ウィンストン・チャーチル
“決して屈するな。
決して、
決して、
決して!”
チャーチルの心の叫びそのもの
だと思わされるような言葉です。
屈するという言葉も、逃げるや
負けると同等と見て問題ないと
思います。
これはチャーチルだけでは無く、
アインシュタインやオッペンハイマー、
松岡修造やその他偉人と呼ばれている
人たちは誰もが同様な言葉を言っている。
つまりは欲や心の中では正しい答えが
分かっているのにも関わらず、誘惑や
圧力、欲望等に屈するなという意味である。
人間にとって普通に生活していても、
色々な困難に立ち向かいながら生きている。
彼等がそこまでして誰もが言うのは、
想像と現実では到底思いもよらない
程の差がそこにはあるから言っている。
しかも、ただ単に続けるのではなく、
向上心も当然持ちながら続けるには、
その事柄に対して、属性的にも最大限に
好ましいもので、尚且つ好奇心が途絶える
事のない事でさえ、執念にも似た強い
意志が必要になってくる。
そこまで強い心を持っていても、失敗する
人の方が圧倒的に多いのが現実であり、
こればかりは、自分で実践しなければ
その何よりも難しい心を知る事は出来ない
から言っている。
実際に実践しない人でも軽はずみに口に
するので、彼等はそんな簡単な問題では
無いと我々に教えてくれている。
日常生活に加えて、毎日欠かさず頑張るのは、
言葉では言い表せないほど難しい。
それは人間の心の弱さがそうさせるのだ。
そしてこれは慣れる事も難しいもので、
何年頑張り続けていても、心に隙が生まれた
ら、終わる事も多々ある事であるので、
自分に負けそうになる度に、狂いそうに
なることもあるし、自分を疑うようになる
事も多々ある中で、屈さない精神を育み、
それを育てていく事によって、屈さない
心へと成長を遂げる。
心を襲う強さには大小はあるが、小さな
問題でも油断はできない。
その苦悩の言葉は大勢の偉人たちが経験し、
その度に言葉として残している人もいる。
文字として残す事により、自分を奮い立たせる
方法の一つと言えるものだ。
アインシュタインはよくそう言った言葉を
残している一人でもある。
私自身も度々そう言った恐怖に呑まれそう
になるが、その度に何とか持ちこたえて
その屈さない精神を持ち続けている。
昨夜も0時より少し前に、1本書き上げたが、
1日最低3本書く事はクリアしていた。
アップせずに0時を過ぎてからしたほうが、
楽だという気持ちは確かに走ったが、
それではダメだと自分を後押ししてアップ
させた。
このようにして自分の精神的強さを持ち続け
なければ、続ける事は不可能なのだ。
決して楽な方にいってはダメだと言う事を、
絶対に守らなければならない事を言葉にすると、
このチャーチルのような言葉になる。
この言葉はまるで、自分に言い聞かせるような
時の言葉に似ている。
自分を自分で奮い立たせるのは容易では無い。
楽な道を行こうとする人は大勢いる。
その方が楽だと言う事は分かっているが、
その道へは進めない苦しさによって、
心身を病む事もよくある事だ。
こうして書いていても、その瞬間の心の事は
思い出せない。まるで心が思い出す事を拒んで
いるような感じがする。
いつ、どんな状況でその悪い芽が出てくるか
分からない。ただ、分かる事だけは1つある。
辛い、非常に辛くて耐え難いほど苦しむ事
だけは分かっているが、その時の感情は
思い出せない。
思い出すべきでは無いからであろうと
私は思っている。思い出そうとしなくても、
また必ずやって来る以上、思い出すのは
心に良くは無い影響しか与えない。
チャーチルの言葉を書こうと思ったのは、
昨日、寝る前に決めたが、今こうして
書いていて、昨日は全く思わなかった
疲労のようなものが、身体にのしかかって
来ているように感じる。
大きな疲労感に包まれている。
それは知っているからであろうと私は思う。
またいずれ、どこからともなくチャーチル
のように心で叫ぶ日が来るだろう。
必ず来るがいつだかは分からない。
物事を深く考える以上、必ずつきまとう
ものであるからだ。
頑張り続けると言うのは、何よりも困難な
事だから、頑張ろうと心に決めた人は
”絶対に何があっても”という心を忘れずに
頑張って欲しいと願う。