知識があるということ


AIに置き換わると言われている
人間の知識分野であるが
そもそもどうして知識が
必要か考えてみたい。

知識があるとどんないいことがあるだろうか。困ったときに対応できる
人との話のネタになる。
これは表面的な部分である。
そこは本質ではない。
私が思うに知識は接続にこそ価値がある。

例えば
人間の体は原始時代から構造は
変わっていない。
ということとテストステロン値が
痩せすぎても
太りすぎても低くなるということが
私の中では接続してこんな解釈になった。
(テストステロンは生殖を司るホルモン
狩りの時の活力を生み出すホルモン)

原始時代において痩せすぎているということは、栄養がなさすぎる状態を意味する。

そんな状態で生殖をすることは
よりエネルギーを放出することにつながり
その個体の生命の危機になるので
生殖に向かわせないため
テストステロンが抑制される

逆に太りすぎているということは
栄養が多すぎる状態であるので
狩りをする必要がない。
つまりテストステロンを出す必要がない。

これ自体
検証しなくてはいけない仮説であるが
知識があることにより
接続して仮説を立てることができる。
これはかなり大きな力なのではと思っている。

次が転用だ。
転用は似た構造を見出したりする能力である。
例えば、やるかやらないか二択で悩んだとき

私はスラムダンク理論を提唱する。
主人公桜木花道が最終戦安西先生に
君がオフェンスリバウンドを
獲れば結果として4点分のプレーになる
というものだ。

バスケの得点は単発2点だが
何かことを起こせば
それ以上の価値が出るということを
示す理論なのだが、これが結構転用できる。

会議で普段は発言しないが
勇気を持って発言したとき
発言したことそのものに価値が
あるのに加えて
勇気を持ってチャレンジしたことという
経験も手に入る

自分自身がやるかやらないか迷った時
必ず大きい効果が得られることが
わかっているので挑戦できる。
他人を説得するときも同様だ。
色々な場面で使える。
状況を見た時にシステムとして
同じだった場合
他の過去の例から参考として
使うことができる。
転用できるシステムを知識で
持っておくと問題解決能力が上がる。

以上の2点において
知識は必要であると私は考える。

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