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ウィリアム・スミス・クラークの真意

❝少年よ、大志を抱け❞


誰もが一度は耳にしたはずである
言葉だろう。

しかし、この言葉の意味はクラーク本人が
口にした言葉では無いので、彼の真意は
不明であると言えるだろう。

今回はこの言葉を紐解いていきたいと思う。

クラークはアメリカ人の教育者であった。
日本が招いた外国人で、化学、植物学、動物学
の教師として多くの分野で活躍した。

そして、クラークが日本を離れる時には、
この言葉はまだ知られていなかった。
彼の口から出た言葉では無いとはそういう
意味である。

そしてこの言葉に関しては更に分からない
のは、彼が何かしらのメモ等から見つかった
ものであるか、日本人の誰か親しい人が、
彼ならこういうであろうと考えれた言葉である
かもしれないのだ。

このような事はあらゆる分野に共通して
言えることだが、後日に見つかったメモや
記録の本当の意味は本人にしか分からない。

言葉を残した人物から、それに沿った言葉で
残されてきた事はクラークにも言えることだ。

現代も同様に、本人の言葉ではあるが、
その意志が伝わったどうかは誰にも分からない
ものが意外と多くある。

歴史というものは特に全体的に不明な点が多い
ので、歴史を読んだだけでは勉強的な意味での
何年に何が起きたか、と言ったものしか見えない
ものである。

しかし、多角的な面からあった出来事、主張する
行動の動向、誰と親しかったか、恋をしたか、
愛する人はいたか、生い立ちや死に方、何に対して
怒りを覚えていたか、等を知っていく事により、
人物像が見えてきて、更に人間性も見えてくる。

全ての物事は今でも昔でも、多くの事はそうする事
により、明確になってくるが、時としてこのような
クラークのように、本人さえも残した言葉であるか
どうかも不明で、海外に残された彼のメモなどにも
ハッキリと同じ言葉は無い可能性の方が高い事に
なる場合は、より深く彼を知る必要性が出てくる。

今も現在でも言える事だが、同等な人たちで
語り合う事はあっても、次元の違う人達がお酒等を
一緒に飲みにいくのは、年齢と共に変わっていく。

若い頃はよく遊ぶ仲間同士で行って馬鹿をするもの
であるが、思想や仕事、色々なものを含めた上での
分かり合える人たちで会うようになる。

歴史とは呈して、そのようなものだと言える。
心中を語り合う事はあっても、それは数少ない
理解者たちだけであって、公の場でそういう話は
しないものである。

最近、中国が危険な行動を起こしているように、
昔は更に危険であった。
思想を語り合う事も、気をつけなければならない
ような世界の中で彼らは生きてきた。

中国も思想に合わない考えを持つ人間に照準を
合わせるように再び動き始めた。

ただ、我々が思うにあたり、自らが定めた
大志に対して、クラークは勇気をもって挑戦し、
失敗を糧にし、小さな人間になるなと言っている
事は確かだと言える。

世界でも似たような言葉を言っている偉人も多くいて、
大志や夢に向かって生きていた人や、
現在でもその思想を抱き続けている人もいる。

ただその言葉が残念ながら今の日本人には届かない
だけであって、手遅れになった後に
気づく事になるだろうと、現時点では思われる。

理由としては、生前に偉人だと認められていた人は
意外と少ないという事実から分かる事は、
彼等の言葉を理解し得なかったからだとも言える。

つまりは現在でも同様に当てはまる事になる。
過去だからこそ知り得る事は出来るが、本来は
その時代に知り得る事が大切なことだと言える。

時代は過ぎ、彼等の死後、短い期間から
長い期間を経て、
ようやくたどり着く事は世界に満ちている事だ。

大志を抱けば、充実した人生を
必ず生み出す訳では無い。

それはクラークの晩年は実に悲惨なものだった
ことからそう言える。

偉人たちは大勢いたが、映画などではその人の
輝かしい時を映し出すものがほとんどである。

しかし、当然、彼らにも苦しみの時はあった。
それらは残念ながら世にはあまり出ない故に、
事実として残るのは功績だけであって、
苦悩に満ちた人生は切り取られるようにして
世間の目の当たらない場所に捨てられる。

そのため、事実を見出す事はより難しくなると
言える。映画を見た後、更に追求してネットで
調べる人などは極少数であると言えるからだ。

少し考え方を変えればすぐに気づくはずである
のに対して、人は事実に基づいた映画だという
テロップだけで、その人物を知った気でいるが、
自分の人生に置き換えてみると、すぐに気づく
はずだ。

成功ばかりの人生など、この世に存在しない。
それは会社であろうと個人であろうと同じように、
賢さを増せば増すほど、その苦悩は大きなものと
なる。

それは理解者が少ないからだと言える。
一般的な悩みであれば、相談や共有する事によって
乗り切ることは難しくは無いものであるが、
賢い人間は多くを体験している事が足枷のように
なってしまい、同じような体験者や相談できる相手も
限られてしまい、自己解決の道を選ぶ事になりやすい。

それは地獄とも呼べるほどのものである。
理解者や話せる相手がいない以上、自分だけでは
解決への道は困難だと分かっているため、更に
自分の精神に対して痛みが増していく。

私も経験したことがあるが、アインシュタインも
言っていたように、自分自身が間違っているだけで、
世間が正しいのかと思ってしまうほどの混乱と苦悩が
日々襲ってくる。

そこで潰れる人も当然いる。潰れるとは死を選ぶ意味
のことを指す。何とか乗り越えて、再び自分を取り戻す
事は容易にはいかない。

中には人間不信に陥る人も少なくないし、実に苛酷な
経験として心に焼き付けられる。そういった事は
一部の人しか知らない。功績が目立ち過ぎるため、
世間では有能な人であったという一部の事実だけが
脳裏に沁み込むように、そうだと思ってしまう。

クラークが日本から母国に帰った後、大学の学長を
辞めて、洋上大学の開学を実現しようとしたが、
資金が集まらず頓挫した。

その頃は生活費に困るようになっているほどで
あったが、鉱山会社を設立しようと知人に声をかけて
出資者を募り、「クラーク・ボスウェル社」を築いた。

そして7つの鉱山を買収し、事業は波に乗り、大きな
利益を生み出した。

しかし、知人が横領を繰り返して逃亡、
設立から1年半で破産した。
そして残ったのは負債の179万ドルになった。

親族から破産をめぐる訴訟を起こされ、
裁判では罪に問われずに済んだが、
彼が心臓系の病気にかかり、失意の床にいた時に
クラークは死の間際に言葉を残した。

「札幌で過ごした9ヶ月間こそ、
私の人生で最も輝かしいときだった」

アメリカ人でありながら、
彼が最も活きたのは日本であった。

クラークの人生はそこで幕を閉じたが、
逆に本当の事は分からないが、
輝かしいモノを残した人々もいる。

そこには虚実は無関係であって、
大切な事は受け継がれた教訓であり、
その真偽のほどは分からない
過去があるからこそ、
虚実を超えた世界があるとも言える。

私はテレビは見てないが、
知り合いに徳川家康について聞かれた事があった。
信長、秀吉、家康の中で一番平和に
貢献したのは信長でしかない。

現実的な難題によって信長は英断を下していった。
秀吉にも家康にも出来ない事を信長はした。

GANTZの玄野計が映画でも本編でも言っていたが、

「誰かがやるしかないんだ!」

その言葉通り、誰かが何かしらの犠牲を払わなければ
ならない時がある。
しかし、誰もがその言葉を発さず、やりたくは無いが、
やらなければ戦国時代は終わらなかった。

これは戦国時代に生きた英雄たちの誰にも出来なかった
事であって、避難を一身に浴びる事等どうでもいいと
思える人にしか出来ないことであった。

現代ではゲームや漫画などで信長を悪とするように
なっているが、現実とは全く違う人物である。
そして人は流されやすいため、一度広まった誤解は
多くの人々の脳裏に事実のように上書きされていく。

そういった意味でも、大志を抱くと言う意味にも
繋がってくる。多くの大切な感情の中で、
心身の強さから来る強さでは無く、
弱者であっても、力を振り絞って勇気に繋げる事こそが
本当の大志と言えるだろう。

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