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今現在での人生哲学への答え

2022年10月3日、今現在の私が熟慮した人生哲学の悟りは見えた。

あくまでも見えただけであって、これを超えねばならないが、気づけただけでも、何年もかかった。ようやく見つけた。だが、勝負はこれからだ。

無数の人の哲学理論や数学者の理論、スポーツ選手の体験からの答え、
科学者の後悔と人生と生き様、物理学者の物理学に例えていう真理。

哲学の答えは1つじゃない。自分自身との戦いでもある。
神の存在を如何にして証明するのか? 人生の全てには哲学がある。

人の考えも1つの事に対して複数ある。どれが正解かなんて分からない。
少数ではあるが、物理学者や科学者は、高度な数式により答えを出した人もいる。それはあくまでも、その人の人生であった事であるだけで、哲学云々では無い。

私は『頑張れ』という言葉を何度見たか分からないほど見た。その度に考えてきた。『頑張れ』この言葉だけでは、誰でも言えるし、意味も理解している。それなのに何故、世界中の才能ある人達全員が『頑張れ』と強く言っている。

私はそれに当然の如く、不思議に思った。普通の人が読んでもあっさり過ぎ去る言葉である。昔の私もそうであった。『頑張れ』なんて当たり前の事であって、今更言うべき事なのか? と何度も何度も何度も考えた。

が、答えが出ないまま、このnoteを始めた。『頑張れ』と言う言葉に押しつぶされそうになるほど、その言葉は見て来た。そして改めて考えてみた。

この人生哲学に於いて、『人生と頑張れ』はセットになっている。
しかし、頑張れなんて当たり前の事だが、と考えてみた。

当たり前の言葉である頑張れの言葉を深く追求してみて、その言葉は今も言われ続けている。松岡修造が言うなら分かるが、イチローまでもが念を押すほどに『頑張れ』と言う。

つまりは頑張れの先があるのだと、私は解釈した。頑張れの先にあるのは何か? 先に行っても頑張るしかないこの世界で、頑張れという意味は諦めるな。と言う意味になる。しかし、諦めるなとはあまり書かれてない。

そのような言葉でさえも忘れて、ただ只管、頑張れと言う意味だとようやく
理解した。彼らの言う『頑張れ』はひたむきに頑張るという意味であって、
諦めるとか難しいなどと言うワードでさえも思い浮かべずに、頑張りぬけ!と言っている。

私が何故気づけたのかと言うと、哲学は色々知ってはいるので、私にとっては休息の場で書き始めた。
本当に書きたい物は長編異世界アクションファンタジー小説を書いているのだが、哲学の事は頭にある事を書いているだけなので、サラッと書けるが、
よく読んでくれている。

問題は本編のほうで、私は漫画や映画などで矛盾するのが嫌いだ。
大好きな漫画のハンターハンターの後書きで富樫氏が書かれていたが、
どちらが勝つかは富樫氏にも分からないまま戦わせた。

私が思うに、ヒソカとクロロの能力を全開で使わせたらどうなるのか?
と思いながら描いたのだと私は思う。

問題は、ヒソカがあまりにも魅力的なキャラクターではあるが、生き返った事だけは納得いかないところである。

私はそのような矛盾点を無くして富樫氏のように、大まかなストーリーは頭の中に入っている。
メモとして残しているのは、国別のキャラクターの名前、能力名、詳しい能力説明と登場する国々と天使と悪魔たち等説明だけで、100万文字程度は書いている。
私は一時期、神の領域に踏み込んだことがある。神の存在証明とはまた違う方向から神話や伝説の類を色々見た。多くの神話のキャラクターたちを何とかして矛盾は出来る限り無くして、登場させるにはどうすればよいのかを考えた。当時は小説の事は考えても無かった。

ただ神話や伝説がどうやって生まれたのかを、哲学理論から考えてみた。
当然、存在に至るにはどうすれば、と言うより、どのようにして生まれたのかを真剣に考えた。ドラゴンもその中の一つであった。仮に本当にいたとしたら、何故その証拠というか骨や何かしらのモノが無いのかを考えてみた。

天使と悪魔の争いは度々起きてはいたが、それと絡むことが少なく、一体どこにいったんだろうかと考えてみた。海の世界なら人間にとって未知の領域でもある為、特に深海などではどのような生物がいるのかは分からないに等しい。仮に潜れたと仮定しても、出合う確率は低いからだ。海ならそういった意味ではクラーケンや神が創造したリヴァイアサンも居ないとは証明できない。神典によるとリヴァイアサンは最初、牡と雌を創造したが、あまりの強さに手に負えなくなる事を考慮して、神は牡を殺して雌だけにしたと書かれていた。リヴァイアサンの雌が深海に存在するのかどうかは誰にも分からない。

神話も哲学的な思考から真剣に考えると面白いものなのだ。ただ浅く考えては面白くない。真剣に納得のいく答えが出るまでは只管考えることが大事である。他にもベヒモスは地上最強として神が創造した。私は神と悪魔が存在するという前提で物語を書いてみようと思ったのは、リヴァイアサンやベヒモスのような強い生命体だけでなく、神話にはペガサスや一角獣とも呼ばれるユニコーン、そして、それらを考えるようになったきっかけは、

自分の見て来た世界、つまりは近年の歴史にあった。人は勝手にあれこれたかが500年ほど前の事を色々書いているが、私は財閥に生まれ、散々見て来た。嘘の歴史を現実に、この目で見て来た。誰もが映画のようだと言う世界の裏側という真実を見過ぎた。現代でさえ分からない事だらけなのに、昔の事等、本当の事を書いているかもしれないが、それはその人目線からの書であり、視点が変わるだけで、正義から悪に変わることなんてざらにある。

恋人と喧嘩してお互いが友人に話せば、まともな意見をくれる友人など殆どいないのが現実だ。昔から言われているが、勝者こそが歴史なのだ。勝った者なら歴史というかその世界を自由気ままに書き残せる。

私の父は癌で死んだが、癌になってから、私の一族の本を書き残そうと金など腐るほどある叔父の1人が言ってきた。祖父も本を出していた。いいように書かれる歴史を見てきて、今笑いが出る。

まずは現実を知る所から始めたほうがいい。私は産まれていなかったが、40年ほど前は現金だけで1兆円あった。これは幾人もが言っていたので本当であろう。ヤマトの設計をした叔父とは、一緒に酒を飲んで色々話を聞いた。

ケネディ暗殺の真相を公開すると言っていたが、先延ばしにされ、更に先延ばしにされたままで現在を迎えている。つまりは世間も納得するような理論的見地から見ても、不都合の無い偽りの歴史を作ろうとしているのであろうと私は思う。

ただケネディ暗殺は証明する事が非常に難しく、当初捕まった犯人は犯行不可能な位置にいた。つまりは別に犯人がいる訳になるが、確か3方向だったか、1方向だけから撃たれた訳では無かった。しかしそれはそれほど重要では無いのだ。ここまで引き延ばすと言う事は、身内か犯人としては不味い相手かになってくる。当初、公開予定日が決まった理由は、その事件に関わる人達が全て死んでいるであろう年数から決められたものだった。しかし公開を引き延ばした。それも2回も引き延ばしたと言う事は、犯人であってはいけない人が犯人と言う事になる。経済界を破綻させるほどの事か、何かは分からないが、通常に考えただけでは決して答えは出ない人が関わったと言う事になる。

話はそれてしまったが、このように歴史には不可解な事が多すぎる。神話や伝説が始まりなのか、それとも現実なのかは誰にも解明出来ない。しかし、それが嘘とも証明は出来ない。

私は多くの神々を見たが、書くのなら神は絶対神にしようと決めた。
単純に自分が神ならばと考えたら、絶対に人間には関わらないだろうと思った。関わったら世界が変わってしまうし、問題も起きすぎるからだ。

神話の面白い所は、本当にあったかのように書かれている点だ。近年見つかったものなどとは比べ物にならないほど合理的な事が書かれている。

例えば、アダムとイヴの話でも、神はアダムを土から創り、アダムの肋骨からイブを創った。二人は裸のままでいたが、蛇に騙されたイヴは禁断の実である果実とここではしておこう。知識の実を食べて裸である事の恥ずかしさからイチジクの葉で隠した。この事から智慧の実はイチジクの実だったのだろうかとも話し合われた。その後、アダムとイヴは地上に堕とされたのだが、ここで話の面白みが出て来る。アダムは地上に堕とされてから約千年生きたが、イヴに関しての記述は私が調べてみたがはっきりとは記されて無い。

そこでエデンの園の事に話は行くが、神は命の実を守らせる為に第二位の高位の天使に炎の剣を持たせて守らせた。ここから推測されるのは、アダムは命の実を食べたから地上に落ちても千年生きたのか、イヴの記述が無いのは命の実を食べて永遠の命を得たイヴが、神を恐れて隠れたかになってくる。

アダムの死後、血縁関係者たちは徐々に寿命が短くなり、現代に至っている。私は独自に色々な理論を書き、理論的に証明を試みたが、神話のほうがはっきり言ってしっかりと矛盾無く書かれている。

信長が逃げたなどのような話とは訳が違う。近年の歴史学者たちは非常に愚かだと私はよく思う。何故なら性格や人格などを無視して、ああだこうだと言っているだけであって、原点を見ていない。仮に信長が生きていたとしたら、正妻の濃姫も逃げたはずだが、濃姫と明智光秀は知った中であり、親類でもある。記述に残されているのは、「老女 濃」とだけ書かれていた気がする。これは死者のリストにあったものだとされている。

皆は忘れがちであるが、明智光秀は優秀な人間であった。一説には謀反を起こしたのは紫桔梗の旗印だと聞いて、信長は諦めたとも書かれている。織田家の四天王の中で、一番新しい配下は明智光秀だった。この事からも優秀な人材である事は間違いの無い事実だ。性格的な面に関して、反りがあまり合わなかったのは事実だろう。新参者と言う程では無いが、一番信長の性格を理解出来て無かったのは、明智光秀だとはハッキリ言えることだ。その点から見れば謀反を起こしたのは事実だとしても、信長も非常に優秀であった為、明智光秀は間違いなく万全の構えで本能寺に乗り込んだはずであり、逃げる事は不可能に近かったと考えられる。

濃姫も恐らくは死んだ。森蘭丸もそうだが、信長1人で逃げようなどとは思わない人間だった。信長は濃姫に対して、投降するよう勧めたとある。親類でもある濃姫を殺すはずは無いと言っていた事も恐らく事実だろう。

しかし、地下の逃げ道とかどっから湧いたのか分からない話はとてもじゃないが、信じ難い。仮にそのようなものがあったとしよう。それなら何故、その事前に問題が起きた明智光秀を、近くに置くような愚かな真似をする信長では無い。信長の賢さは桁違いだった。明智光秀が織田家に足利の上洛を頼みに来た時、明智光秀は朝倉家を見限り、織田家に来た。会話は少しだけだったが、信長は明智の才能を直ぐに見抜き、光秀の想像していた石高の倍近くで、明智光秀は配下になった。

優秀な者は、優秀な者を直ぐに見抜ける。それは会話は少なくても内容次第で直ぐに分かるものだ。

話はそれまくったが、私は矛盾点を限りなくゼロにして、長編を書くと決めた。長編になる理由はそれだけ内容が濃くなるからだ。

そう、『頑張れ』の真の意味は、本当に命懸けの精神を以て、誰に何か言われようが、誰にも見向きもされなくても、自分自身で『頑張る』と決めたら
失敗など恐れず、ひらすら頑張れという意味なのだ。

この意味が解ったとしても、諦めると分かっていない事になる。
私は2日前にようやく理解できた。

簡単すぎるワードに対して、天才と言われたアインシュタインも言っているだけではなく、各界の著名人たちが皆言っている事から私は迷路に入った。
抜け出せない迷路のように真の意味は、迷路から出る事も頑張れと言うように、この『頑張れ』の精神論を本当に理解できた私は書き続ける事に決めた。ベルに赤いマークがあっても「はいはい、なんのメダルですか?」と負けない精神を身に着けた。こうなれば怖いものなしだと言う事も理解できる。彼らはそう、確かに実行している。

アインシュタインの事を他でも書いたが、彼は入院しても助手に道具を持ってこさせて理論を証明する為に書き続けた。2日目に手術を断り、証明論を書き続けた。そして3日目に死んだ。本当に頑張ったと鳥肌が立つほどまで彼は『頑張った』と言える。命を削ってでも頑張る精神があったから彼は頑張れた。この精神まではまだまだ遠い道のりだが、私は非常に感銘を受けた。彼の生き様は男としても、人間としてもカッコ良すぎる。

だから私もまだまだヘナチョコだが、頑張り続ける覚悟を決めた。

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