手塚治虫
“医者は生活の安定を約束していた。
しかし、僕は画が描きたかったのだ”
この言葉を見て、
違和感を覚える人もいるだろう。
そう、彼は医師の資格も持っていたが、
漫画家の道を選んだのだ。
彼は夢を追った。当然安定など
求められない世界であった。
だが、人生は一度しかない。
夢があるなら追いかけるべきだと私も思う。
手塚治虫は成功したが、
挑戦して失敗する人の方が遥かに勝る。
しかし、失敗したからといって
後悔してはいけない。
後悔するかもしれないと思う程度であれば、
安定職につくべきだ。
まさに、命懸けで挑戦する心が無い限り、
夢は夢として終わらせたほうがいいと
私は思っている。
大きな夢とは、何が起ころうとも
諦めないエネルギーが必要になるからだ。
小さな夢に分けて進むのも良い。
それだと着実に自分の夢に近づいている
事も自分自身の成長も、認識できるからだ。
夢を追う形は、自分の人生の中にある一駅
一駅の連続が夢を追う形を変えながら
追うものだと私は思う。
仮に漫画家になったとしても、そこは
大きな駅であって終着駅では無い。
そこはまた最初の駅になるだけだ。
ただ、それまで築いてきた人生よりも
厳しくなるのか、優しくなるのかは、
運もあるが、基本的には本人の心掛け
次第だと思う。
手塚治虫もまさしくその駅を通過した
人物だった。
漫画の世界を築いた一人である事は
間違いない。
多くの人に愛され、幾つもの漫画を
世に生まれさせた偉大なる人である。
彼は安定した生活よりも、夢を追った。
そしてその夢を実現させた。
彼が最初の漫画を描いたのは、
小学三年生の時だった。
それ以前から見よう見まねで
絵は書いていた。
彼は引っ越した理由などから
あまり友人は多くは無かった。
しかし、この漫画をきっかけとして
多くの友人を作る事になった。
彼を虐めていた子供も、彼の漫画を
読み始めてからは、虐めなくなり、
誕生日などの日には多くの友人たちに
祝ってもらっていた。
この時期に親しくなった友人の影響を受け、
その友人が興味を示していた昆虫や科学、
天文学などに友人に誘発された。
手塚家の邸宅の広い庭は、昆虫の宝庫であり、
また周囲の田園地帯にも虫が豊富にいて、
昆虫採集には最適の環境だったことから、
趣味に対し深みをもたせた。
同級生の石原実から借りた平山修次郎
『原色千種昆蟲図譜』を読み、昆虫の
オサムシの存在を知り、それにちなんで、
この時期からペンネームとして、
「手塚治虫」を使い始めた。
1950年ごろまでは、「治虫」はそのまま
「おさむし」と読んでいた。
これこそまさに夢を追う子供の姿で
あると私は思った。
こうして書きながら、現代の子供と
見比べてみると、明らかに違いが見える。
1945年、戦時中であったが家にこもって
ひたすら漫画を書き続けていた。
この際に、恐らくは戦時中であった事もあり、
医学部へ合格した。
国家試験の勉学中にも、「鉄腕アトム」や
「ジャングル大帝」等も連載しながら
合格した。
戦後も彼の漫画に対する情熱は増すばかりで、
書き溜めしていたものを次々と仕上げていき、
彼は医師では無く、漫画家の道を選んだ。
こうして、現代までの道のりを開いた偉大なる
漫画家の一人として、彼の作品はカバーされて
出される事もあった。
彼は第二次世界大戦末期の、1944年夏には
体の弱い者が集められる強制修練所に入れられた。
彼の体は弱い部類に分けられたが、
勇気はあった事は事実である。
勿論、勇気だけでは無い。誰にも消せない漫画に
対する情熱が彼の原動力となって数々の漫画は
生まれることになった。
物事は、一見しただけでは分からない事を
彼の人生を見ればそう思わずにはいられない。
評論家たちなどは後付けで物事に対して
意見を言うが、それは知識と多少の賢さがあれば
誰にでもできる事だ。
夢は未来だ。未来は当然、誰にも分からない。
その分からない世界へ飛び込むのはとても
勇気が必要となる。
後から誰かが続いてくれる訳でも無く、
一人で自分との戦いとも言える未来へ大きく
羽ばたいた。
我々は戦後、アメリカの定めた法律によって
精神的に弱くなったという意見もあるが、
それが全てでは無いはずだ。
現在の我々の生活よりも、もっと苦しい時代
であっても夢を追い続けた事は立派だと思う。
今の日本人には心の何かが欠けてしまって
いるように思えてならない。
現在、円安、物価上昇が激しさを
増してきている。
全てとは言わないが多くの業界が苦しい
思いをしている。
これはもう避ける事は出来ないことだ。
だからといって、心まで捨ててしまうような
軽犯罪や重犯罪が日々起こるように
なり始めた。
これはまだ序の口と言える程度だと私は
思っている。これからが本当に大変になる。
最近は警官の動きも激しくなった。
そこから発生するお金は実用的に使う
ためだろう。
映画のソードフィッシュの話に出て来た
あれはアメリカの銀行の話ではあるが、
実は日本にも相続者がいなかったお金が
銀行にある。
これまで何度かそのお金を流用するべきだと
話し合いがなされたが、未だにそのお金は
使われていない。
このまま円安が進めば、その資産は今よりも
ぐっと価値がなくなる。
円安が止められないのであれば、
今こそ使うべきだろう。
しかし、これほどまでの状況になっても
その話は浮かんで来ない。
一体どうするつもりなのかと思う日々が
確実に増えた。
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