第55話 インファナル・アフェアⅢより
この映画は三部作で構成されており、一作目で彼らの生き様を描いており、二作目で彼らの過去を振り返っていて、三作目に終結に相応しい作品になっている。
個人的には2作目が好きだと以前書いたと思うが、トニー・レオンは優秀な警官で、潜入捜査官として腹違いの兄がマフィアのボスにいたせいでもあり彼は組織に潜入する事になるのが二作目だ。まだイギリス領土であった香港返還前の事も描かれていて、二作目のラストで香港を中国に返還する話が出ている。
トニー・レオンが演じるヤンは本来、兄であるマフィアのボスを捕まえる為に、潜入捜査官として警察学校を退学させられ悪事を働く事になる。
アンディ・ラウが演じるラウは、まだ未成年の頃から警察に潜入する為に、警察学校にボスの後釜に座ったサムの命令で5人以上くらいが警察に潜入し、小物やどの情報などを流して、出世させてビジネスに利用するという意味で、警官にさせた。
ラウはボスであるサムの嫁であるマリーが好きでマリーに頼まれて、最初のボスであったヤンの父親を暗殺した。大ボスの子供たちは堅気な仕事をしていたが、一人だけ頭のキレる弟がいた。それがヤンの兄で、大ボスが暗殺され反抗的になった組織たちの秘密を握り、問題を起こさずボスになった。
今回は第三話に出て来る話をしよう。ちなみにネタバレではあるが、有名な映画で日本でも正月映画としてパクッて作られたのが「ダブルフェイス」というのがあった。
まず1話目でラウは本気で警官になりたいと願っていた。悪事に手を染め、上司でもあった警視の居場所を突き止めて、自分のボスであるマフィアに売った。警視は一作目から登場し、二作目にも三作目にも登場している人物で、ヤン捜査官が警官であると言う事を、警察学校の教頭と警視しか知らずにいたが、ラウの密告により、ヤンと密会中だった場所から二人は別々に逃げ、ヤンはマフィアとして屋上から地上に下りると、すぐに正面玄関にかけつけた。建物の中に入ろうとした時、屋上から警視が突き落とされ、ヤンは一瞬の出来事に頭がついて行けず、混乱するが、友人でもあったキョンに急かされるように逃げ延びた。しかし、キョンは既に銃弾を食らっていて、そのまま死亡してしまう。
元々、警察のとマフィアの組織に潜入させている者を見つける為に、争っていたが、ボスであったサムは前のボスの弟であったヤンを信用していなかった。逆に根性もイマイチでバカのキョンと仇名を持っていたキョンを信用していたが、自分の身分を知る人がいなくなった時、警官として潜入していたラウから連絡が来る。二人は結託して、キョンを潜入捜査官であったと公表し、テレビにも流した。
本物の警官になりたいラウと、本物の警官であるヤンは本来は捕まえるつもりでいたが、正体を知っているボスであるサムを密かにラウは殺した。そして実は面識のあった二人だったヤンはラウに会いに行き、パスワードを解除できない事を告げてモールス信号で開けられる事を知り、ラウは調べに行くが、ヤンはバカのキョンに用心棒という漢字を教える為に書いたメモがたまたま残っていた。ヤンはラウが警視を殺した潜入マフィアだと知り、彼の自宅に行き、妻であったマリーに真実をコピーしたラウとマフィアのボスであるサムの録音を聞かされる。
三作目は一番濃厚に作られている。それは集大成でもある為でもあるが、小説でもそうだが、それなりの大作になると、当然文字数も増えるのと同じで、一作目や二作目には出て来なかったが、裏では実はこうなっていたというのが三作目で紹介されている。
一人目は公安部のトップであるリョン警視で、彼はヤンが退学処分になったから主席を取れたとヤンに言うシーンがある。彼らは同期だったのだ。
二人目は中国本土のマフィアのボスとして、香港マフィアのボスであったサムに接触してきた人物も潜入捜査官だった。名前はシェン。
三人はたまたま重なり出会い、裏と表で繋がりを持っていた。しかし、ヤンはラウに殺され、リョンは花束を持って、シェンとヤンの供養をしようと会うが、シェンに「花束なんか何になる?」と言われ、リョンは「そうだ。私たちにはまだやる事がある」そう言って立ち上がるとシェンは笑みを浮かべた。
ラウは徐々に精神が狂い始めて、自分がヤンだと思い込むようになっていった。最後には本当に自分がヤンだと思い込み、彼の脳裏に焼き付いていた言葉をリョン警視は言った。その言葉はヤンにも言われた言葉だった。
「あいにく、私は警官だ」とリョンが言うと、振り返り様に銃を撃ってきて「私も警官だ!」と言ってラウは撃ちまくる。その最中、リョンは死亡し、中国の潜入捜査官のシェンだけが生き残った。
潜入捜査官のヤンが死に、マフィアのラウは敬意を称して墓場に彼を知る面々が現れる。その中には二作目の頃、付き合っていた女性の子供はヤンには偽っていたが、彼の子でもあった。彼女はヤンを愛してはいたが、当然潜入捜査官だとは知らず、子供をおろした経緯もあった為、妊娠した時に彼と別れていた。しかし、まさか警察官だとは思いもよらず、何とも哀愁の漂う心に残るシーンでもあった。
それとは別に、彼のカウンセラーとヤンは両想い的な感じ徐々になって行くのだが、彼は誰にも言ってはいけない事を彼女にだけは教えていた。二人だけの秘密として、「俺は警官だ」と彼が言うと、彼女は「わたしも」と答えた。その時、彼女は彼の冗談だと思っていたが、ヤンにすでに心を奪われていた彼女は、仕事にも手がつけれない状態になった。
シェンが最後にヤンとリョンの墓場に来ると、カウンセラーのリー先生も居た。シェンは足を引きずりながら、彼女に「ヤンに足を撃たれてね」とだけ言うと、隣にあるリョンの墓の前に立った。「その人もヤンの友達?」と聞かれ、彼は持論で答えた。
「運命は人を変えるが、人は運命を変えられない」と前半にも言うのだが、事の終わりを見届けたシェンは、それだけじゃないものを感じていた。
「しかし、彼らは確かに何かを変えた。だが、済んだ事だ。もうよそう。明日はまたやって来る。そうだろ? それじゃあ」と彼はあっさりと去っていく。
この言葉は実に正論である。何が起きても明日は必ずやって来る。済んだ事として終わらせるしかないという意味も込められているのだと、私は感じた。悲しくても、嬉しくても、一瞬先は闇で、良いか悪いかはその時が来るまで本当の事は分からない。
人生とはそういうものだと、私は感じたが、日本にいる限り、滅多な事では起こらないが、今もこの時も、誰かが助けを求めている。しかし、我々とは違う世界で生きる以上は、知る事も無いし、多くの人は助けを拒むだろう。
我々が生きているこの今の世界、2022年11月1日。今の日本を作ったのは中年者たちだ。中年者たちを作ったのは高齢者たちだ。このように連鎖を繰り返して、世界は巡って行く中、日本は良く無い方向に向かい続けている。
難しい問題だ。私は政治に携わった人の中で、小泉総理以外だと、橋本知事と東国原英夫しか思い浮かばない。彼らの言葉には訴えかける強さがある。正に命懸けで何とかしようと頑張っていた。彼らは後に、吉田松陰的だと評価される事になると私は思っている。
つまりは時代が今では無いと言う事だ。今では無いが、無くてはならないものだ。彼らは誰かに背中を押される訳でも無く、自ら進んで無駄だと分かりながらも力説した。本当に日本の未来の事を考えている人は貴重な存在だ。
第二、第三と繋げていかなければ、運命を変える事は出来ないだろう。
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