「信長の野望」創造編2
私のルール。
1.上級モード
2.AIMax
3.計略は全て禁止
4.セーブからのやり直し禁止
5.絶対的に強い国は選ばない
6.戦死率最大モード
7.諦めない
これが私の基本のルールとなります。
一番辛いのは自分では計略は使った
事は無いのですが、敵からバンバンされる
ので、良い武将を捕えた時にもの凄く悩みます。
昔の記憶なので、細かい事は忘れましたが、
確か、武将を捕えたとしても、登用を拒否する
武将は捕虜にできました。
それが複数人いると、間違いなく逃げられたり、
登用に成功した武将も取られたりするので、
状況に応じて、涙を呑んで殺さなければならない
時は多々ありました。
このルールですると、激ムズになるので、
普通の人はしてないと思いますが、自信がある
ならこのモードをお勧めします。
私が実際にプレイしてクリアしたのは、
当時のPC専門誌のログインだったと思います。
その時、普通のシナリオだと簡単過ぎたので、
確か50傑のイフシナリオで、明智光秀の本能寺の
変の再興というもので、やりました。
最初は柴田勝家で秀吉との天下分け目の決戦も
やってはみたのですが、柴田勝家は配下に知将が
全く居らず、攻めても攻めても、全て計略により
帰らされる事態になり、悪戦苦闘したのですが、
何とか、外は出れたのですが、東に上杉謙信、
左に本願寺と朝倉家がいて南下してみたのですが、
斎藤道三も強くて、これは無理だと諦めました。
そこで次案にあった明智光秀でプレイしたのですが、
相当難しいものでした。
明智光秀の領土は、元六角の居城からのスタート
だったので、位置的には悪くなかっただけで、
周りには強豪揃いで、5日間の間にクリア
しなければならないものでしたが、
柴田勝家で無駄な時間を取ったため、
4日でクリアしなければならなくなりましたが、
自信はありました。
相方も心配などせずにいましたが、
4日目の真夜中までプレイをして、その日は寝ました。
4日目まではそこまで大きな進展のないまま、
3日目の昼頃に起きて、さっそくプレイを始めました。
まずは脅威である斎藤道三と同盟を結ぶと、京の都を
拠点とする足利義輝に向けて道を切り開いて行くと、
織田信長が稲葉山城に向かって進軍を開始し、道三
から援軍を求められました。
斎藤がやられると間違いなく西進してくる事は
分かり切っていたので、京を前にして、主力である
明智光秀の部隊を援軍として向かわせました。
柴田勝家とは違い、光秀は知略に長けていたので
難なく稲葉山城まで到着して南から来る信長軍と
戦いましたが、1発目では朝井に自分の居城を攻められ、
落城。ゲームオーバーとなりました。
二度目のトライでは、斎藤とは同盟をせずに、浅井と
同盟して、援軍派遣(計略では無い外交にある婚姻等)
をしてもらい、足利を一気に潰そうとしました。
これは成功して、京の都と足利義輝も仲間にして、
足利義輝は最初から茶器や武器、絵画等を豊富に
持っているので、それを使って忠誠度をMaxにして
連係の取れる2城を作ったまでは良かったのですが、
何度もして分かった事は、初期のほうでは、プレイヤー
が動けば、他も動くというようにシステム上作られて
いて、1ターン目から自分が動けば、全国の大名たちも
動き出していました。
しかし、1ターン目に攻めないと、上級モードの場合、
敵はプレイヤーよりも+%指数で例えば、兵士を2000人
雇えば、3500人の兵士を作る設定になっていたので、
1ターン目は、ある意味ではチャンスだったので、
何度も繰り返すうちに、徐々に良いところまでは
行けるようになってました。
ただ、自分の中であと2日でクリアできるかどうか
不安であったため、3日間の間にクリアしてから
寝ようと思いました。
3日目に入ると、2大勢力までにはなるのですが、
大抵の場合は、上杉と戦うことになる事から、
自分は西を制圧しなければならない為には、
上杉に北上させないようにしなければならない
事が前提にありました。
上級モードでは基本的にあまり頼りにしたり、
遠い地との同盟の無意味さがシステム上にあるため、
上杉と同盟を結んで、序盤に上杉に織田をぶつけ
ようともしましたが、一応、外交では「分かった」
と言うのですが、期限は6カ月ある中、謙信さんは
全く動かずで、これは駄目だと思い作戦変更しました。
一番の問題は、西に行くなら秀吉さんと当たる
可能性が非常に高くなるので、同盟を結んだとしても、
状況次第では裏切られます。
なので、利用だけすると、縁を切られるので、
そこが一番厄介な問題でした。
南の筒井順慶は大抵の場合は、雑賀衆と同盟を結ぶので、
鈴木重秀は強い武将で鉄炮使いで、父親は中級万能系で、
弟は内政タイプで安定はしていて、守りには強い国でした。
鈴木重秀は孫市とも呼ばれていた猛将で、筒井を攻めた場合
援軍にほぼ来てました。
ここでルート的には京から北へ向かっていき、宇喜多や
毛利との戦いをするか、筒井家を滅ぼして、
鈴木家を手中にしてから、四国へ攻め込み、
四国最強軍団である長宗我部一族を手に
入れられれば、四国制圧は楽になったのですが、鈴木家の
他にも三好家がいて、ここもなかなか手強く、打つ手に
悩みました。
秀吉は強すぎだったので、最初は敬遠してましたが、
ほっとくと、勢力はどんどん拡大されるため、
足利を倒した後に、三好と同盟をして決戦に挑みました。
どこかを取ったら、どこかを取られたりして、
激戦を暫くしましたが、その間にも各国は強くなり、
このやり方も諦めました。
ただ、足利義輝の配下には内政タイプが多いので、
義輝は実際に剣の達人であったので、
京からの動き方次第であるという事は決定しました。
京からの中国地方への遠征は北の海岸沿いから
行けるのですが、港からの陸路での行軍は長いので、
食料が尽きる問題はありましたが、敵対する国は、
港に兵士さえいれておけば、対応可能であった為、
国を取る事には成功しましたが、山が多くあり、
このルートでは間に合わないと思い、別の方法で
行かなければならなくなりました。
この日の0時を過ぎた頃には、秀吉とは同盟を
結んで、最速で四国制圧に乗り出しました。
長宗我部は強力な国でしたが、制圧をして、
問題となる九州に乗り出しました。
この時、上杉謙信は北条との戦いをしていて、
北条は確かに強いですが、負けそうな状況に
ありました。
唯一の期待は不落の小田原城にありました。
九州へのルートは船でしかないため、
港に大軍を置かれたら、水上戦ではまず勝ち目は
ないのでしたが、竜造寺と大友は徐々に押されて
いる状況で、九州の半分以上は島津の領土となって
いましたが、竜造寺の港を経由して九州に侵攻して、
一気に竜造寺の領土を制圧し、大友とは同盟を
結んで島津と対抗しました。
残り24時間を切っていたので、相方は心配そうに
して、セーブからやり直すのだけでもやったらどうか
と、言われましたが、嘘は嫌いなので絶対にクリア
すると言って、戦いは続きました。
西を制した頃、上杉謙信も多くを占領していましたが、
まだ残っている軍勢たちもいた頃、天下分け目の戦い
である、連合軍が発動しました。
これは残りの勢力がどちらに付くか、それとも静観する
かを選択できるものでしたが、使者を送ることは出来た
ので、この戦いで決まると思い、大決戦に臨みましたが、
敗北してしまい、最初からやり直すことになりました。
しかし、何故か自信は不思議とありました。
3日寝て無くても、絶対に勝つという思いの元、
再び開始しました。