗みもする奴等も多かったが、盗みメインの奴等に比べれば可愛いものだった。最後は真面目な奴等で、今思えば気の毒だったなとしか思えない。私は虐めはしなかったが、よくからかわれていた。
学校の近くにある店に入ると何故か店員が近くにいて、普通に買い物をしたのだが、友達に聞くと皆が盗むからよと教えてくれた。この盗みのグループの中でも最悪な奴等が調子に乗って出始めた。店に入って店員が居ようともお構いなしに盗み上げて、あげくにはレジのお金まで取る奴等が出だした。
私は最初それを知らなくて、小学生時代よく行っていた駄菓子屋の店が、中学校までの行く途中にあったのだが、店が数日閉まっていて、何かあったのかと聞いた。「アイツらが最近、店を潰す気か分からんが、ありゃあ盗みじゃない。強盗レベルよ。あの店もあいつ等が店に行って、おじさんがいる目の前で何もかも盗んだけぇ辞めたんじゃろ」私はそれを聞いて更に聞いてみた。「中一の頃、よー行きよーたあの飯も食える店も、外に保管しとるジュースやら何もかも根こそぎ盗んで、レジの金まで手―だしとるみたいなよ」
「ホンマか? そりゃあやり過ぎじゃろ。ワシはよーあの駄菓子屋行きよーたけ、許せんの」私はそいつらの溜まり場に行った。
「お前ら、あそこ潰したらしぃの? ワシはよー行きよーたのに、あんまやりすぎるなよ? ワレらぶち殺すぞ」そう言ってからは荒い事はしなくなった。しかし、店のおじさんはやる気が失せたのか、そのまま潰れた。
呉はとにかく犯罪率も高くて、一時期はあのサカキバラ事件の犯人も住んでいたが、特別ビビる奴等もいなかったが、野良猫が一切居なくなって、さすがに話が出て来てから、よそへ移動した。
ヤクザ相手でも平気で殴るような奴等も多かった。私の長年コンビを組んでいた奴も、一時、本当に中国マフィアの手先をやらされる寸前まで行っていた。サウナにその中国マフィアと入ると首から下全部に入れ墨が入っていたと話していたり、朝、私を現場が同じなので迎えに来ると、顔面がもうボクシング状態で腫れあがっていた。私は車に乗って大爆笑しながら訳を聞くと、昨日、相方が入っているとび職の会社の飲み会があったらしく、腕相撲で負けた奴が払うシステムらしく、相方は腕相撲には自信があったが負けた。8万くらい払って、社長が酔っていて「送りましょうか? 危ないですよ」と言うと、「タクシーがあそこにおるけぇ、大丈夫よ」と言ったがタクシー等一台も無いので不思議に思って見ていたら、ちょっとだけイキがってるようなチンピラの所に行って、「おい、どこどこまで送れーや」と社長は言った。相手は当然、チンピラのような奴等で、まさか絡まれるなんて夢にも思っておらず、困惑していた。
また相方の会社の連中は酔ったらタチが悪い。私の相方を社長は呼び寄せると「殴れ」とだけ言った。相方はガタイは良いが、喧嘩ッぱやくは無い。面識も無い相手を殴れずにいたら、兄貴分の〇〇君が来て「オヤジ。ワシに任せてください」そう言うと、相方をボコボコにしたらしく、そういう事情でこうなったと話した。以前、給料が三カ月ほど出なかった時、暮らしていけないんでという感じで、社長の家に話に行ったら、日本刀を持って来て刀を抜くと首に当てて「文句あるんか?」と言われたらしく、堪え切れない様子を見せていた。人間的には悪い奴じゃなかったので、親会社に拾ってもらいそっちに移ったと聞いたが、まあ、こんな話は山ほどある。
私は飲みに行く時は一人で行くが、店長も店員も大爆笑しながら話題が尽きないとよく言われた。
私的には宮島がお勧めです。和やかな雰囲気で鹿も沢山います。希にですが、夜など散歩していたら鹿のボスに出会うこともしばしばあります。
基本的に危険なので角は切られていますが、自然の森の中には立派な角を持つ鹿をたまに見かけたりしていました。
若い時はこれくらいは経験しておけば、パニックになる事はありません。
これらは全てノンフィクションのお話です。
たまたま吉川晃司の広島弁がカッコいいとネットニュースにあったので、
書いてみました。吉川晃司は広島市内の人ですので、広島弁も優しい感じで
東京の人には丁度いいのかなと思います。
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