ブレーズ・パスカル
”パスカルの賭け”
有名な話なので、耳にした人は多いと思う。
「神の存在を信じれば生きる喜びが増し、
存在しなくても失うものはない」というものだ。
神の存在が問われる時代があることを念頭に
置いて考えてほしい。
”パスカルの賭け”と云われているが別に
賭けをしたわけではない。
彼は歴史的から見ると、新たな考え、思想が
画期的であり、無限という概念を定着させた
第一人者の一人である。
新たな思想や概念を生み出すのは
私から見れば空気を掴むような話である。
実際に空気を掴めないのにそれを
掴める理論を作るようなものである。
彼のような新しいものを生み出してくれた上で
我々は皆、生きていると言えるだろう。
彼の独自の発想力は、
非常に興味深いものであると言える。
これは”神の存在証明”とはまた別のものだと
考えて欲しい。
つまりは、「理性によって神の実在を証明できない
としても、神が実在することに賭けても失うものは
何も無いどころか、そのほうがかえって生きる事の
意味が増す」と言った理論である。
このパスカルの賭けは、それまで定義されていた
確率論に新たな領域が生み出されたと言えるもので、
それまでの確率の定義に、肯定でも否定でも無い、
全く新しい発想であったため、大変、注目された。
私的にも”パスカルの賭け”を見た時、
非常に面白いと思った。
私の中で神の存在は正直、実在するかどうかは
分からないものとしている。
実際、自分が神だと仮定した場合、人間界に起こる
数々のトラブルや犯罪などにいちいち助ける事など
しないと思ったからだ。
人は何かしらを拠り所としている人は多い。
日本人の場合、そういった話を避ける以前に、
興味を持つ人もいないほど、信心深さを勘違いしている。
世界に於いても日本人は特有な人種となってしまった。
よくアメリカのせいだとか言う人はいるが、全てがそう
なのか? と私は尋ねたい。
仮にアメリカのせいだとするならば、もっと介入されて
いるはずである。政治や戦争に関して、もう約70年前
くらいの法律等、現代で通用するはずが無い。
「教育は自分が受けたものを教えるな。何故なら
自分たちが生きた時代とは全く違う未来を生きるのだから」
と言った偉人もいた。
実際、その通りである。日本がいつも時代から遅れを取る
のはその辺りから新たに、今を生きる人に耳を貸すことが
大事なのではないだろうか。
政党のように、当選するに当たり、その党首の言うがままの
存在になる。時代遅れで賢ければ自ら幕を下ろすべきであるのに
そうしようとする人はいない。
天下りや何かしらの財源があるのにも関わらず、
自分の理論は古いものだと認めず、「裸の王様」のように、
時代の変貌に対して、自覚症状が無いままでいる。
日本を良くすると政治家は誰もが口にするが、
明確にはどのようにするのかを言う人は少ない。
その上、それを公約すると言い、当選後には他の党に
行く等して国民を裏切る。
正直、信頼関係を結ぶのは難しい事ではあるが、
それどころじゃない事が起きるのであれば、
日本国民は、どうやって対処するのであろうか?
内輪で揉めていては、益々、日本は遅れを取る事に
なるだろう。
自民党が長く続くのは、基本的にお金持ちに対して
優遇措置をしていたことから始まった。
有力者を味方につける事によって、お金持ちを
大事にする党となった為、これまでは何とかしてきたが、
もう次元を越えた場所に我々は佇んでいる。
どう動いても賛成者もいるし、反対者もいる。
政治そのもの腐ってしまった今では、特に反発は大きな
ものとなるだろう。
このような場合でも、最悪の事態が予想できても、
それらをものともせず、突き進める人が必要になるのだが、
今はまだ愛国心のある英断の下せる人物は、どこかにいる
はずだ。