20240410
女の人がミニスカートをはくのは良くて、男の人が上半身裸になるのは加害になる、という空間が確かに存在する。男性の方が女性より多い男女混合シェアハウスとかを想定してほしい。
これはどうしてなのだろう…
そこでは後者は男性性を誇示して女性を威圧することがいけないからだと解釈されているが、女の人がミニスカートをはくことで目のやり場に困る、逆セクハラだという意見が同じように扱われないのはどうしてなのだろう。
強者=男性がそれを誇示するのは駄目だが、弱者=女性が肌を見せるのは加害行為ではなく(だって女性は弱者側なのだから、女性の行為で男性を脅かすような類のものがあるわけがないという前提のもと)傾いた天秤を男女平等へと修正するための自己表現であるということなのだろうか。
勿論、「ミニスカートをはいている女の人は誘惑しているのだからセクハラされても仕方ない」は論外である。つまり「女性の振る舞いが男性による加害を誘発するから慎ましくあるべき」は通らない。そうではなく、女性が女性性を誇示して男性を威圧することがあるのか、あるなら男性によるそれがいけないこと同様にそれもいけないことだと思うから考えてみようと思うのだ。
女性は確かに依然として弱者であることが多い。では「だって女性は弱者側なのだから、女性の行為で男性を脅かすような類のものがあるわけがない」は本当なのだろうか。まったくあてにならないが、直感だといや違うんじゃないかという気がする。「弱者である」→「全ての行為が加害性を持たない」とは言えない気がする。うーん。「ある行為が加害性を持つ」→「弱者ではない」、はどうだろう。うん、間違っていると思う。
例えば筋骨隆々な成人男性(強者)とよぼよぼの盲目の老婆(弱者)がいるとして、老婆が連日男性に人格否定発言を繰り返しついには彼を自殺に追いやることもあるだろう。これは詭弁だろうか…自信がない。
もし上の考えで合っているなら、弱者/強者であることとその行為が加害性を持つかどうかは、大体は一致するが常に一致するわけではないと考えてよいと思う。
では、加害=いけないこと=やってはいけないことなのだろうか?(まぜっかえすようで申し訳ない。)
これが強者側による加害なら、即やってはいけないとなると思う。しかし弱者側による加害性を伴う行為は、それが連帯のためなど、平等のために資すると認められればやむなしとなりうる。山羊が群れて角を持ち狼に対抗するのが不当だという者はいないだろう。勿論そういった理念なく悪意で(?)加害するならたとえ弱者の行為でもやってはいけないことだと思う。
というわけで、ある空間において女性がミニスカートをはくのは、それが自己表現のためだという説明がある場合、結局はまあ批判しようがないし内心目のやり場に困るなーという感想止まりにしかならないのじゃないか…。
私の頭が悪いせいで随分支離滅裂なことを書いてしまった。考えの進め方もまずい。どうかこれを読む人が気分悪く思わないことを願う。嫌な気持ちにさせてしまったらごめんなさい、どうしたら良いのか考えたかっただけなんです。