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チャールズ・ダーウィンの伝言

“生き残る種とは、最も強いものではない。
最も知的なものでもない。
それは、変化に最もよく適応したものである”


ダーウィン。その名は誰もが一度は聞いた事の
ある名前だろう。

自然科学者、地質学者、生物学者であった
彼だからこの言葉はより確かなものだと
思われる。

いつも言っているが、物事の多くは確かな
答えを未だ論争中である。

理由は極々簡単なことだ。
世界の国々における常識も違えば、歴史も
違い、歴史から受け継がれてきた物事や魂も
違う。

世界を平和にする方法も1つしかない。
それを知ってか知らずか、世界平和を呼びかけ
るのは、実に人間を理解していない行為に
値すると言える。

世界を完全に平和にする方法は、戦争をして
反対派を全て殺すしか手段は無い。
平和は決して安くないものだ。
日々、国内での問題だけの処理にさえ追われる
我々人間社会に於いて、そういった自国での
問題も簡単に片づけられないのに、どうして
世界を平和に導く事ができようか。

国々の正義や悪、主張も国を最優先する事しか
ない人間社会で、捕鯨に関してもそうだが、
国々だけでは無い。

それぞれの持つ信念の団体等の考え方等も
考慮するとなると、雁字搦がんじがらめに
なるのは当然であり、極悪人の対する死刑にすら
反対する人もいるのが世の中だ。

このような複雑極まりない世界をどうすれば
平和などに結び付ける事ができるのか、主張だけ
する前に考えるべきだと私は思う。

これは私個人の意見では無く、あくまでも平和に
対してどのようにすれば平和に出来るのかを分析
したに過ぎない。

しかも今、即席に考えながら書いているだけでも
これほどまでに多いのに対して、しっかり考えれば
この十倍は問題が出てくるだろう。

ダーウィンの言葉から、その意味を探るのに
考えてみた。

“生き残る種とは、最も強いものではない。
最も知的なものでもない。
それは、変化に最もよく適応したものである”

このダーウィンの言葉は確かに正しいものである。
しかし、敢えて深くは書いてはいない事が見える。

彼自身、変化に適応する事の難しさを良く理解して
いるからであろうかと思う。

大抵の場合はパニック状態になるだけで、混沌を
引き起こして、収拾がつかなくなる場合が多い。

人間は平常時は正義や理論を唱える事は出来るが、
平常心を失った場合、それまで持論としていたものが
崩れ去るかの如く、パニック状態に陥りやすい。

それは歴史を見れば明らかである。

そんな中でも、そういった世界や他の事に対しても、
変化に適応できるものが生き残る。

ダーウィンの言葉の通り、
生き残るのは変化に最もよく適応したものである。

恐竜の絶滅に関しても意見が分かれているが、
生き残った恐竜に関しては同じである。

強い恐竜はいち早く絶滅していった。

隕石による地球寒冷化説と、
火山活動によって放出される二酸化炭素などの
温室効果ガスによって地球の温暖化現象の
二つが有力視されているが、どちらも仮説で
しかないのが現実である。

何かをすれば何かの引き金を引くように、
これは絶対的に近いものではあるが、
自然の均衡が完全に崩れる事は無いと言える。

世界的視野から見ても、それは明らかである。
誰かが寿命、事故、殺人などで死んだ場合、
世界のどこかでは誰かが誕生している。

その均衡を保ちつつ、今の世界がある。
どちらかに圧倒的に揺れた場合、想像を絶する
事が起こる。

膨大な関係性のある連鎖の連鎖による負により、
世界は一変してしまう。

戦争もその一つとして上げられる。

戦争が起こり、我々の生活にも支障は出ているが、
それはつまり、誰かが得をしていると言う事に
繋がる。

当然ながら、戦争による被害は甚大で、人命も
多く失われた。それは今後も続くだろう。

しかし、その反面必ず利を得る者たちもいる。
日本には無いが、アメリカ等では民間企業の
警備会社等がそれに当たる。

日本での警備会社とは訳が違う。
アメリカや諸外国等では、戦争にさえ請け負う
民間企業がある。

警備会社等もその一つである。

当然、戦争の規模が大きくなればなるほど、
彼らの利益に繋がる。
日本人には想像できないと思うが、兵士として
戦争経験者等の多くは、精神さえ安定していれば
そういった会社に入る場合が多い。

彼らは云わば駒として使われる。
それは本人たちも理解していて戦争に出向く。

そんなアメリカでさえ、一般人は戦争とは関わり
の無い人も大勢いる。

実話を元に作られた映画「ブラックホークダウン」
では、最後の方で特殊部隊員と主人公の会話が
あった。
主人公は自分の隊の隊長が、病気になり、隊長に
任命された。彼らの主な任務は、特殊部隊の掩護
としてサポート役を担っていた。

主人公は死んでいく仲間たちに対して、元々、
理想を掲げていたが、そんなものは実戦の戦場では
無意味である事を知るところとなった。

主人公のエヴァーズマンが罪の意識の顏を見せると、
特殊部隊員は、「お前はよくやった。仲間を生きて
連れ帰った」と犠牲は出たものの最善を尽くしたと
言葉をかけた。

続けて彼は言った。
「家に帰ると、友人たちから
お前は戦争が好きなのか?」と言われると話した。

「彼らは知らない世界だから分からないだろうが、
俺たちは仲間のために戦っている」

激しい戦場から何とか生還した特殊部隊員は、
再び弾薬や銃等をバックに入れるのを見て、

「また戻るのか?」とエヴァーズマンは訪ねると、

「まだ仲間が残っている」とだけ彼は言って、
その場から立ち去る時、エヴァーズマンに
思い出したかのように言葉をかけた。

「今日は月曜だ」

その言葉にエヴァーズマンは何も言えなかった。

戦場に身を置いていた時の事が忘れられず、
今日が何曜でもどうでもいい事だと思ったが、
精鋭部隊のデルタチームの一員はまるで日常の
ように日々を過ごしている事を知って、
エヴァーズマンは言葉を失っていた。

私はもう何度も見た映画で、デジタル購入して
いる作品の1つでもある。

私の実家は広島だった。
だから戦争がどのようなものだったかを、
聞かされた事もあった。

しかし、それはただの知識でしかない。
実戦になれば無と変わらないものでしかない。

“生き残る種とは、最も強いものではない。
最も知的なものでもない。
それは、変化に最もよく適応したものである”

特殊部隊員のデルタチームのメンバーは、
ヘリが何機も墜落していく中、暴徒と化した
大勢の市民が銃を撃ちまくる非常に危険な
場所にヘリから降りて、味方が来るまで
戦いたいと上官に伝えた。

明らかに自殺行為と言えるものであった為、
ヘリにいた上官は、基地の司令官である大佐に
連絡をした。

大佐は自殺行為だと分かっている事を再確認
するために、
「援軍がいつ来るか分からないが、それでも
行くのか?」と尋ねると、二人のデルタは
「行きます」と答えた。

それは別れの言葉でもあった。

実戦と訓練とでは大きな差がある。

訓練なら失敗しても命は失わないが、
実戦では命を失う。

彼らが本番さながらに訓練をしている光景を、
どんな映画やドラマでも見て来たが、
真剣にしていた。

それは死と隣り合わせだと言う意味に繋がる
事だと思った。

適応とは正にそれらの事だとも言える。

適応にしても変革にしても、その難しさは
言葉では伝えきれないほど難しい。

アメリカで完全に奴隷制度を廃止したのは
1888年だ。世界で最後の奴隷制度の
廃止となった。

しかし、未だに白人と黒人の争いは続いて
いる。知的な人であっても、未だにそれは
続いている。100年以上前に決着をつけた
のに、未だに続いていると言う事は、
信じ難いものではある。

しかし白人主義者等のKKKによる黒人殺害、
未だに奴隷扱いしている人がいるから
終わりが来ないのだと思う。

これも云わば適応に属する問題になる。
黒人が殺されても、白人警官は大した捜査は
しない事など映画やドラマでは今でも見るが、
事実だからそのままを見せているのだろうと
思う。

平和や適応だけでは無いが、何事も簡単に
解決まで導く事は出来ない。
それなりの苦労が伴うし、嫌な想いをする
事もある。

これら全てを凝縮してもまだまだ足りない
ものではあるが、これこそが
「頑張る」と言うことなのだ。 

自分の正気を失う事など何度もある。
アインシュタインも何度もそう思っていた。

哲学の極みとされる誰もが口にしている
この言葉は、それほど難しいものなのだ。

勇気もいるし、自分に負けない強さも
必要になる。世間の目も気にせず、自分の
信じる道を辿る。山や谷しかないような
道を進み続ける。

ダーウィンの言葉にもそれが含まれている。
姿は変えても、何が言いたいのかは理解
出来るようになる。

絶対に諦めない執念を持たなければ、
この「頑張る」という事は不可能と
言える。

だからやりたい事があれば、絶対に
諦めないと自分自身に誓って、
進むことをお勧めする。

最後に伝えておきたい。
本当に頑張る事は地獄とさして
変わらない事だと知っておいてほしい。

自分がやりたい事であっても、
苦しみや苦悩は想いが深いほど、強く
深く、心をえぐるように自分を苦しめる
事になる。

成功するか失敗するかは分からない。
命が尽きるまで頑張っても
無理かもしれない。

しかし、やってみなければ答えは出ない。
だから頑張るのだと私も言いたい。

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