烏龍茶と笛ラムネ
寮の隣人とお茶をしながら彼女の卒論について話した。
AIとの自然なコミュニケーションをするにはどうすればいいかについて…
今は東京に行った同部屋が残していった台湾烏龍茶を淹れたら(ありがとう!!!!めっちゃ美味しいよ~)、お茶菓子にコリスの笛ラムネを出してきた。飾りとか言っておまけのウサギのプラスチック玩具を添えて。
「まあ、干菓子と似たようなもんですよね」
「砂糖固めたもんやからな」
「随分さわやかな匂いがする干菓子ですけどね」
彼女曰く円滑なコミュニケーションのためには忘却も一定必要なのだそうだ。何もかもつまらんことまで逐一覚えていたら話題の優先順位が付かない。
例えば数か月後にまた笛ラムネを彼女と食べる時が来たとしたら、私は「今度は何茶を淹れましょう」とか話しかけると思う。それは今笛ラムネを茶菓子に茶をしばいているというこの状況を二人で楽しんだという文脈があるからで、これを共有しているために次同様の状況で「何茶を淹れましょう」と言えば彼女はそれを思い出して笑ってくれるだろうと予測しているからである。
彼女が笑っているから、この会話は楽しいもので重要だから覚えていた方が良いと判断した。ということは、コミュニケーションにおいて相手の表情(笑顔、怒気、涙…)とか声色などから総合的に重要度を図り、インパクトの大きなものは記憶しそれ以外は寝ている内に忘れているんじゃないのかな。
ピュイイイイイ←そう思いません?
ピー!←応答
ピー!ピ・ピー!ピーッピーッピピー!←意味不明の調子を取った音
ピー!プピーッ!ピ…ッ←相手の真似をしようとして失敗して出た音
ムシャムシャ←諦めて咀嚼する音
ボリボリ←同
ゴクゴク←お茶美味しい
まあコミュニケーションって誰かと誰かの間で情報交換だけじゃなくて、そういう感情的な親和性を上げる側面もあると思う。
そこから駄弁っている内になぜか日本語って音は同じでも意味変るよねみたいな話をした。
「『さらわれた』って家族からメールが来たとしてさ、皿割ったんかーって新しいの買って帰ったら強盗に誘拐されてましたとかどうですか」
「いや、それで皿買って帰ったら転んで膝の皿割ってたとか」
「『この町は魔物にすくわれたんじゃ』ってどう思います?」
「あ、あーー把握」
救われたか巣食われたかでその後の対応が変わるから結構大事だと思う。双方で勘違いが進んだまま、何の齟齬も表面化しないような話が書けたら良い叙述トリックになると思った。だれか考えてほしい…。