革命に始まり革命に終わったオノーレ・ミラボー
“短い不在は恋を活気づけるが、長い不在は恋をほろぼす”
彼はフランス革命初期の中心的指導者
として活躍した人物である。
フランス革命を簡単に説明すると、
アメリカの独立戦争のようなもので、
身分差別のあったものを変革させる
ことを指す。
実際、現代に於いても世界にはそういう
世界は存在する。
しかし、現代に於いてはそこに介入する
事は難しいので独裁政権等は続いている。
北朝鮮等は危険な思想を持っているので、
誰もが知るところにあるが、もっと酷い
独裁政権の国等は幾つも存在する。
まずフランス革命を簡単ではあるが説明
したのには理由がある。
オノーレ・ミラボーは革命家として、
国民から絶大な人気を誇っていたが、
恋に関する事はほとんど無い。
記述にあまり無いだけで、恋をしていた
可能性も完全には否定できない所もある。
あるとすれば、やはり絶大なる人気があった
ので、恋の1つや2つあっても不思議では
無いのだが、彼は革命家として名を馳せた
事から、恋の言葉を残した可能性は低いもの
だと思われる。
つまりはこの言葉は比喩であると言える。
その辺りも含める事となるので、彼の末路を
まずは話す。
力強い能弁と、その魅力的な庶民性に
重きを置いた国民に、絶大的な人気があった。
しかし、絶頂期とも言える程の力があった時、
突如として42歳で病死し、死後にルイ16世と
交わした書簡と、多額の賄賂の存在が暴露されて、
名声は地に落ちることになった。
人生は最後の最期まで、その人物がどういう人間で
あったかは実際、分からない。
彼はその代表的な存在と言える。
結局のところ、お金に弱く、支持する民衆を騙して
登り詰めた人間だった。
そんな人物であっても、詐欺師のように言葉を巧みに
扱い、騙していたとは言え、民衆の心を掴んだ事は
事実である。
そういった観点から見れば、
“短い不在は恋を活気づけるが、長い不在は恋をほろぼす”
と言う言葉には含みがあると言える。
そのままの言葉で受け取る事も出来るが、
彼が生きた時代は1749年から1791年であるので、
歴史から言葉を拾った可能性もある。
実際、似たような言葉はあるからだ。
しかし、ルイ16世と交流を持ち、
オノーレの持つ、強力な王制護持論者の死によって、
有名な話ではあるが、
ルイ16世であったマリー・アントワネットは
ギロチンによる処刑により、人生の幕を閉じた。
これにより、長年続いた
ブルボン王政の終焉に繋がった。
オノーレの言葉にある、
恋とは何を指すものであるかが鍵になる。
まず第一に彼は暗殺されて死んだものでは
無いと言えるほどであった。
オノーレの存在は、国民にとっても大事であり、
裏では王室にとっても制限君主制との繋がりが
あったので、王室が暗殺する事は無かった。
ただ、制限君主制の中では対立派はいた。
制限君主制とは、日本もそう言えるのか?
イギリスもそうであるが、要するに君主には
政治に関する権限は無いもので、あくまでも
君主という一番高い位にはいるが、形式的な
ものである制度の事を、制限君主制、立憲君主制
と呼ばれている。
オノーレの言葉は恋に関するものでは無いと
私は考えている。恋はあくまでも何かの例えで
あって、自分の人生を例えていた可能性も高い。
裏では賄賂を受け取りつつ、表では大言を発して
国民の支持を得ていたような事は長続きしない、
という理由だったのかどうかは不明ではあるが、
彼を何と言えばいいのかは悩む。
彼がいたからこそ時代は動いたのは確かな事で、
ある以上、ただの詐欺師と呼ぶには値しない人物
である。
大抵の人間はお金に弱い。それは認めざるを得ない。
だからそこだけを見て、彼を判断するのは間違いだと
言える。
誰もが弱い事を攻めるのは間違いであるからだ。
秦がまだ天下を狙い始めた頃、丞相に任命された李斯
は、実に誠実で、気難しい王であった政に天下取りの
一角を担った人物だった。
しかし、秦が天下統一して間もなく、政は死に、
宦官の趙高の甘言によって国を裏切る事となり、
最後には趙高の罠にかかり処刑された。
李斯の評価は実に難しいものである。
オノーレもまた同様に簡単には、人物評価が
出来ない人間だと言える。
彼はフランス革命初期の中心的指導者
として活躍した人物で、新時代の幕開けに
彼の思いとは別に、時代の変革に死を以て
関わった。
こういった人物を評価する事は実に
難しい。
例えば、今、ダウンタウンの松本さんが
責められているが、私からすれば無関係な
人なので、個人的な意見はほぼ無い。
ただ、ケチ過ぎる事に関しては情けないと
思う。後は結婚しているので浮気に値する
行為は実に愚かでしかないと言える。
特に高齢での結婚であった事も大きな
問題点と言える。
しかし、別に私にとってはどうでもいい事で
しかない。私の人生が左右される訳でも無いし、
特別好きな芸能人でも無いし、笑いを提供して
いる人であるという認識しかない。
彼に関わる仕事上の人たちには迷惑をかけた。
その人たちが文句を言うのは自然である。
しかし、全く関わりの無い人が言うべき事では
無いと言える。彼が身を退こうが退くまいが、
時代は進んでいく。
代理的な人物がいなければ、確かにテレビ業界
的にはダメージになると言えるだろう。
特に現在では国民によるテレビ離れも目立つので、
痛いとは思うが、正論を以て決断すべきであると
は思っている。
まあ、私にとってはその程度でしかない。
だから今、考えただけであって、今までは
考えた事も無かった。
そんな時間は惜しむべきものでしかない
からだ。
“短い不在は恋を活気づけるが、長い不在は恋をほろぼす”
話を戻すが、やはり彼は自分の人生を見立てて
この言葉を残したのだと思う。
短い不正は自分自身を活気づけるが、
長い不正は自分自身の心と身を滅ぼす。
短くまとめるとこんな感じになると思われる。
この言葉なら彼に合った言葉だと言えるだろう。
ただ、偉人の多くを知ってきて言える事はある。
仮に悪い最後を迎えたとしても、悪人と決めつける
のは早計である事だけは確かだ。
長い人生で誰もがミスを犯すのは
絶対的なものでしかないからだ。
自分を戒める人は成長していくが、
同じ過ちを繰り返す人に幸せは来ない。
同種である人間だからこそ、それは理解できる。
友人や恋する女性等に見限られていくのは
仕方のないことだ。
自分がそれだけの事をしたのだと、自ら認める
べきであって、乗り越えなければならない壁とも
言える。
人に対して文句を言う奴ほど、自分自身の事を
分かっていない人は大勢いる。
李斯の人生も、一度のミスで全てを失った。
それを考えると、人をそれほど責めれなくなる
はずだ。
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