万夫無当唯一無二の戦武神・呂布奉先軍記物語 第一話 その男の名は張遼文遠
呂布は元朝廷軍の近衛3千騎を率い、
馬元義を再び牢にいれると、
五千の歩兵は荊州城の守りにつかせて
自らは悪の権化でもある反乱軍の一角を成す、
人公将軍と自ら名付けて、大軍を率いて襄陽に
攻勢をかけている張梁の元へ向かっていた。
襄陽城の守りは堅かったが、援軍として来た朝廷軍
は既に敗走し、孤立無援で防戦一方で凌いでいた。
敵は黄巾賊の神と称する張角の実弟でもある
魔術師の張梁と、彼に従う兵五万であったが、
呂布は一切の恐れも見せずに進軍していた。
呂布の強さを見せつけられた朝廷軍の中には、
あの御方こそが、この乱れた世を治めてくれる
人だと確信している者もいた。
敵は五万だと聞いていたが、呂布に続く黄金の鎧を
纏った騎兵隊の誰もが、自信に満ちた凛々しい顏つきに
なっていた。
熱い日差しの中、呂布は水の入った革袋を陰から
手に取ると、ゴクゴクゴクと三口飲んで、
喉に流し込んだ。そして黄金色の騎兵に声をかけた。
「荊州城まであとどのくらいかかる?」
この問いに、兵士は間を置いて困った顏を見せた。
「将軍の馬で駆ければ、半日で着けましょうが、
我々、騎兵隊では二日はかかりましょう」
「では我は先に行っておく故、お主たちは
後からついて来い」
「将軍! 本気ですか!?」
「当たり前だ。自分の言葉を曲げるような奴に
見えるか?」
配下となった男は言葉が出なかった。
「まあよい。敵将はそれほどまでに強いのか?」
「分かりません。ただ、黄巾賊の盟主張角の
実弟で、妖術師だという噂は耳にしてます。
そして援軍に向かった朝廷軍は、
全滅させられました」
「それはいつの事だ?」呂布は眼下に控える
配下に問いかけた。
「20日前の事でございます」
その言葉に武神は反応を示した。
「それは妙だな。朝廷軍は要のはず、襄陽城も
荊州城と同じく巨大な城だ。兵士さえいれば
難攻不落の城になるが、朝廷軍が全滅しても
まだ落ちてないのか?」
呂布は眉をしかめて問いかけた。
新たな主君の言葉は的を得ていた。
特に襄陽城は荊州の中でも重要な拠点で、
都に向けて行くのであれば、必ず押さえて
おきたい城であった。
「はい。我々は影を使います。身軽な者たちで
徒手や飛び道具を得手とする者たちです。
影からの報告は二十日前から届かなくなりました。
少なくとも二十日前までは落城の気配は無いと
報告してきたので、間違いありません」
その者は自信に満ちた表情をしていた。
「敵将張梁は幻術の使い手なのであろう?
幻術を使えば容易く姿を変える事も出来るはず。
お前たちはそうは考えなかったようだな」
呂布の言葉は正しかった。
幻術を使われていたのであれば、
襄陽城は落城した可能性は高い。
│張曼成《ちょうまんせい》が大軍で来た時に
気付くべきだった。
と言わんばかりの顏を見せていた。
「荊州城を攻めるには襄陽城は要となる要害だ。
だが、襄陽城を手に入れるまでは奴等にとって
は集結しやすい位置にある。取り戻せば済む事だ」
「しかし、将軍! 我らは三千騎しかおりません。
奴等が襄陽城を手にしたのであれば、五万以上に
増えているかと存じ‥‥‥!」
「ふん、ようやく気づいたか。お前たちの手足と
なる影たちはすでに死んでおろう。五万と報告を
してきた者は、張梁の配下だったとすればその言
は虚実であろうて。お主は三千騎と言ったが、
お前たちの手を借りるつもりは無い。張梁が真の
幻術士であるなら尚更のことよ」
金色の鎧武者は顏を上げて尋ねた。
「将軍はお一人で襄陽城を落とすおつもりですか?
我らの時とは状況が違います。将軍に敵う者は
誰一人いないと確信しておりますが、攻城戦と
なると話は違います」
呂布は視線を上げて、遠い地にあるであろう襄陽城
のほうを見つめた。
「俺が懸念しておるのは、張梁だけだ。
奴さえ倒せれば後はどうとでもなる。
俺は師とも呼べる友を待っていたが、まだ来れないようだ。
もしかしたら、あの空の下で待っておるかもしれん」
呂布は自らの口で言ったが、その可能性は十分にある
事だと思い出を振り返った。
「俺は先に行く。何故だか分からんが、友が待っている
ような気がする」
眼下の男は怪訝な表情を浮かべた。
「将軍。その友という方は配下もおられるのですか?」
武神は少し間を空けて口にした。
「いると言えばいるが、いないと言えばいない。
あの人は張梁にも勝るほどの術師だ。あらゆる術に
長けておるが、中でも式神術を得意としていた。
あの方が既に襄陽城についているなら、落城させておる
だろうな」
「それほどまでの術師は張角くらいのものだと
思っておりました。
しかし何故、襄陽城に来ると分かるのですか?」
兵士は不思議そうに尋ねた。
「あの人の予言が当たっているからだ。
もう随分前になる。黄巾賊が│蔓延《はびこ》るよりも
もっと前の事だ。あの日から10年ほど経ったが、
今でもあの日の事は、まるで昨日の事のように鮮明に覚えている」
呂布は苦い思い出なのか、厳しい顏をしていた。
「義父が都に用向きがあって不在にしていた時を
狙って、当時最も恐れられていた白虎盗賊団が
荊州城に現れた。言葉では言い表せないほどの惨劇に
見舞われていた時に、俺は貂蝉と共に逃げようとして
いた。だが、一人の男がまるで何事も無いように茶屋に
腰を下ろすと、店の奥に隠れていた女中に茶を所望した」
呂布は蒼天を見上げて、その時の事を思い出していた。
「その者の歳は二十歳にも満たないほどであったが、
既に術師として確立した強さを身につけていた。
その時、俺はまだガキだったが、あの術士の恐ろしさは
今でも思い出せば肌が寒気を感じるほどのものだった。
その術師は冷たい茶を一口飲むと、
空に向けて筆を振るって見事な龍を書いたのだ。
紙も無い空中に描かれた龍に、
その者は息吹を吹きかけると、龍は命を与えられた
ように白虎盗賊団に襲いかかった。
奴等は剣や槍を持って戦おうとしたが、
空に描かれた実体の無い龍には何も出来ず、
全ての敵を喰らい尽くすと、
再び龍に息吹を吹きかけて、
龍はその者の手の平の上で丸い炭となって落ちた。
そして義父である丁原が急いで戻ってきたが、
術師に助けられた事を知ると、
礼を尽くして家に招いた。
義父の家に泊まっていた俺は、
その者に言われたのだ。
お前が二十歳になる頃、
都は悪意ある者どもによって荒れ果て、
各地では反乱軍によって世は乱れる事態となるが、
お前がそれを終決に導く事になるだろうと。
そして襄陽城にて我らは再び出会う事になると言っていた」
「そんな先の事まで分かるものなのですか?」
その言葉に呂布は蒼天に向けて高笑いを上げた。
「俺もお前と全く同じ質問をした。その者が言うには、
術師にはそのような先を見通す力など、
持っている者は誰一人としていない。
だが、一人の大器の持主が世に出る前に死ななければ、
その者の転機が生ずる時だけは分かるのだと言われた。
術師たちはそれを│運命《さだめ》と呼ぶそうだ」
「運命ですか‥‥‥我らには到底理解を超越した
言葉のように感じますが‥‥もしそうなら、将軍は
天下を統一して、世の乱れを正すのかもしれません」
顏を空に向けて呂布を見つめながら、その者は口を開いた。
男の真剣な眼差しに、まるで呂布は背中を押されるような
気分になった。
「黄巾党の張角さえ倒せば、朝廷軍が再び世を正すであろう。
何故そのような事を俺にゆうのだ? お前とて朝廷軍の精鋭
であろう、今の世を乱す元凶である張角を倒しても、
戦が終わらぬような口ぶりは腑に落ちんな。お前、何か知って
おるのか?」
武神の目が細くなり、その眼はまるで敵を見据えるような目つき
で、男の眼から心意を探った。眼下にいる男は呂布の眼だけを
じっと見つめていた。
(少しでも眼がブレれば、心が嘘をついている。
何よりもこの方天画戟が己の頭上にあるのに対して、
一切恐れを抱いてない。腑抜けた朝廷軍の身でありながら、
澄んだ瞳で事実を訴えるこの男は何者だ?)
「将軍が成敗なさった朝廷軍の荊州城援軍司令官であった
宋典は、都での実権を握っている│十常侍《じゅうじょうじ》と申す宦官の一人でございました」
「貴様! ヤツが宦官ならば貂蝉を連れ去ろうとした│理由《わけ》は
なんだ? 言ってみろ! 宦官であるなら女は要らぬはずだ!」
元近衛兵の男は濁りの無い│眼《まなこ》で呂布の眼を見ながら答えた。
「将軍の仰る通り、宦官であれば女は不要でございますが、
奴等の狙いは宮廷を支配し、帝に真実を伝えようとする忠臣たちを
遠ざける為に、宦官と偽って宮廷で権威を振るう者たちにございます。
将軍はそのうちの一人であった宋典を、理由はどうあれ討ち取りました」
呂布はこの者の言おうとしている事が見えてきた。
それと同時に、この男は今の世を憂う真の忠誠心を抱いた
穢れ無き魂の持ち主だと知った。
それは絶対的な力の差を見たものが吐く言葉としては、
本来ならば口外する事は有り得ない話を告げる眼から
察することができた。
この場で語った事が嘘だと思われれば、反逆者として
都に突き出され、反逆罪として裁かれる。
それは死を意味していた。
仮に話が真実だとした場合、それを証明するための宋典は
呂布によって殺された今では、呂布自身が反逆罪に問われる
身になっている事を、この男にとっては何の利も無い上に
命を賭して話している以上、疑う余地は無いと判断した。
「お前の言葉を信じよう。名は何と申す?」
「はッ! 張遼文遠と申します」
「張遼よ、お主はこれより我が配下として
存分に働いてもらうとしよう」
「有難き幸せにございます! 呂布様を主君と仰ぎ、
その名に恥じぬよう身命を賭してお仕え致します」
そう言うと張遼は鎧を脱ぎ始めて、和洋折衷の服に
着替えた。
黄金色の装備を捨てる事は、
彼なりの決別であったからであった。
「お前は都の事にも詳しそうだ。その時が来た折には
頼りにさせてもらうぞ」
「ははッ! お任せくださいませ!」
呂布は張遼の言葉と、かの人の言葉を思いながら
どこまでも続いている青天を見つめていた。