清水舞台より飛ぶ夫
個人所有の車をカーシェアしてもらえるサービスがある。
6月のある日、夫はそのサービスを利用して旧車を借りた。仮にZとする。
早朝、夫は電車で埼玉から車を借りる約束の場所に行った。
そのまま運転を楽しんでくるのかと思いきや、借りたらわざわざ自宅まで乗って帰ってきた。家族の誰かを乗せたかったのだろう。
乗れるのはひとりだけ。
と言っても誰も食いつかない。
私がドライブに付き合った。
借りたのは年式1997年のZ。
こんなカタチの車が流行ってたなあ。
ヤンキーの車かと思ってたと言うと、
「ちゃうで!
この時代の名車やで!」
と熱く反論してきたので、私は外を見た。
もう横浜か。
夫越しに赤レンガ倉庫が見える。
夫は内装の良さについて、まだ語っている。
たまらなく好きらしい。
ふーん。
私は車にあまり興味がない。
愛想なしの自覚はある。
いつの頃からか、取り憑かれたように作っている夫のプラモデルに関してもそれは同じだ。
なんか似たような、西部警察で使われているような(夫は西部警察が大好き)
古い型の車のプラモをズラリと並べて悦に入る夫を見ても
ふーんである。
Zも作ったらしい。
湘南で生しらすとお造りを買い、広い駐車場があるファミレスでコーヒーを飲んだ。
そして車をオーナーさんに返却し、電車で家まで帰った。
カーシェアでZを借りてドライブした日、私は夫に芽生えている気持ちにまったく気付いていなかった。
夫はプラモか実車かわからんようになっていたのである。
それからひと月ほど。
夫はZを買いたいねんと言った。
プラモデルじゃなくほんまもんの車。
はぁ?だった。
プラモデルちゃうねんでと私は思った。
夫も少しは悩んで、友人たちには相談していたようだ。
車好きの友人たちだ。
そりゃ背中を押すでしょうよ。
販売店で気に入る古いZを見つけていた夫は、清水の舞台を飛び降りて旧車を買った。
夏休みに夫はそのZで埼玉から兵庫県まで帰省した。
車好きの友人夫婦が車を見にきたとき、私は彼らに言った。
「アンタ達さ、うちの人の背中を押したでしょ。はい正座。」
私に説教されると思ってなかった友人夫婦は笑いながら目を逸らしていたが、車の話に花は咲いてしまう。
身に覚えはあるらしい。
友人によると、旧車を買ったらメンテナンスは当たり前、それも込みで旧車の醍醐味、とのことだ。
帰省前には冷却水の水漏れが見つかり修理、帰省の途中では助手席のパワーシートを倒したら元に戻らなくなって、その後クーラーが効かなくなった。
醍醐味ねぇ。
夫含めて、はい正座ー。
友人夫婦はハイテンションだった。エンジンを見たり、後ろから見たり、ちょこっと運転もして、次は高速を走りたいわーと言っていた。
自分が乗っている車への愛着はあるのだが、特定の車種への憧れという気持ちが私にはわからない。
ところが夫の周囲の人たちには、この旧車は好評で、ちょっと運転席に座ってみてもいい?
なんて人もいる。
嬉しそうな人を見ながら私は心の中で、「はい正座ー」とつぶやいている。
でもみんなが喜んでくれたら私も嬉しい。
うれしないわ!
ひとりでボケてひとりでつっこむ。
まだZを運転したことはない。
我が家のZは今、入院中。
夫は旧車の醍醐味を味わっている。