マルクス主義

マルクスやフロイトが19世紀的あやまちのまとめ(栗本慎一郎)とされるのは偶然を必然化するやり方の荒っぽさだと思われる。他の立場はたまたま自分が生まれた環境という偶然をまぬかれない。少なくとも原理的には遺伝的決定や環境的決定の克服が目標となっている。ただ偶然性=生まれのよさ(傾向)、を強調する立場がただのカオスとなって雲散霧消した、そういう世界にわたしたちはいる。けっきょく必然化のやり方である。必然化できていないのにそうしたと線を引く、事後的にそれが壊される、その繰り返しである。ラカンはフロイトの決定論に言語の恣意性の非決定論を介在させて必然性の立て直しをはかったものである(アルチュセールはそうとはいえない。)

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