2021年2月28日「空の記憶」
Wordに残していた多くの小説用の資料の中に、
2/02/28「空の記憶」と題した当時の記憶が
書かれていた。
何度目の冬景色が窓から見える。
何かが変わるのかと思っていた。
だが何も変わらない、変わるのは自分だった。
変えられたのか、変わったのかは私には分からない。
人の事を第三者で見ることは簡単だが、
己を第三者で見ることは容易ではあるが、第三者は
気づいている。第四者に見られていることを。
私のその連鎖は止まることはない。
今もだが、私は音楽を聴いている。
詩と音との調和が‥‥‥こんな私に微かではあるが、
何かを伝えようとしている。
私にはそれが何なのかは分からない。
だが、確かにそれは形として存在はしないが、
私の心を伝って指先を動かしている。
これが今の私には隠し貫くモノだとは分かっている。
触れてはいけないモノ。
触れてはいけないモノなのに、
触れなくてはいけないモノ。
僅か数秒で私の頭の中で幾重にも幾重にもその答えを
探している。
暗闇の中で果てしなく真っ白な扉が続いている。
「私の夢の中で教えを乞う私」
2021/03/27
ここ一ヶ月以上、リアリティー夢と言うより、
2つの現実があるように思える。
私は目が覚めていても、そのもう1つの現実から
しばらくは覚めてはいない。
この2021年に入ってから、人生とは何かを初めて
考えている私がそこにいた。
私は夢では教え子のような存在で、
夢から本当の夢から目覚めてから考えたが、
夢がもっと続いてくれればいいと思った。
あの前向きなおじさんのような人だった。
前半は思い出せない夢であったが、
今、記憶に残る目が覚める夢の中での数分間は、
しっかりと残っている。
まるで私にとってはリアルであり、
経験に近いほど鮮明に。
私はその先生とたわいもない話をしながら、
下へ下っていた。
死体焼却の手伝いを頼まれ、私はその先生と
人生の哲学について話ながら、薄暗い場所で先生に
呼びかけながら先生に話しかけると、
「手が止まっているぞ」と私の見えない場所から言われ
焼却していた。
その夢の中には、私は存在していたが、敬意に値する
おじさんは存在していない。
だが、私の人生は夢の中でも変わらず、暗く奥深い中にいた。
私は「先生」と呼びかけた。
私の夢と現実の境界線だとは気づかずに、私は目を開けても
「先生」と呼びかけた。
私は「先生は私の過去を知っていますよね?」と呼びかけたが
返事は無かった。
そして、私はこの世界が現実ではなく、夢なのだと悟った。
これまで、あの日以降色々な夢を見たが、
その存在しない先生にもっと教えを乞いたいと感じる
唯一の夢であった。
夢から目覚めて、圧倒的に辛いことのほうが多かった。
もっと続けば良かったと思える夢は見てきたが、
答えが欲しい夢は初めてみた。
私は部屋の電気が消えた薄暗い部屋で電気をつけて、
やはり夢だったと落胆した。
メモを取り出したが、長文になりそうなので今PCを
つけ書いている。
私にはどうしても必要な答えがある。
その最後の扉の前に立つ日が来るのかと思い知らされる
ほど、数多くの巨扉が私には多すぎる。
以上になります。
他にもおそらく書いてあると思われますが、
多くの資料の中にあるので、見つけたのはたまたまだと
思われます。
自分が狂いそうになっている当時の心境が今は理解できます。
死体を焼却する夢は、対象は書いていませんが、弟になります。
父が弟を殺して、居間で弟の胸を開き、臓器を取り出している
夢や、殺されたはずの弟が生き返って襲ってくる夢なども当時は
見ていました。
アインシュタインの口にしていましたが、自分が狂っているのかと
思わせるような内容の夢、そしてそれに近いほど酷い現実を、
寝ても覚めても見続ける事は地獄そのものでした。
夢も実家が舞台であった為、夢と現実の区別がつかなくなる
事も多々あり、この記録はまだマシになってきているものです。
最初の頃はもう何も出来ない状態で、PCもテレビも何も見ない
悪夢で目覚める一日を毎日繰り返していました。
寝ているのに、現実のように悪夢にうなされて、心身ともに
限界に達していた事は覚えてます。
全てが忘れる事は出来ない内容で、1つ1つが余りにも大きな
問題であった為、私の精神は破壊されていました。
恐らく、この記録をつけている事から分かるのは、
死を前にして、記録として残して、刑事事件として扱って
もらえるようにする為に書いていました。
まだ書いているだけマシになっている状態だと分かります。
最初の頃は、私は父とその兄弟たちに、拷問を死ぬまで
続ける計画を立てていました。
私の悪を100%にして、どんなに許しを乞われても、
最上の苦しみと最悪の現実を、体と心の隅々までいきわたる
現実では無いと思う程の事を実行しようとしていました。
長年、利用されてきたものを全て返してやるつもりでしたが、
歴史には詳しかったので、それが邪魔をして、結果も見えて
しまい、相当悩んだ末、実行しないものとしました。
私の心境を理解する人はまずいない事、それに対して悪魔的
な殺し方をすれば、私は死んでいてこの世にはいないもので
あっても、悪いのは私になる事は私の敗北を意味して、
本来の目的である奴らの悪行は掻き消され、同情しか生まない
ものだと判断しました。
私の思いとは真逆の状況になるのでは、と伊達政宗の師である
虎哉宗乙なら政宗を𠮟りつけたあの一番の敗北を引き起こした
のは、父であり、仮に父の死後なら、人取橋の戦いのように、
私の命を捨てても勝ち目は無いと判断した事はよく覚えてます。
人生に於いて、良し悪しの判断は非常に難しいものです。
悪い事をされても、仕返しをし過ぎると世間は最初の悪よりも
仕返しをした人も責められます。
そこに感情は無いものであるのは、体験した事が無い場合、
全くその心の痛みは理解できないので、現実に起きた事が
中心となり、話し合う事になるので、当然、答えは間違って
いても、悪は正義となり、正義は悪と解釈されてしまうのが
現実で、そこには肩書や対して知りもしない人であっても、
職業なども加わる為、正しい判断力は失われます。
私はよく相談されますが、あくまでも第三者目線でしか
見ないようにしています。
人と人との心の問題に関しては、特にそうするように
しています。勘違いや、正常な判断をするには、
絶対に私情を挟んでは正しい意見はできないからです。
多くの失敗から学んだのに対して、酷い事を確かに
されましたが、例えそれが自分の事であっても、
私情を挟む事により、正しい判断にはならないと
気づいた事により、自分の中で答えを出したものだと
言えます。
今だからこそ冷静に見れますが、間違いなく人生で
一番辛い時期でした。今後、これ以上の事は起きないので、
後は私次第という事になります。
後は、どこかでケジメをつけるという大きな課題が
残っています。それさえ越えれば、心の闇も消える事に
なるからです。