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いよいよとしよ
私は不義理の極みで、年賀状終いの挨拶もせず12月の年賀状世界からフェードアウトした。
いただいたお年賀状には、年が明けてから一枚ずつ返信するだけとなった。
年賀状のかわりに、新年すぐの真夜中に友人とLINEのやり取りをする。
わりとみんな起きている。
20代前半のうちの息子らには年賀状という文化は浸透していない。
それでも小学生の頃は友達や担任の先生と年賀状のやり取りをしていた。
私が次男に書かせて、投函できなかった年賀状が一枚手元に残っている。
次男が小1のときに担任の先生に書いた年賀状だ。
家族写真を印刷して本人がひとことコメントを書けばオッケー。
宛先は私が小学校の住所を書いた。
次男が〇〇〇〇子せんせい、と教えたとおりに書いている。
余白のひとことコメントは
「いよいよとしよー」
と書いてあった。
ん?
いよいよとしよーって?
先生は女性で、そのとき自身のお子さんふたりが高校生と言っていた。
ときには先輩ママのように、家庭でのゲームとの付き合い方や受験の話など、ざっくばらんに話してくださる40代後半の先生だった。
その先生に対して
「いよいよとしよー」とは何事か。
私は、息子に「どうしてそう書いたの?」と、優しく尋ねるママではなく、何を書いとるんじゃい!と速攻で怒って、新しい年賀状に何かほかのひとことを書かせて投函した。
ああセーフ。
気づいてよかったよー。
我が家の小1男子の
「いよいよとしよ」は、
「よいおとしを」というつもりで書いた、ということがわかった。
いよいよとしよ、と聞こえたらしい。
冬休み前の授業最後の日、先生が教えてくださったそうだ。
「大晦日まで、その年の最後のさよならの挨拶には『さようなら』のあとに『よいお年を』って言います。元気で楽しい大晦日とお正月を過ごせるようにね。」
小学校は2学期制で、冬休み前には成績表も終業式もなかった。
でも年末の区切りとして、先生はクラスの児童ひとりひとりと、
「よいお年を〜」と言いあって握手して教室から送り出してくださった。
と、いうことを同じクラスのとてもしっかりした女の子のママから聞いて初めて知った。
いい先生に教わったものだと今でも思う。
小1女子は、学校の出来事をお家でちゃんと話していた。
我が家の小1男子は、そこまで詳細に話さなかったし説明できなかった。
しかも「いよいよとしよ」だ。
盛大な誤解による書き損じを母ちゃんに発見され、叱られて書き直しを命じられたのだった。
先生に教わったこと、頭の隅には残っていたのにね。
ま、違ってるけどね。
小1男子。
男子の悲しみ。
しかし小1男子は陽気だった。
年賀状の写真の次男はふざけた表情だったが、その年、次男の写真は全部その顔なのでしかたがなかった。
その顔とは「世界のナベアツ」
3の倍数と3がつく数字でアホになる人。
(知ってる人はその場で手を挙げてください)
次男は世界のナベアツが大好きで、写真を撮るときは、
1、2、さーん!の顔だった。
男子の悲しみあまりある。
翌年の写真はオードリー春日のトゥース!か、「鬼がわら」だった。
そんな息子もどうにか大人になり、私は「いよいよ年よー」と言われても、それがどないしたんじゃい!と言える母ちゃんで、いまだにこの家の法律は私だと言わんばかりにのさばっている。
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2025年もどうぞよろしく。
2025、3の倍数なのでアホになります。
noteを始めてもうすぐ一年。
最初は母の異変に戸惑い、母のために記録していこうと思って始めたnoteでしたが、気づけば母のためなんかじゃなく自分のための記録となってしまいました。
それもまたよし、それでいい。
母のお陰でこのnoteの世界を知りました。
たくさん読ませていただきました。
共感爆笑尊敬、日々の暮らし。
記事を通じて知り合えたnoterのみなさま(私からの一方通行含む)、読んでくださったみなさまに感謝申し上げます。
お元気でよいお年をお迎えください。