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万夫無当唯一無二の戦武神・呂布奉先軍記物語 第一章 第二話 幻術士張梁

まだ暗がりの肌寒い一夜明けた
早朝に出立はされた。
呂布を先頭にして、少し下がった位置に
張遼を配し、呂布率いる三千騎は、
黄巾賊の首領の一角である張梁に
よって制圧された襄陽城に、
迫りつつあった。

朝の陽が、まだ眠りについているうちに、
襄陽城まで軍を以て辿り着くには、
暗いうちに軍を進める必要があった。

敵が術師でなければ、
呂布単身でも城を落とす自信はあったが、
術師の恐ろしさを知っているだけに、
武神と言えども慎重に事を進める
必要性があった。

反乱軍の多くは元農民や、盗賊、
山賊の類が殆どであったが、
中には降伏した正規の兵士たちや武将も
入っていた。

籠城戦を心得た者たちが守るだけなら
強引に城門をぶち破り、主将を倒せば
後は何とでもできたが、
術師を相手にする場合は別であった。

昔、出会ったあの術師は、術師との戦い方を
まだ幼かった呂布に話していた。
それは呂布の体が10歳児とは思えないほど
大きな体格をしていた事から話は始まった。

術者は邸宅に招いてくれた礼だと称して、
丁原と呂布に禁断とされている
術師の弱点の事に触れた。

料理も格別に美味なるものを
用意させていたので、当然、酒の進みも
速まったこともあり、気分良く話し始めた。

自らのように多才な術師には通用はしないが、
多くの術師たちは一つの系統を覚えるだけで、
その才能を使い切る者たちが多数を占める。
術師の系統によって弱点は異なるが、
共通する点もあると語り出した。

多才な術師は極僅かしか居らず、
まず最初に覚える術は大抵、
幻術系に属する幻惑、幻想、幻夢、幻影、
幻殺のいずれかを習得するものだと言い、
基本的には全ては幻であって、
現実には存在しないものを、
存在するように見せるもの
だと説明し出した。

酒を飲もうとして│銚子《ちょうし》から
杯に入れようとしたが、酒が切れていた。

丁原はすぐさま女中に一番上等な酒と肴を
用意するよう言いつけると、
その声が術者の耳に届き、
上機嫌になって話の続きを話し始めた。

「よいかな、幻術とは字の如く幻の術です。
しかし、術にかかれば現実と幻の区別は
困難なものになる。
幻と言えど、五感でそれを見破る事はまず
無理でしょう。一番良いのは、当然、
術にかかる前に術者を倒す事ではあるが、
それは難しい故に、術に堕ちた時の
対処法をお教えしましょう」

女中が酒と肴を運んできて、
術者は杯に酒を満たして一口飲んだ。
彼の顏は愉悦な笑みを浮かべ、
丁原はそれを見て、ホッとした。

「このような美酒は初めてです。
今宵は最高の気分になります。
ところでそちらのお子は、
太守殿のお子様ですかな?」

「いえ、この子の親は不運にも
亡くなりました。親しき仲であったので、
我が娘とも仲が良いので許婚の関係に
しました。いずれは私は義父となります」

「そうでしたか。その子が10歳だと
お聞きしましたが、それは誠ですか?」

「はい。実に頼もしい男となるでしょう」
丁原はそう言ったが、
どこか不安気な様子を見せた。

「そのお顔から察するに、
並みの馬では全く役に立ちますまい」
術者は少年に目を向けた。

「その通りでございます。術者殿、
何か良い方法はありますまいか?」

術者は│黙祷《もくとう》して、
何やら悩んでいる様子を見せた。

「‥‥‥これも│運命《さだめ》か」
そう一言だけ小さく呟くと、
首につけた紐を解いて、
大事そうに仕舞い込んでいた
一つの袋を取り出した。

「この中に入っているのは、
私が長年かけて日々、術力を溜めた
秘薬が入っております。
この秘薬を血統の良い駿馬が産まれた時に、
飲ませなされ。
さすれば、その子に見合う巨馬に
育ちます故、出来るだけ良い駿馬に
お与えくだされ」

そう言って、女中に袋を手渡して、
女中は丁原にその袋を差し出した。

「本来ならば、この秘薬を譲る事は
無いのですが、その子が死する事無く、
成長を遂げれば、世を正す者の一人として、
天下泰平の世に成す者になると、
人相に出ております。
この秘薬は世に二つとないものですが、
運命に導かれたとしてお譲りします」

「それほどまでに貴重な品を‥‥‥
有難く頂きます」
丁原は頭を下げて礼を取った。

「小僧、名は何と言う?」

「呂布奉先と申します」

「よいか、呂布よ。今から10年後、
襄陽城に来るのだ。
私もお前も生きておれば、
再び再会出来ようぞ。
よいな? くれぐれも忘れるでないぞ」

「わかりました。必ず参ります」

「話はそれたが、幻術師との戦いの時は、
相手の目を合わせなければ術には落ちぬ。
今日より目隠しをして、
気配を探る│術《すべ》を身につけよ。
さすれば目を合わせたとしても、
気配を探る事ができるようになれば
互角に闘えるようになるであろう」

「分かりました」
少年は真剣な瞳を見せて、
その言葉を受け入れた。

————————————

「そのような事があったのですか。
白虎盗賊団がいきなり煙のように
消えた事は私めも覚えております。
まさか一人の術師によって全滅させられて
いたとは‥‥‥」
張遼は驚くよりも恐れている風に呂布には
見えた。

「それではその将軍の赤い馬は‥‥‥!」

「そうだ。あの術師の秘薬によって俺しか
乗せる事を許さない愛馬となった。
世話も産まれた時から私自身で面倒を見てきた。
今では貂蝉とこの赤兎馬は、俺にとって
何ものにも代えがたい大切な存在になった。
お前の言うように世に悪をもたらす邪悪な者共が
いるのであれば、俺が許さん」

張遼は呂布の愛馬の下から覗き込むように、
巨大な馬の眼を見ると、炎のように揺らめく
赤い眼をしていた。

そして張遼を一瞥し、まるで相手にならないような
目つきで睨みつけた。
瞬間的なものであったが、張遼は呂布と初めて
見た時のような畏怖を覚えた。

蹄の跡に目をやると、心の底からゾッとした。
一蹴りで常人なら肉片が飛び散るほどの大きさと、
深く残ったその重みのある窪みは嫌でも目についた。

「見えてきたぞ」
高き位置から見える景色は、
張遼にはまだ見えずにいたが、距離的な事を考えるとそろそろ到着する頃だと思った。

「将軍。いかがいたしますか?」
朝日はまだ昇ってはいなかったが、
その光は感じ取れる程までには
上がってきていた。

「まずは俺が一人で行く。お前は騎兵隊の指揮を執れ。跳梁を討ち取ったら反乱軍どもは四散するはずだ。
それを合図として、
黄巾賊に集中して討ち取れ。
農民や兵士は恐れから、
黄巾賊に入ったに過ぎん」

「はッ! お任せください」
張遼は主となった呂布の初めての命令に
対して、口出しせずに言葉通り実行すると
心に決めた。
それと同時に、どうやって城を
一人で落とすのかに
対して深い興味を抱いていた。

人間一人よりも遥かに重い方天画戟は、
呂布の力を最大限に発揮できるほどの代物であった。
それに加えて、愛馬である赤兎馬も自らの
良馬よりも何もかも優れている、
とても馬とは信じ難いほどの
至大な巨馬であった。
どちらも呂布の為に存在するとしか
言いようが無いと、
張遼は武神と出会えた己の運命に、
これまで思った事も無かった使命という
ものを信じかけていた。

「赤兎馬よ、お前の力を見せてくれ」
呂布は人に語り掛けるように愛馬の耳元で
囁くように声をかけた。
「ハッ!!」呂布が黒い革で出来た手綱を
強く握ると、声を張った。

それは掛け声のようなものでしか
無かったが、赤兎馬は主の声に
呼応するように大きく│嘶《いなな》きを
上げると疾駆した。

その速さで│鬣《たてがみ》を激しく│靡《なび》かせながら、
日が昇りかけている薄暗い中を、
城門目指して一気に激走していき、
見張りの兵士たちが気づいたのは
赤兎馬の姿からでは無く、
静まり返った夜明け前に地響きに
近い足音が鳴る北門の城壁の見張り櫓から、
松明を幾つも投げて目を向けた。

それを目にした城壁の見張り台の兵士たちは、思わず息を飲んだ。
投げた松明の灯りが当たる度に、
一瞬だけその姿を捉える事は出来たが、
誰もが口を閉ざしてしまっていた。

熱心な想いから命を捧げた黄巾賊の長で
ある張角こそが、
世に平和という光を│齎《もたら》す
偉大なる存在だと信じ切っていただけに、
悪魔の襲来だと、信心深い信者たちは
思ってしまった。

「お前は急ぎ張梁様に報告せよ!」

「そこのお前たちはまだ寝ている者どもを
起こして、戦の準備をさせろ!」

「見張りの兵士を北門に集めさせ!? 何事だ!?」
何かが激突したような轟音が
鳴り響くとともに、城壁に大きな振動が
走った。

「城門を突破されました!!」

「バカな! 門は堅く閉じておいたはずだぞ!?」
黄巾賊の下級頭目は城壁から顏を
下に向けて叫んだが、
配下の返事は無いまま│土埃《つちぼこり》が城壁にまで達するほど舞い上がる中、
微かに何かが見えていた。

それが何かすぐに分かった。
正に一瞬だった。視覚よりも速く、
聴力でそれを知った。

自らの体を射抜いた後、石壁に
突き刺ささった棍ほどの太い鉄の矢だった。矢を抜こうとしたが、
命の終わりを告げるかのように、
力は抜けていき、
そのままぐったりと│俯《うつむ》いたまま動かなくなった。

「ふん、うるさい雑魚めが」
呂布が城壁に目を向けた瞬間、
考えるよりも速く
赤兎馬の│鞍《くら》に備えた矢を
手に取ると、殺気を放つ場所に放った。

微塵により視界はまだハッキリとは
していなかったが、
強く放たれる殺意のある気配は、
目には見えずとも感じる事が
出来るようになっていた。

強く放たれた鉄の矢は、霧のように
舞い散る砂の中に消えたかと思うと、
すぐにその矢は全く同じように、
跳ね返されたようにして
呂布に向かって飛んできた。

武神はその矢を方天画戟で防ごうとしたが、その矢に触れる事は出来ず、
思わず身を以て躱した。

(確かに気配を感じたはずなのに何故だ?)
呂布の中で迷いが生じた。

徐々に薄れゆく砂塵の中で、
声だけが聞こえてきた。

「お主、一体何者だ? 何故、
天に逆らい我の命を狙う?」

「貴様ら黄巾賊こそが、
天下を乱している存在だからだ」

突風がいきなり吹きつけ、
土埃を攫うようにして視界が解けた途端、
上空から激しい光を当てられて、
思わず戟をその方向へ向かって振るったが
空を切った。

目を細めて開こうとした時、
上空に座禅を組んで
浮いている男が、微かに見えたと思った
瞬間に、呂布の顏の前に突如として現れて、眼をじっと見つめてきた。

(やられた!!)
呂布は不覚を取った事を後悔したが、
力を込めて戟を大きく振るったが、
張梁は幻のように消え去り、
高笑いだけが城内に木霊していった。

力強く握った戟が、まるで生き物のように
手から流れていくと、大蛇となって
呂布の体を絞めるように
彼に襲い掛かってきた。

呂布は心の中で、これは幻だと
言い聞かせようと
何度も何度も心で唱えても、
矛先は大蛇の口となり、
顏に向けて大きく口を開いて、
今にも襲ってきそうであった。

咄嗟の判断で、その蛇の喉元を
力強く握って絞め殺そうとしたが、
気がつくと手は傷だらけになり、
血まみれになっていた。
呂布は愛用の方天画戟を手放し、
意識も│朦朧《もうろう》としてきた。
それはまるで海底に沈みゆくように
心を蝕んでいった。

(これほどまでとは‥‥‥
甘く見過ぎていた‥‥‥)

心の中で彼はそう呟いていた。
そしてその言葉すら闇の底に落ちていく
ような感覚を僅かに感じる程度まで、
まるで眠りにつくように沈んでいっていた。

張梁はこれまで見た事も無いほど
巨大な男が、これもまた見た事もない程
立派な巨馬の上で、体勢が完全に
俯くまで警戒しながらじっと待っていた。
(あの者を我が配下にすれば、
都までの道は開けたも同然。
並み居る敵も難なく蹴散せようて)

張梁は呂布の目を眩ませた
小さな鏡を懐にしまうと、指先を使って
自らの手から血が滴り落ちるほど
斬りつけた。
(血族の交わりをすれば、
あの者は永遠に我が配下となろう。
さすれば兄の天下取りは決したような
ものとなる。思わぬ収穫を得たのは、
やはり兄こそが天に認められた唯一無二の
新たなる新世界の王となる
存在だからであろう)

張梁は全く動かなくなった呂布を見て、
自らの空に浮く幻影を解いて本体の姿を
晒した。

大地に足をつけた身分の高そうな男が、
何も無い場所から突然、姿を表した。

そして優しく触れるように
近づこうとした時、真紅の瞳を宿した
赤き馬は、突如として張梁に向かって
突進し、主を馬上から落として、張梁
に噛みついてきた。

意表をつかれた張梁は後ろに退いたが、
その速度よりも速く首を伸ばしてきた。
噛まれる事は避けられないと見た張梁は
頭に食いつかれたら間違いなく死ぬと
思い、激痛を承知で態勢を変えて肩を
前に出した。強烈な歯の餌食となった
肩はそのまま食い千切られたが、
激痛の雄叫びを上げているのは張梁では
無かった。

赤兎馬は主に対して蹴りを入れて目を
覚まさせた。加減はしても赤兎馬の蹴り
は並み大抵の者が受ければ死ぬほどの力
はあった。

しかし、その痛みから呂布は正気を
取り戻して、戟を拾うと再び赤兎馬の
背に跨った。目の前に張梁の姿は無く、
知らない男が片腕を失い出血死していた。

何が起きたのかは、そう、張梁が目の前に
現れた後、徐々に何かに支配されていく様
な感覚に襲われた事までは覚えていたが、
それ以後の記憶は全く無かった。

高き所から見える景色は、呂布以外の者
には見えなかったが、彼は赤兎に蹴りを
入れて、自然と顏は微笑みを浮かべて
疾駆させた。赤兎馬も今まで見た事の無い
表情のようなものを浮かべていた。

そして近くまで行くと、自然と赤兎は歩み
寄っていき、白馬に乗った雰囲気だけは
昔と変わらない運命の導きによって、
再び引き合わされた男に礼を以て接した。

「お久しぶりです。術師殿」
「やはり来たか。呂布もその馬も見事な
成長を遂げたな。張梁はもう倒したか?」

呂布は自らに起きた事や不思議に思う事を
全て術師に話した。

「思っていたよりも手強いようだな。
私の戦いは参考にはならないだろうが、
よく見ておけ」

男は馬から降りると、ゆっくりと歩み出した。
呂布は赤兎馬と共に、その場に立ち尽くして
術師だけを見ていた。















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