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りんご:輪るピングドラムと宮沢賢治

今や少し珍しくなってきているかもしれないけど、蜜柑て赤色のネットに入ってますよね。あれを端から少しずつ巻き返していくと、最後には可愛らしい姫林檎が出来上がります。分かんない?「みかん ネット 巻く りんご」とかで画像検索してみて欲しい。
内側と外側が連続する感じが好きでよく作った。
林檎、字が綺麗だしフォルムも色も美しいし味も美味しいので好きな果物である。一日に4軒ほどアップルパイを求めてお菓子屋さんを巡ったこともある。(蜜柑も大好きだけど今回は関係ないです。)

『輪るピングドラム』というアニメがあるのだが、この作品では、家族という呪縛でも絆でもある関係を結ぶ愛を「ピングドラム」と呼び、手から手へ、時に半分こにして受け渡されるリンゴの果実で表現している。なにぶんメタファーの使い過ぎで現実と精神世界がごっちゃになっているわけわからん作品ではあるけれどとても面白い。
ところで『輪るピングドラム』は宮沢賢治と、村上春樹の影響を強く受けている。だから最低限『銀河鉄道の夜』を押さえておけば随分分かりやすくなるのです。
アニメ第一話冒頭で道を歩く小学生男子の会話↓

小学生甲「だからさ林檎は宇宙そのものなんだよ。手の平に乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ。」
小学生乙「あっちの世界?」
甲「カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ。」
乙「それと林檎になんの関係があるんだ?」
甲「つまり、林檎は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ。」
乙「でも、死んだら全部おしまいじゃん。」
甲「おしまいじゃないよ! むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ。」
乙「わかんねぇよ。」
甲「愛のハナシなんだよ?なんで分かんないのかなぁ~。」

↑これもなんとなく分かるようになるんですなぁ~。にしてもこのアニメ、一話目の一番最初で結論が示されるという鮮やかな伏線っぷり。
社会学者の見田宗介は、『宮沢賢治: 存在の祭りの中へ』において以下のように述べている。↓

「りんごというものの形態の一番大きな、だれにでもすぐに目につく特質は、それが<丸いもの>であるということ、けれども同時に、ゴムマリのようにとりつくしまもなく閉じた球体ではなくて、孔のある球体であるということ、それもボウリングのボールのように、表皮のどこかに外部からうがたれた孔ではなくて、それ自身の深奥の内部に向かって一気に誘い込むような、本質的な孔を持つ球体であるということである。それは人間の禁断の知恵の源泉についての良く知られている神話の中で、<鍵>の象徴としてえらばれているように、存在の芯の秘密のありかに向かって直進してゆく罪深い想像力を誘発しながら、そのことによって、とじられた球体の「裏」と「表」の、つまり内部と外部との反転することの可能な、四次元世界の模型のようなものとして手の中にある。」

このイメージは確かにあちらの世界とこちらの世界を繋ぐ「空の孔」にも通じるなあ。
また外部と内部が反転するという点は「あなた」と「わたし」を融け合わせるという感じもする。愛による死を自ら選択する=自己犠牲のその時、その行為はあなたのためとかわたしのためとかいう理由づけを越えた境地にあるんじゃないだろうか。自己犠牲というと暗く険しい道に思えるけれど、賢治は生命は連環するもの(視覚的には手塚治虫が常々描いてるやつ)という認識のもと肯定的に捉えている。童話『おきなぐさ』において、うずのしゅげという銀色の綿毛たちは風に乗って飛ばされてゆき、「丁度星が砕けて散るときのやうにからだがばらばらにな」る。それは死だが、そのことによってあらたな芽吹きが繰り返されていく。

自他が分かたれていない感覚かー。赤ちゃんの頃はそうだった筈なんだけどな。生憎忘れてしまった。ひとつ思うのは、それは「他者を理解すること」とは違うだろうということである。以前は「理解しえないことを重々わきまえながら、それでも理解しようと努力し続けること」を続ければこの境地に近づくかと思っていたが、最近はそれも微妙に違う気がしてきた。「理解する」とは対象に対してメタ的位置に立つことであり、どうしても上下関係が生まれてしまう。上下関係、というより、互いに相手を自分のレンズの視野内に収めてやろうという欲望が働いてしまうことが難点に思える。
『ポゼッション』とか『牯嶺街少年殺人事件』においてヒロインが主人公に「あんたに私が分かるわけないでしょ」と叩きつけるシーン、見といたほうがいいと思うよ、うん。いやこれは男女問わず。そう言っている自分こそ見るべきである。
理解できなくて良いというか、そのような気負いは必要ないと思う。この先は何だか一層胡散臭げな文章になりそうなのでもうやめよう。

まあだからほら、誰かと融け合いたいなら、ひとつのりんごを分け合ったらいいんじゃないでしょうか。ゆっくりと時間をかけ丁寧に切り分けて味わうのはとても幸せなので。その際には「気になるリンゴ」とか「アップルクーヘン」をおすすめします。前者はパイで後者はバウムクーヘンなのですが、どちらも丸ごとひとつ蜜煮のりんごが使用されています。
とか思っていたら、お邪魔した友人宅でまさに「気になるリンゴ」を3人で分け合ってお茶を飲むという幸せに過ぎる時間を過ごした。
しあわせだなあ。





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