田舎に住むという選択
「俺、絶対こんなとこ住むの嫌。住む奴の気が知れないわ」
憧れの男性の先輩が放った言葉に、淡い恋心が一瞬で冷めた事を覚えている…
18歳から22歳までの4年間を私は名古屋で暮らしていた。
東北の田舎町から進学し、バスも電車も30分から1時間に一本あるかないかの不便で、おしゃれな店も無く、人間関係がひどく狭い場所から解放された4年間だった。
名古屋で出会った男性や女性達は華やかだった。
田舎者で、世間知らずで、おバカだった私は、バイトやサークルで知り合った男性達と遊び呆けていた。
ノリが良く、女性の扱いに慣れていて、いい車に乗り、ブランドの品を常に付けていた彼らにとって、田舎者の女と遊ぶ事くらい容易いもんだ。
「みんなで海に行こう」と言われ、ホイホイついて行って、その車中で飛び交った言葉達の中に、冒頭のセリフがあった。
ギャハハと笑いながら田舎の風景を笑う男と女達をただぼんやりと眺めていた。
あんなに嫌だった場所でも、人から馬鹿にされると悲しいもんだな…
と思った。
都会で知り合った人達は、私の憧れていた世界に住み、華やかで、魅力的だったが、「バイバイ」と別れてしまうと、とてもあっけなくて、1人でアパートに帰るとポカンと穴が空いたような虚しさに襲われた。
それが嫌で、私は毎晩遊び歩いた。
(※いや、貴方勉強しなさいよ!)
虚しさは何をしても埋まらなかった。
遊びに遊んで、現実逃避して、あっけなく留年…
当たり前だ。
でも、心底安心する場所が出来たのは留年してからだった。
一学年下の子達は地方出身者が多く素朴だった。
長野や長崎の島からやってきた男の子と女の子が私の癒しだった。
長崎の子は私のアパートの隣に住んでいた。
今考えてみると、奇跡の巡り合わせだった。
「あっ、牛みたいな匂いする」
「山がないと守られてない感じ」
「虫鳴かないんだね」
「歩いてコンビニ行けるなんて夢」
他愛も無い言葉の端々から田舎者は滲み出る。
それが何だか嬉しかった。
私は、留年してからよく笑った。
3人で一緒にいるとすごく落ち着いて、勉強も頑張れた。集中できたというべきか。
長野の男の子が
「僕地元に絶対帰りたいんだ」
と言った。
長崎の女の子が
「私も」
と言った。
私は、帰りたく無いと言った。
まあ、意地みたいな感じ。
親に見せる顔が無かった。
田舎あるあるだが、
「高い金出して進学させたのに、留年したダメな娘」だと地域住民、親戚一同みんなガッカリしていたようだったし…
噂の広まり方がエグい。
だけど、今じゃ何もなかったかのように平凡で穏やかな関係を築けている。
生きてりゃ色々あるってみんな知ってる。
田舎の暮らしには、華やかさも便利さも娯楽もない。
都会から移住しても、数年でリタイヤしていく人たちも見てきた。
気持ちは良くわかる。
都会からの風景からすると、田舎は非現実的で解放的で魅力的に映るのだろうけど、物理的な不便さや近すぎる人間関係はどこか異質だ。
まあ、東洋哲学風にいえば、全て「空」と思えば
田舎暮らしは可能だろう…。
「田舎いいですよ。自然て最高!」
とは絶対言わない。
ただ、言えるのは、
美味しい空気があり、呼吸がしやすい事。
人と人とがやたら近いから面倒だけど、いざという時助け合えるし、なんだかんだみんな優しいという事。
人間が自然の中のほんの一部だと思わずにはいられないから、感謝の気持ちが芽生える事。
私には必要な学びが田舎にはあった。
余計なプライドを捨てれば田舎は悪く無い。
今は、田舎で生まれ、都会を知り、また田舎に住めている事を誇りに思っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?