教養とかいうやつ
教養深さが今も昔も好きだ。NHKのEテレの善良に狂ったシュールな笑いが好きだ。なんで好きなのか考えていた。
知識に裏付けされた心地よい掛け合い、ウィットとかいうやつ。あれも、まあ好きだしまあ許せる。
が、それを自認し始めると腐臭が漂ってくる。私が好きなのは他者に分け与えようという善意に裏打ちされた知や自他の区別がないような掘り起こされたばかりのもっと一次的で粗暴な知だ。
教育というのは、本来未熟な子どもに対し世の道理とかを色々弁えた教師という力関係がありすぎる二者が同じ目線に立つという教師側に相当の純粋贈与への覚悟がないとできないことなのだ。(勿論子どもが教師を信頼することも相当すごい。)だから子どもに分かりやすいように面白く教養を受け渡そうとするEテレは善意を感じ取れて好き。
あるいは何か探究して(人と会話するとか読書するとか勉強するとか映画やアニメを見るとか研究するとか冒険するとかスポーツするとかいろいろ)何か気付きを得た時、自分が取り組んでいる相手や物事というのは他者であり、関わりの中で知を掘り起こした瞬間はその私とかあなたとかの境界が消えると思う。当然得た知は自分のものともあなたのものともつかない。
私にとって教養とはそういうものである。
それができないなら―知を特権化するなら―知に敬意を払う気が失せてしまう。しゃらくせえと鼻に思い切り皺を寄せて手を出したくなってしまうが、自分はそんな腕力はない雑魚なので代わりにバイオレンスな映画を観てすっきりしてしまう。
良かったな、世の中のルールが基本的に暴力否定で法治だから教養に胡坐をかけるんだぜ。でも他のルール導入された日には瞬殺なんじゃねえの?その謙虚さは持ちたいよな。