第一章 第二十四話 リュシアン
「若! 私です。私如きの為に何と言う事を!
もっと早くに気づくべきでした」
レオニード・ラヴローは草食動物が獣の殺気を
感じた時のように、静かに耳元で必死に呼びかけて
いたが、リュシアンは昏睡状態のままだった。
王子は部屋に入れられた時、
利き腕である左手で
ラヴローに触れていた。
右手は床に置いていた事で
彼の特殊能力である
❝不滅の若獅子❞が不安から無意識に発動し、
巨大な強固な訓練施設が揺れるほどの
衝撃を発しながら、左手でそのエネルギーを
レオニードに与え続けて完全回復させて救い出した。
本来ならリュシアンが堕ちる事は有り得ない事であったが、
事の真相を知ってしまい、あまりのショックから
心に隙が生まれた瞬間に、特殊訓練施設の警備隊長
アリクーナ・バザロフの特殊能力により、
昏睡状態に陥っていた。
ラヴローは主に助けられて、己の腹心で、共に監禁されて
いたアリヴィアン・クロスと、ヴァジム・ホワイトの呪いは
解いたが、彼の解呪能力は総合エネルギーが自分よりも低い
相手しか解呪出来ないため、リュシアンを起こせずにいた。
リュシアンの共として一緒に行動してきた
アルベルト・バジルとソフィア・ウルノフから
どういう状況なのかを知らされ、
ラヴローは王が悪魔に魂を売った事は、
余りにも信じ難い話であった。
二人を目覚めさせて、レオニード・ラヴローは自分の知らない
間に何が起きたのかを聞き出して、リュシアンが堕ちた
理由に納得したが、問題はリュシアンをどうやって
目覚めさせる事が出来るのかを知る為に、サウロ・ロビン
も闇から救い出したが、この厳重な部屋から出られる
能力者では無かった。
リュシアンの特殊能力を知っていた
レオニード・ラヴローは自分自身をも
救い出せる程までに強くなっている事を知り、
能力を知らずにいたリュシアンのハウンド0部隊隊員の
アルベルト・バジルとナターシャの警護役である
ソフィア・ウルノフは突然、建物全体が揺れた事を
口していたことから、吸収速度と供与速度が以前よりも
遥かに強まっている事を知った。
そして、ラヴローは彼を救うことこそが最も重要な事で
あると瞬時に理解した。
ここから脱出するにはリュシアンの特殊能力以外では
不可能だと悟った。
問題はどうやって二重にかけられた夢幻の世界から
主を救うかであった。
この施設の警備隊長であるアクリーナ・バザロフと
副隊長のキーラ・バーベリは力を使わず、能力を熟知
している非常に相性の良いコンビである事に、
ラヴローは感心を示していた。
力だけでは無い強さの事を、身を以て体験して
その恐ろしさを肌で感じることによって、
敵ではあるが、実に見事だと思っていた。
彼の配下のアリヴィアン・クロスがレオニードに
背後から声をかけてきた。
「隊長。私の能力なら王子を
救いだせるかもしれません」
彼自身もこのメンバーの中で唯一精神系の能力者で
あるアリヴィアンにしか任せる事はできないと
知っていたが、彼女の能力は夢幻の中に落とした後に、
対象者が最も恐れる相手を生み出し、アリヴィアンが
その恐れる者となり、対象者に口を割らすのが本来の
能力の使い方だった。
王子が最も恐れる相手を仮に生み出したとしても、
勇敢な者や、死を恐れない相手には通用しない
ものだった。
アリヴィアンは恐れる相手として話しかける事しか
出来ない能力であったので、対象者が王子のように
気高く、知性も高いものであれば、簡単には信用
しない事は充分に考えられた。
今のリュシアンにとって、最も恐れる相手は、
おそらく実父の王であるイシドルであるとすれば、
再び騙す形となるので、信用する可能性は実に
低いものであった。
以前なら黒衣の将であるリュウガであったかも
知れなかったが、今では友好的な関係になって
いた為、恐ろしいほどの強さである事は認めて
いたが、それはあくまでも戦闘能力の高さであり、
心中では恐れる相手にはなっていないと
考えていた。
それはラヴローも同様に思っていた。
もし、失敗すれば、再び説得する事は
不可能であると、心の内に秘めた言葉を
発さずとも、両者の顏つきがそれを語っていた。
その様子を見ていたリュシアン直属の配下である
サウロ・ロビンが声をかけてきた。
「サウロ、どうかしたのか?」
「アリヴィアンの能力は聞かせてもらいましたが、
同時に複数人を同じ夢幻に堕とす事は可能なのかを
お尋ねしたいのです」
「同時に同じ場所に複数?」ラヴローは怪訝な顏を
一瞬見せたが、サウロ・ロビンが何を考えている
のか理解した。
「アリヴィアン、可能なのか?」
「試した事もありません。要するに同時に同じ
私の世界に共存させるように、同じ夢幻の中に
堕とせるのかお聞きになりたいのですよね?」
「そうだ。試した事は無いが、それが出来る
と思うのかどうかを知りたい」
「私の能力は尋問用にする為に、対象者の世界を
作り出すようにしています。
私には知らない事があった場合、
能力だと疑われないようにするには、
対象者の良く知る世界を生み出させるように
しています。
この能力は非常に多くの精神エネルギーを
消費します。
王子の世界に仮に隊長を堕とせたとしても、
それを維持できる自信はありません」
「それならば私のエネルギーを提供しましょう。
かなり危険な賭けにはなりますが、王子にしか
ここから脱出する手はありません」
床も壁も目で見て分かる透明ではあるが、
明らかに能力者による異常に硬いもので
出来ているエネルギーの防壁がその部屋中の
床から壁一面に広がっていた。
全力で叩いても傷一つ付かない事から、
サウロも凝縮させた炎の玉をぶつけて
みたが、煙のように掻き消されていた。
この部屋から出るには、リュシアンの力が
どうしても必要だと、誰もが思っていた。
「分かりました。やってみましょう。
ラヴロー隊長、私の夢幻に堕ちると必ず
一番会いたく無い何かに出会う事に
なりますが、それはあくまでも幻です。
痛みや苦しみは現実に近いものを
感じますが、決して退かないでください」
「分かっている。王子を見つけるまでは
探し続ける。他に要点があるのであれば
聞いておきたい」
「問題があるとすれば、王子の世界に
堕ちない可能性があります。
その場合、仮に王子に出会えたとしても
それは幻でしかありません。
ですので、隊長と王子だけの御二人が知る
事を強く心に念じてください。
そうすれば、王子の世界に行ける可能性は
高くなります」
「分かった。お前とサウロの精神エネルギー
だけでどのくらいの時間を維持できるのかを
知りたい」
「それはお任せください。二人が戻るまで
維持してみせます」
「はい。サウロさん、エネルギー供給は
お任せします」
「‥‥‥準備は出来た。
今は時間が惜しい‥‥‥始めよう」
その言葉と同時にアルベルト・バジルは
不意を突いてラヴローを気絶させた。
彼の配下である二人には気が引ける事で
あったので、王子直属の配下が手を汚した。
「気絶させたから始めてくれ。
俺は役に立ちそうもないから、
奴等が来たら中を覗けないようにしてやる」
アルベルト・バジルはそう言って入口の方へ
向かって行った。
「では始めます」
アリヴィアン・クロスはリュシアンとラヴロー
頭に手をそっと乗せると、
❝再会する恐怖❞を初めて
二人同時に使った。
一気に精神エネルギーが消し飛ぶかのように消耗した。
サウロが精神エネルギーを供給していなければ、
自分が気絶するほどのエネルギーで、
クロス自身も驚く程のものであった。
サウロは彼女の背中に両手を当てて、
❝雹焔の懺悔❞を発動させて、
100%の精神エネルギーを送り込んでいた。
能力者はお互いにエネルギーを送り込む事は
容易にできるが、当然、その与えた力は奪われる
ように減り続ける。
サウロは無属性の悪意の無いエネルギーを
5対5にして100%にする事によって、
神経を集中させる事により、外気に漂う
無限の純粋なエネルギーを使うことができる
能力者であった。
その反面、0.1%でも乱れると彼は暫くの間、
無防備状態になる誓約をかける事により、
それを可能にしていた。
汗ばむ事も許されない寒い凍りついた部屋
の中でも、サウロ・ロビンは目を瞑ったまま
微動だにせず、集中していた。
アリヴィアンの背中に触れていた掌は、
最初は冷えた手であったが、徐々に温もりと
汗ばみが分かる程までに、全神経で彼女の
精神エネルギーを常にMaxを維持していた。
アリヴィアンも目を閉じて、二人を同じ
世界の中に存在するように、両者の脳内に
直接伝えようとしていた。
場所は二人が最もよく知る王城を舞台として
レオニード・ラヴローは導かれて行った。
誰一人言葉を発せない沈黙の中で、彼女は二人
を同じ世界へと合わせる事に成功していた。
偶然にも二人ともが、王であるイシドルを
恐れていて、玉座の間に両者は立っていた。
アリヴィアンは背中がサウロ・ロビンの冷や汗で
その集中力の凄さを感じていたが、
言葉を発さなければならない時が迫っていた。
彼女の心の中で、サウロの心を動揺させる言葉を
言わなければならない事が、気がかりであったが、
彼はそれを察して口を開いた。
「私なら大丈夫だ。二人を救い出すまでは
耐えてみせる。必ず救い出せ」
彼の心なら大丈夫だと信じて、彼女は語り掛け始めた。
「リュシアン様、これは夢の中です。
どうか御目覚めください」
「父上、一体これは何の余興でございますか?」
「国王陛下。一体何事でございますか?」
本来は王子を起こす為に夢幻に入ったラヴローも、
リュシアンを助ける為に入ったが、その意識は
どこか遠くへと飛ばされていた。
アリヴィアンだけがこの展開を予想していた。
それほどまでに夢と現実の判断は難しいと
彼女は知っていた。
そして彼に現実では無い事を伝え始めた。
「ラヴローよ、思い出せ。お前は一体何の為に
ここに来たのだ? お前の使命を果たさなければ
全ては無と帰すであろう。思い出すのだ」
「私が玉座の間に来た意味ですか?」
レオニード・ラヴローはその問いかけに、
暫く沈黙していた。
「そうではない。お前がここに来た理由を
思い出せ。お前は何故ここに居るのだ?」
リュシアンは意味も分からず只々、父王の言葉
の真意を探っていたが、全く見当もつかずにいた。
「私の使命は王子をお守りする事です」
「だが今、お前はリュシアンを守れているのか?
今一度思い出すのだ。自らに課せられた新たな
使命を心の中から探るのだ。お前がここにいる理由はなんだ?」
「私に課せられた新たなる使命‥‥‥理由‥‥‥
私は一体いつここに来たのだ‥‥‥どこか他の地に
いたはず‥‥‥そうだ、私は王子を迎えに来たのだ。
アリヴィアンの特殊能力がこれほどまでに効果的だと
は‥‥‥危うく夢幻に堕ちる寸前まで行っていた。
このような世界にいれば確かに現実世界には戻れない」
「ラヴロー、一体何の話をしているんだ?」
「そうだ。お前の使命はまだ終わっていない。
リュシアンを救い出す事が出来るのはお前しか
いない。任務を遂行してこの地より逃げるのだ」
レオニード・ラヴローは前にいるリュシアンに向けて
激しく吼えた。
「ラヴロー様が夢幻の世界である事を理解されました。
ここからが本番です」
その言葉はサウロの耳にも入っていたが、滝に身を
入れた時のように、冷たい汗が床に流れていた。
それはアリヴィアンにも氷よりも冷たく流れるものから、
彼の能力は短期戦向けである事を悟っていた。
1%の均衡の誤差も許されない能力にしたのは、
最大限の力をエネルギーを消耗する事無く使う為の
能力だと考えると、サウロ・ロビンはいつバランスを
崩してもおかしく無い事を考えると、冷静さを失い
そうになったが、彼の方が遥かに無謀とも言える事を、
彼の放った言葉通り、彼女の精神エネルギーは常に
最大状態を保っていた事が、アリヴィアンを勇気づけた。
「我が主にしてヴァンベルグ君主国の王子である
リュシアン様にお尋ねしたい事があります」
リュシアンは眉間にしわを寄せて言葉にした。
「どうしたというのだ? 父上もお前も何の事を
話しているんだ!?」
「我が息子にして北国の勇者よ。
お前は自分の意思で北に向かったはずだ。
覚えておらぬのか?」
「‥‥‥確かラヴローが‥‥‥」
そう口にしてラヴローに目を向けた。
「お前は何故ここにいるんだ?
父上は確か‥‥‥ラヴローは悪魔との戦いで
負傷したと話していたはず‥‥‥」
「その通りです。私の体は今も北の施設に
監禁されています。貴方様は国王の許しを
得て、私がいるとされていた場所にいるのです」
更に苦悩な表情を見せて激しく動揺した。
「待て! お前はそこにいるのではないのか?」
「そうです。私は貴方様の夢幻に無理矢理
入ってきただけです。貴方様は私の様子を見に
来られて、リュウガ殿が倒したのは国王の配下が
悪魔である事を知り、その多大なるショックを受けた
隙に、貴方様の心は乗っ取られてしまいました。
今は警備隊長と副隊長の能力によって、
昏睡状態です。どうか御目覚めください」
リュシアンは懐疑的な目をラヴローに向けた。
「父上。この者は悪魔の手先かもしれません。
ラヴローに化けて私を騙そうとしています。
私に御命令ください。一刀の元に斬り捨てて
見せます」
王の言葉が発せられる前にリュシアンは俊足で
ラヴローに近づくと抜かれた剣をそのまま
下から上へと斬りつけた。
ラヴローは身をのけぞって剣先を避けたが、
リュシアンはもう片方の手を握り絞めて
一歩前に出たのと同時に拳を腹部に深々と
めり込ませた。
その痛みは本物同然である事にラヴローは
冷たい汗を流していた。
そして王子への視線を王に向けて投げた。
「夢幻の中にあっても普通は死ぬ事は無い。
ただ、拷問のような激痛に耐え切れない場合は
死ぬやもしれぬ。夢幻は現実よりも恐ろしい
場所である事を理解できたであろう」
その言葉でレオニード・ラヴローは
攻勢に出た。流石だと言える身軽な動きで、
放たれた拳を脇腹で流すようにして近寄ると、
剣を横に流した一閃を軽々とリュシアンは
バックステップで避けたが、鎧や腕当てに亀裂が
走って落ちていった。
「若! 暫しの間お許しください!」
その言葉でリュシアンの顔つきが更に鋭くなった。
「やはり敵の手に落ちたか!ラヴロー!!」
二人は同時に前に出て、荒々しい刃から火花が光を
上げると、一脚でお互いに相手の死角から攻めては
守りのお互いに一歩も譲らない攻防を見せていたが、
徐々にリュシアンの攻勢が勝り始めてから、
ラヴローはその異変を感知した。
レオニード・ラヴローがリュシアンを幼き頃より
鍛えてきたが、能力の全てを知っていた訳では無かった。
彼は剣を交える度に、少しずつ鋼を通してラヴローの
エネルギーを奪っては全力で剣を振るっていた。
彼はリュシアンの剣を受ける度に気づかれない程、
僅かしかエネルギーを奪わなかったが、
今ではその差は歴然であった。
「気づいたか! 流石は私の師だけはある。
安心しろ。眠らせて浄化師を探してやる!」
その言葉とは裏腹に、一瞬だけ剣が鈍った。
獅子が大きく振りかぶった瞬間に、二人の間に割って
何かが飛んできた。リュシアンはすぐさま飛んだが、
黒い影は彼を追うようにつけて来た。
王子は緩急をつけて黒い影の死角から、強さの増した
剣を振るったが、黒いナイフのようなもので軽々と
受け止められた。
ラヴローはアリヴィアンである王に目を向けた。
「ここは我が息子の夢の世界。
故に全ては王子の記憶の世界となる!」
近づいた目に映ったのはリュウガであった。
リュシアンは慌てて剣を引いて間合いをとった。
「何故ここに!? あの悪魔は倒したはず!」
黒衣に苦無を納めるようにして、
彼は黒衣をまとった。
「一体何が起きているんだ!?君なら分かるはずだ」
その様子を見てアリヴィアンは理解を示して、
それを言葉に変えた。
「我が国の勇者は、南部の勇者に余程の信頼を
寄せておるようじゃ。彼の言葉になら耳を
貸すやもしれん」
床に片膝をついているラヴローを一瞥して、
フードから顏を出して彼に手を伸ばした。
その手を掴んで熟練の兵士は立ち上がった。
「ラヴローは敵に操られているんじゃないのか?」
「リュシアン。彼は剣の師であり、一番信頼できる
第二の父のような存在だ。その彼が祖国の王子の敵に
なるくらいなら死を選ぶはずだ」
「だが、操られている可能性はあるはず?
現に父王は悪魔に操られていたじゃないか!?」
「彼を見ろ? 王は時間をかけて悪魔に毒された。
だがラヴローはいつも側にいたはずだ。
常に一番身近にいる存在が変化したなら気づくはずだ。
私の知るリュシアンはそういう男だ。違うか?」
涼やかな顏で語り掛けられ、疑いの目で見ていた
レオニードに、目を閉じて軽く首をゆっくりと縦に
頷いて、謝罪の意を表した。
辺りがゆっくりと光に包まれていき、
雲が晴れた朝日を浴びる眩しい太陽を
目にするように、
リュシアンの深く閉じられていた瞼は
上げられていった。
アリヴィアンは水を浴びたように汗を流していて、
ほっとして身体から力が抜けた時に、
背後で精神エネルギーを供給し続けていた
サウロ・ロビンの手が氷よりも冷たい事に気づいた。
彼女だけはこうなる事は予想していた。
❝再会する恐怖❞を
使った瞬間に、全てに近い精神エネルギーがまるで
消えたかのように消耗した時に、刹那の間で再び
完全回復した。
その時、彼女はリュシアン直属の配下とはこれほど
までに凄いと初めて知った。
最初は自信が無かったが、サウロがいる限り、
必ず若様を救い出せると思わせてくれた。
誰もが静かに喜びを嚙みしめる中、
彼女はそっと後ろを見た時、見張りをしていた
若様の腹心であるアルベルト・バジルが悲しみの
眼差しでサウロ・ロビンを見ていた。
二人はリュシアンの三腹心の仲間であり、
アルベルトもまたサウロとは懇意にしているだけ
あって、命に代えても主を救い出す事を知っていた
から、見張り役を買って出たのだと知った。