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2024寮祭企画シネマ上映『空を飛ぶ』➄

5作目『ルナ・パパ』。映画愛のこもった名文だ。まじで書いてくれてありがとう。

『ユーモア、オプティミズム、ファンタジー、物語。それは人類が持つ冷たい惨劇の運命に抵抗するための、最強の武器なのかもしれない。
 そんなことを思わされる映画はそこまで多くはなく、そういう映画は経験的には全て並々ならぬ傑作である。そして、この映画はそういう映画である。
 本作は激しい内戦を経験したタジキスタンを舞台に繰り広げられるすっとこどっこいドタバタコメディである。内戦真っ只中のタジキスタン、家父長制と男尊女卑バリバリのその国で17歳の少女マムラカットは、全然最悪な流れに身を任せ、顔も知らぬ男の子どもを孕んでしまう。マムラカットは堕胎を決意するが、街唯一の医者がわけの分からぬアホ過ぎる展開でぶち殺されてしまい、失敗。しかし、そんなことでは全くくじけない!ということで、超絶パワフル親父と戦争で壊れてしまった兄とともに、車ぶっ飛ばして父親を探しに行くってな話だ。
 音楽、動き回るカメラ、間抜けな展開に満ちた脚本は、内戦真っ只中を描くなんてピースフルであるはずがないこの映画を、どういうわけか全くピースで珍妙な雰囲気にしてしまう。マムラカットを演じるチュルパン・ハマートヴァの可愛さは限界を超えており、モーリッツ・ブライブトロイをはじめとした名脇役が出す味もたまらなく優しい。
 戦で人が死ぬというどうしようもない現実に、人々は何ができるか?
それに抵抗するために人類が取る手段はたくさんあるが、本作が採用するユーモア、物語、マジックリアリズムというアプローチは、何かものすごい可能性を感じさせる手段なのだ。前述の通りちょくちょくわけのわからぬアホすぎる展開で人がぶち殺されるのだが、それは銃撃と空爆の切実な現実、圧倒的不条理を「映す。しかし笑える様に。」という抵抗である。
  笑いと映画は認識を逆転させる可能性を持つ。例えば笑いで言えば、ずっこけるなんて痛いだけのことが、笑いによってポジティブに逆転されるなんてのは簡単な例だろう。そして映画で言えば、最たる例はリトアニアに生まれたヨナス・メカスだ。彼は二次大戦の戦禍に否応なく巻き込まれ、ドイツの強制収容所に収監された後、なんとか脱出しアメリカへと亡命した。
 しかし、彼が『幸せな人生からの拾遺集(原題:Outtakes From The Life Of A Happy Man)』(2012)で振り返った彼の人生では、なんだか平和なホームビデオが延々流され、戦禍の姿は綺麗サッパリ、一瞬たりとも映されなかったのだ。そして彼は映画の中で自らの声で、”Memories are gone, but the images are here. They are real.”と軽やかに宣言する。彼は戦禍に屈しなかった。ある意味で本当に、彼の中で戦禍は消えたのだ。ここまで完遂される抵抗というのは中々数少ないが、少なくとも「惨劇を映す」というメディアとしての映画においても、それをその通りには、悲しいようには映してやらないという抵抗は、決して屈しないという覚悟の表れである。
 このアプローチは、同じように激動の内戦を経験したユーゴスラビアを舞台にしたエミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』(1995)にも非常によく似ている。ラストに顕現する奇跡的マジックリアリズムも同様だ。この世界と同じくらいに徹頭徹尾狂っているこの映画において、完全に狂いきった頂点の「空を飛ぶ」は、これだけ努力してもまるで遮断できない重力という不条理の象徴を、鮮やかに突破することなのだ。』               文:松澤


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