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10月5日のこと


乳がんの手術から2年が過ぎた。
術後は左腕をまっすぐ上にあげることができなくなって落ち込んだ。
ところが最近になって不自由だった左腕は右腕と同じだけあがるようになった。
ちょっとくらいの痛みはある。
上腕から脇が突っ張る感じがする。
でも十分だ。
ライブの巧妙?
焦る必要はなかったのだ。



1997年10月。
私は妊婦だった。
5か月の妊婦検診に行ったら、そのまま病棟に連れていかれて入院となった。
切迫流産。
お腹の張り(収縮)の自覚はあった。

「このまま入院なんてできません」と言って一度は家に帰ったという強者の話をその入院期間によく聞いたが、初めての妊娠だったし近所に頼れる人もいなかったので、私は無抵抗かつ準備ゼロで入院した。
朝干してきたベランダの洗濯物が気になった。

お腹の張りを軽減する薬を24時間キープで点滴投与し、安静を保ち、2週間様子を見るとのことだった。

お腹が大きくなるさまはずっと病院のベッドで見た。
私は退院できなくて、病名は切迫流産から切迫早産になった。
あっという間に6人部屋の主(ヌシ)扱いされるようになったが、予定日はほかの人より先の3月だった。

10月5日に入院して2週間どころか、クリスマスもお正月も病院だった。
産院にはさまざまな理由で入院する妊婦さんがいて、プレママ教室には参加できなかったが入院仲間ができた。
ふたり目ママの出産育児の話はすべて初耳だった。
突然点滴につながれたので、まだマタニティパジャマもないの、と言ったら、隣りのベッドの人が通販カタログを見せてくれてマタニティ用品を一緒に選んだ。
夫が家のFAXで注文した。
スマホがない時代の話だ。

実家の母や義母は兵庫県からたびたび埼玉にやってきて私を励まし、夫一人の自宅の家事を手伝ってくれた。

ベッドの左側にテレビ台とチェアが置いてあったので、私はいつも左側を下にして寝ていた。
そのほうがお腹が安定するような気がしていた。
同じ方向で日がな一日寝ていて4ヶ月経ったら、人の身体はどうなるか。
左耳がペロッペロになったのである。
お見舞いにきてくれたゆっこちゃん(義妹)に触らせたら、右耳との弾力の違いに
「お姉さん、ひゃーーー!」と言ったので笑った。
出産前に味わった人体の不思議。
耳はペロペロになります。

4ヶ月半も入院して、妊婦生活のほとんどを病院で過ごしたが、3月に長男を無事出産した。

赤ちゃんだった長男はなぜか左ばかりを向いてしまう。頭の形に影響するのではと心配して、右を向かせるために枕で左側をブロックして寝かせたりした。
私の左耳の弾力はそのうち元に戻った。

切迫早産で入院した日から25年後の10月5日に同じ病院の乳腺外科で乳がんの手術を受けた。
そのとき入院1日目の担当看護師さんがマタニティマークをつけていた。
お腹はまだ目立たない。
5か月に入ったところで予定日3月なんです、と教えてくれた。
忘れてかけていた妊婦カレンダーが一緒だったので話が弾み、話しているうちに切迫早産入院日と手術の日がまったく同じ10月5日と気付いたのだった。

病院の職員は、出産費用を割引してもらえるそうだ。
産院の今の院長は当時の若手の先生ということもわかった。
看護師さんには、元気な赤ちゃんを産んでくださいねと言った。
手術前日の緊張がほぐれた時間だった。

手術は全身麻酔で、無事終了した。
コロナの影響で面会はなし。
ドレーンを使わない病院だったので、その翌日には退院した。
2泊3日の入院だった。
家に帰って3日くらいは病人だったけど、回復は早かった。

乳がんの治療はまだ続く。
私は自覚症状がなかった。
乳がん検診を受けて見つけてもらって感謝している。
10月はピンクリボン月間。
検診を受けるきっかけが、もっと身近で気軽になればいいなと願う。

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