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第52話 思い出せない想い出

誰しもがあるものだと私は思う。思い出せない想い出や、思い出したく無い想い出が幾つかはあるはずだ。私がそれらを思い出す時は音楽を聴いている時が多い。音楽は音と詩の融合であるため、普段は使わない言葉の組み合わせ等が使われる事が多い。詩とはそういうものだからだ。

だからこそ、忘れていた記憶が蘇る事が多々ある。それらが良い想い出か、思い出したく無い想い出かは、その瞬間に決まる。自分の意識に触れる速度が考えるよりも速いからだろうと私は思う。

しかし、良い想い出でも、悪い思い出でも、それを左右するのは現実だ。
現実が上手くいっていれば、それらはただの懐かしい想い出に過ぎない。

それらの全てが想い出になる頃には、華麗に生きた桜のように冷たく散る。
儚《はかな》く散るものもいれば、運悪く、開花もせずに落ちる命もある。
人生に満足している人ほど、命の意味を知っているのだと私は思う。

アインシュタインの最後もその1つだ。死ぬ一日前に手術を断ったと歴史には書かれている。これは本当の事だろうと、彼を知れば知る程、その想いが伝わって来る。自分の命が線香花火のように、あとは落ちるだけだと知っていたかのように、手術を断った。ある程度まで人間の臓器が悪くなると、医者よりも自分のほうが、手に取るように分かる。

それは良い事なのか、あまり良く無い事なのかは分からないが、分かってしまうのだ。自分が近いうちに死ぬとアインシュタインは分かっていたから、手術を断ったのだと私は思う。何故なら高齢での手術は、体が耐えられない場合が多く、死の危険性も高いからだ。それは文明が進んだ今でも変わらない。高齢者に手術を勧めないのは、その為でもある。人間である限りミスもあるが、医者は医療ミスを認めず、多くは示談で終わる。

死んだ人の遺族や、手術を担当した医者たちは示談で終わるが、死んだ人がそれでは浮かばれない。まるで命を金で換算したように終わり、金はいつかは尽きるが、罪悪感を感じる人間ならば、一生、己を罰し続けるだろう。
しかし、金が尽きない限りは、思い出しもしない。何事も無かったかのように過ごすだけだ。

私はそれを自分の目で見て来た。祖母が死ぬまでは一切、祖母の家にあるものには手を出さなかったが、死んだらすぐに襲い掛かるように、祖母の家のあらゆる場所を調べ上げた。家は非常に広く、家の中にも表と裏にそれぞれ庭があり、池には鯉が泳ぎ、その上には茶室もあった。家の中にも大きな蔵があり、親族たちはあらゆるものを笑顔で持ち帰っていた。

誰一人として葬式の前夜に、亡くなった祖母のいる部屋では寝ないと言い、
私は一人でそこで寝た。金持ちで、もう高齢でありながらも、平然と物色していたのは息子たちや娘たちであり、孫にあたる私の従妹たちも、取るものは取るが、死んでしまえば他人のように振る舞う姿を見てきて、これが真実だと感じた。同時にこんな奴等のようには絶対にならないと、心に誓った。

私にとって祖母は今でも大切な存在であり、祖父は私が幼稚園児の頃に死んだのは覚えている。生前は癌で床につき、死んで火葬場で骨を拾った事を覚えている程度だ。祖母は名家の出身だった。故に再婚できる年齢であったが、そんな話も出なかった。

あんなに広い家で独りで住むのは孤独しか感じなかったはずなのに、小さな農園を作り、野菜作りを始めたりしていた。あの頃はその意味は大きなミカン畑もあったし、野菜も始めたのかと思う程度であったが、今なら分かる。寂しさを少しでも軽減する為だったのだろうと。

世の中で名家と言えば聞こえはいいが、実際は大変な事しかない。祖母の妹は死ぬまで未婚で、お金には不自由しなかった為、一度も働く事も無く、金にも執着心を抱かず、90坪ほどの駐車場があったが、貸してはいたが、お金を受け取るくらいなら要らない程の人嫌いでもあった。その為、殆どただで貸していた。二人とも名門の学校を出て、姉は私の祖父の妻となったが、何かの理由で喧嘩をしてからは、死ぬまで一度も会う事無く終わった。

私はそれを見て、本来なら「それでいいの?」と聞きたかったが、喧嘩の理由ももう今となっては知る者は誰もいない。ひと時の金持ちなどいくらでもいる。しかし、桁が違うと自由を世間から奪われる。私も長い間、そうだったからよく分かる。生まれた時からレールが敷かれている道をただただ亡霊のように進むだけだった。

今、それを思い出しても気にならないのは、幾つかの理由があるのだろう。
だが、深くは考えず、想い出は想い出として心の中にしまっておけばいい。

過去に囚われず、想い出に少しだけ浸る程度が、一番良い想い出となる。

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