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冷や飯あり

父は困っていた。
「ご飯炊かんでもええで。」
何度言っても母はご飯を炊いてしまう。
冷凍ご飯にはできない。
冷凍庫は、母が刻みに刻んで作った冷凍野菜でいっぱいなのだ。
母にはご飯を冷凍する習慣もなかったように思う。

冷蔵庫には冷やご飯がある。
それをレンジであっためれば2人分の夕食には十分だ。
しかし炊飯器が空っぽだったらご飯は炊かれる。
炊かなくていいって何度言っても。

ずっと家族のご飯を作ってきた母は、ここにきて父とふたり分の適量を見定められず、食べきれないほどのご飯を炊く。
父は炊き立てご飯を食べずに、もったいないからと言って冷蔵庫の冷やご飯を温めて食べている。
冷やご飯にするためにご飯を炊いているようなもんだ。

私の母のように、認知障害があって余分なご飯を炊いてしまう、など同じことを繰り返すのは、昔の話を繰り返すのと同じで、直近の記憶がぼんやりしているので鮮やかな昔の記憶に頼る結果の表れという。
ご飯を作って生きてきた、その習慣は残る。

ということは、私だってきっとそうなる。
息子らが中高生の時は食べ盛りのお弁当2個分もプラスされ、4合か5合のご飯を一日に2回炊いていた。
同じマンションの強豪野球部ママなんて、お弁当に毎日毎日3合メシを持たせていたじゃないか。
炊飯は、台所を取り仕切ってきた自分の鮮やかな記憶として残るのだろうか。

高齢のお母さんが余分にご飯を炊いてしまうお話はあちこちで目にする。読むたびに家族の困り事として共感してしまう。
うちのお母さんだけじゃないんだな。
炊かれて残った冷やご飯ばかり食べるより、先に手を打ちたくてお知恵を拝借し父に伝える。

紙に書いて貼ってみる気になった父は
「米を炊かない」と書いた紙を炊飯器の前に貼った。
が、母がその紙をセロハンテープごとピッと捲ったら目の前にあるのは空っぽの炊飯器で、やっぱりご飯は炊かれてしまった。
見張るわけにもいかない。

次に父はカードを作った。
「冷飯あり」
すみっこにお茶碗の絵でも描きたいようなこのカードを炊飯器の上に置いた。

ひやめしあり

そしたらこれが正解だった。
母は余分なご飯を炊かなくなった。

母にとっては「炊かない」という禁止の言葉ではなく、
「冷や飯あり」の「あり」
がよかったんじゃないかと思う。
ご飯がある、という安心感を得ることで、母はまず冷蔵庫の中を探すようになったようだ。

食べるご飯がなければ父はカードを裏返す。母は存分に米を研ぎ、ご飯を炊く。
父は、母が自分の術中にハマったことで
「効果は大!」
意気揚々、自信満々のメールを送ってきた。
電話でも嬉しそうだった。
「効果抜群や!」
私は父を褒めちぎった。
「それはお父さんのお手柄やで!」

それから二週間くらいしか経っていないのに、父は電話で再び気になることを話すようになった。

「お母さんいうたら飯は炊かんようになったけど、レンジでチンのパックご飯をすぐにあけてしまうねん。」

この間、私が実家の備蓄用に買っておいたパックご飯だ。
次々に開封されたパックご飯(レンチン前)が冷蔵庫にあるそうだ。

冷や飯ありには違いない。

父は未開封のパックご飯を見えないところに片付けたと言うが、この米騒動、父と母の攻防はもうしばらく続くだろう。
父の愚痴を聞きながら、見守っていくか。











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