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小栗の椿 会津の雪⑱


第五章 出陣②
 
 
「出陣のご挨拶に参りました」
 南原の野戦病院裏にある庫裏に、十数人の男達が訪ねてきた。赤子を抱いた奥方は、「まあ」と戸惑った様な顔をして、男達が雁首を揃えて頭を下げている様子を見渡した。
「昨日みなで話し合いました。我等は全員、おクニ様のいる会津盆地に敵兵を入れねえために、国境の会津のみな様と戦う所存でごぜえます」
 兼五郎が代表して頭を下げる。真面目な顔をした男達は、黙ったまま板間に手を突いた。
「本当に、それでよいのか」
 三左衛門が一人ひとりを見渡して問う。
「へえ。三国峠で隊長だった町野源之助様が、越後の朱雀士中四番隊隊長となるので、隊付属の誠志隊に誘っていただきました」
 銀十郎の視線が、真っ直ぐに三左衛門に向けられている。縁側でよきと並びながら、さいは銀十郎の横顔をじっと見つめていた。
 恐れていた日がやって来たのだ。よきが心配そうに、さいに視線を寄越した。
「おまえ達の銃の腕前は承知しているが、兼五郎や桂輔らはそれでいいのか」
 歩兵の訓練を受けていない村人の名前を三左衛門はあげた。銃や剣の訓練などとは無縁の、平和な村で百姓や酒づくりを生業としていた者だ。
「銃を撃つのはやはり上手くいきやせん。ですから、俺らは横山家家臣の方々と、白河に行こうと思っておりやす。飯炊きや荷物の運搬ならできやすんで。世話になった横山家へ恩返しと思いやして」
 兼五郎が晴れ晴れとした顔で言った。
「そうですか。横山様の仇討に、家臣の方々が行かれるのですね」
 奥方が若者の死を悼むように目をゆっくりと閉じた。
「俺らは、越後に行くつもりです。銀十郎達に習って、案外上達したんですよ」
 桂輔が栗拾いに行く様な気楽な感じに答えると、富五郎と光五郎も頷いた。
 全員が戦場へ赴くことを既に決めている様子に、三左衛門はふうと鼻で息を吐いた。
「気持ちはわかった。銃を撃つことだけが戦ではなかろう。荷物を運ぶことも、偵察に行くことも、伝令に走ることも、全て戦だ。小栗様の名の元、立派にお役に立ってこい」
 三左衛門の激励に、男達は「はい!」と答え低頭する。
「いつかこんな日がくるのではと、用意しておきました」
 奥方に目配され、さいは風呂敷包みを持ってきた。
 小栗の殿から支給された軍服は厚手の布で、夏場の戦には向かない。動きやすい様形をまねて、薄手の布で縫いあげたものだった。
 男が訓練に明け暮れる間、母堂やよきも手伝い、ひとつひとつに「小栗上野介家臣」の文字と氏名が縫われている。それは、万が一野に倒れた時のためでもあった。
「ありがとうございます。我等、小栗上野介家臣の名に恥じぬよう、命をかけて戦いおクニ様をお守りする所存です」
 銀十郎が手を突いて頭を下げると、他の男達も後に続いた。
「なりませぬ」
 突然、厳しい声で奥方が言った。男達が驚いた様子で、奥方の美しい顔を凝視する。
「銀十郎、前におまえは言いましたよね。私が忠順様の元へ行きたいと言ったら、それは許さないと。それなのに、私より先に忠順様に会うなど、ずるいではないですか」
 奥方は幾分声を和らげて続けた。
「命をかけることはなりませぬ。私達にはもう、おまえ達しか頼れる者はいないのです。どうか、みなが無事に帰って来て下さい」
 そう言って指を突き、ゆっくりと頭を下げる。男達は決意を新たに頷き合った。
 
 
               ◆
 
 
 慶応四年七月十二日、白虎隊寄合一番隊、二番隊に越後口方面への出陣命令が下る。
それを聞いた、銀十郎達小栗歩兵隊は、先だって越後へ向かい出発した。
「銀十郎殿! 伝三郎殿!」
 そろいの軍服の上着に身を包んだ一行が七日町口から西に進んでいた頃、追いかけてきた少年達に呼び止められた。
    白虎寄合一番隊の少年達が十人ほど、息を切らして駆けてくる。
「今日出発ということ、今隊長から聞きました。朝から稽古をつけようと集まっていた我らだけ、駆け付けました」
 一番隊嚮導岸彦三郎が、額に玉の様な汗を光らせながら言った。
「へえ。おめえら、訓練の前に朝から特訓してたんかい?」
 少年達と仲のよかった卯吉が尋ねる。
「彦三郎が提案して、集まれる者だけです。家業の手伝いをせねばならぬ者もいるので」
 嘉龍二が誇らしそうな顔をして答える。
 一月前、体も細く遠慮がちだった少年達は、直向きさはそのままに、逞しく成長した。
 寄合隊は、上級の武士ではなく、地方御家人や職人の家の子供達だ。男手が少ない中、家業の手伝いをしつつ訓練に手を抜かなかった少年達に労いの言葉をかけてやりたい。
 しかし、本当の戦いはこれからなのだ。
「俺達は一足先に行く。今度会う時は戦場だ。訓練したことを忘れんじゃねえぞ」
「はい!」
 銀十郎が言うと、少年達は姿勢を正して返事をした。
「おめえ達は、よくついて来たよ。世辞じゃねえ。しっかりとやれよ」
 いつもは少年達に交わろうとしない伝三郎が、珍しく褒めた。
「はい!」
 少年達は目を輝かせた。
 こいつらを一人も失わせずに、親元に帰してやりたい。気持ちのいい返事を聞きながら、銀十郎は思った。
 越後街道を行く銀十郎達一行を、少年達は背中が見えなくなるまで手を振り続けた。
 
 
                ◆
 
 
 朱雀隊士中四番隊は、屈強の若者が集っている会津藩最強の部隊だった。
 八月に入り、佐川官兵衛が会津へ呼びよせられ、代わりに町野源之助が正式に隊長になった。銀十郎達小栗歩兵は、朱雀隊付属の誠志隊に加わった。
その前後、越後には激震が走っていた。新発田藩が裏切り、新潟港が敵の手に落ちた。新たな武器を外国より買って会津に運ぶための最短の港が押えられたことになる。
 そして、奥羽越列藩同盟の越後の要、長岡が落ちた。長岡藩を率いていた家老河井継之助が負傷し前線を離脱したのだ。
 新発田の裏切り、長岡の陥落により、越後で善戦していた東軍は、じわりじわりと国境に後退せざるをえなくなった。
 会津を後にしてから一月が過ぎ、酷暑の夏は和らぎで過ごしやすくなった変わりに、山中で野営する朝晩は冷えすぎるほどだった。三条、加茂等を転戦し、気が付けは阿賀野川沿いまで追いつめられていた。
 越後各地で戦っていた東軍は、阿賀野川を挟み、佐取、石間に陣を張り、敵を迎え撃つ手筈だ。急ぎ土俵を詰む作業に光五郎は黙々と精を出す。作業の方が身体は疲れても、気持ちはしゃんとしてくる。
「この辺り、奥方様と一緒に通ったっけなあ」
 桂輔が感慨深そうに豊かな水を湛える阿賀野川の下流に目を移した。
早朝からの作業で、敵の銃弾を防ぐ胸壁がやっと完成した。みなほっとした顔をして、川で手や顔を洗う。
「あん時はやっと敵の目から逃れて、旅気分を味わったもんだが、ここで戦になるとは夢にも思わなかったな」
「その時俺達は、三国峠から命からがら逃げ帰ったってのに、ずい分呑気だったんですね」
 桂輔が伸びをすると、卯吉が拗ねた様な口調で言った。
 阿賀野川に沿った越後会津街道を行き、峠を越えれば、そこは会津だ。敵は刻々と会津に近付いている。
「富五郎さん。何か見えるのかい?」
 食い入る様に川面を見つめる富五郎に、光五郎が声をかけた。富五郎がはっとして振り返る。
「何だか、こっちの川は怖ええなと思ってさ」
「怖い?」
 光五郎は思わず聞き返し、阿賀野川の川面に目を移した。黒々とした濁った水が堂々と流れる。権田村を流れる烏川は、水底もヤマメの姿もはっきりと見ることができるけれど、この川の水底を窺い知ることはできない。
「富五郎さん、泳げねえのかい?」
「泳げねえことはねえけど、ここの川は落ちたら出て来られねえ気がする。……何でかな、昔は川でよく水遊びもしたんだけどなあ」
「烏川は底が見えるし、水も奇麗だしなあ。ガキの頃遊んだよなあ」
 川面から風が吹いて、光五郎は一瞬故郷の川原に立つ錯覚を起こした。三人で水遊びをして、びしょびしょになって怒られたものだった。
「おい、朝飯だぞ」
 伝三郎が声をかける。光五郎が「ああ」と返事をしたのと同時だった。対岸の佐取村の方からパンパンという乾いた音が重なる。
「始まったな」
 伝三郎が重い口調でつぶやいた。
「佐取には、白虎隊寄合二番隊が出陣しているらしいぞ」
「白虎隊が? あいつら、予備隊じゃなかったのか?」
「ああ。そんな悠長なことを言っている場合ではなくなったんだろう」
 広い川に隔たれた木々の茂る対岸に目を凝らしても、戦の状況を窺い知ることはできなかった。
「早く飯を食え。俺達にできることはそれだけだ」
 伝三郎が低くつぶやき、光五郎の背中を押した。
 
 
                ◆
 
 
 慶長四年八月十日夕刻、一日続いた佐取の戦いで、白虎隊寄合二番隊は夕闇にまぎれて阿賀野川を渡って石間に後退した。
 銀十郎は、卯吉と一緒に野戦病院になっている寺に駆けつけた。本堂には、怪我をした兵が十数人横たわっている。壁際に少年が四、五人膝をついて丸くなっていた。
「白虎隊寄合二番隊か?」
「銀十郎さん……」
 少年達は銀十郎の顔を見て、耐えていた涙を溢れさせた。少年達に囲まれる様にして、横たわる二人の隊士がいた。薄目を開けて激痛に耐える少年が一人。もう一人は、胸を真っ赤に染めて動かなかった。
「八太郎が怪我を……。外次郎は、今さっき息を引き取りました……」
 悔しさを吐き出す様に、少年が言った。
「それに、勇八は砲弾に当たって即死で、連れ帰ろうにも、俺達何が何だかわからなくて。村の者に頼むのがやっとで……」
「我等は何も出来ずに……。むざむざ逃げ帰ってしまって」
「初陣だろう。……俺だってそうだった。慌てちまって、何もできねえで終わったよ」
 泣いている少年達を慰めようとしたのか、卯吉が苦い顔をして言った。
「おめえ達、怪我はねえか」
 銀十郎は、訓練の時とは違う穏やかな声で言った。こくりと少年達が頷く。
「じゃ、ここは軍医殿に任せて休め。今日で戦が終わるわけじゃねえ。明日のおめえらの働きを見ているぞ」
「はい」
 少年達がキッと涙をぬぐって返事をした。
「八太郎」
 銀十郎は、肩口に包帯を巻き、横たわったままの少年に声をかけた。瞳が微かに動く。
「ゆっくり休め。……おめえは、よくやった」
 言葉をかけると、少年は何かに耐える様に目を閉じた。
 翌日から、阿賀野川の右岸と左岸で、両軍が撃ちあう銃撃戦が始まった。敵は、連射式の銃で切れ目なく撃って来る。
 全員無事家族の元に帰すという願いは叶わなかった。胸の内は熱く怒りに満ちているのに、頭は冷静だった。
 銃の性能には差があるが、ゲベール銃やミニエー銃でも対岸まで届く距離だったことが幸いした。対岸の木々に見え隠れする敵に狙いを定めた。同じく石間口の守備についた白虎隊寄合二番隊は、落ち着いて訓練通りよく戦っていた。ここで敵を食い止めるのだと、誰も必死で戦った。
 二日後、八太郎が治療の甲斐なく息を引き取った。朱雀隊士中四番隊からも六名の隊士が討死。相次いだ味方の負傷者は人足に運ばれ、会津へ帰って行った。
 翌朝、作戦会議中に「赤谷敗れる」の伝令が届いた。町野隊長の顔が引きつる。
「……このままだと、我等は挟み撃ちに合う。撤退だ。急いで、津川まで撤退する!」
 町野隊長が指示した。各中隊長が、それぞれの隊へ連絡するために走った。
 誰もいなくなった本陣で、町野隊長は畳を拳で殴った。
 戦では負けていない。味方は必死で目の前の敵を食い止めているのに、退却せざるを得ない状況が悔しいのだろう。
 部屋から出た町野隊長は、既に気持ちを切り替えた様だった。背中を追いかけ、銀十郎は付いて行く。
「隊長。村はどうしますか?」
「……このままでよい。それよりも、動かせない者達を村に匿ってもらう手筈をつける方が優先だ。野戦病院へ行く」
 町野隊長の言葉に、銀十郎はほっとした。
 撤退の際に村を焼くのは、戦の常套手段だ。しかし、三国峠では村を焼いたことで、村人の協力が得られなかった。
 八月十五日早朝、五日間の激闘で死守していた石間口を、会津軍は戦わず敵に渡すこととなった。軍をあげて一斉に撤収する。
 そんな中、整列を組んで速足で逃げる列を外れて、一人の男が前屈みになりながら足を止めていた。
「どうかしたのですか」
 銀十郎は列を外れ、駆け寄って声をかけた。
「いや。息が切れて……。少し休めば大丈夫だ。先に行って下され」
 隊士の左腕の二の腕に布が巻かれていた。戦いの最中に傷を負い、手当てを受けながらも戦線離脱することを拒んだのだろう。
顔を覗きこんだ銀十郎は、一瞬その顔から目が離せなかった。
「濤市さん……?」
 心配して列から外れた光五郎がその人の顔を見て、その名を口にした。
やはりそうか。村で何度か見かけただけで自信はなかったが、さいの夫濤市にそっくりだった。
「……傷はいつのものですか」
「三日程、前だ……。大したことないと思っていたのだが……」
「傷が膿んでいるのかも知れねえ。軍医殿には、見て貰ったのですか?」
 銀十郎の問いに、男は首を横に振った。
「……」
 銀十郎と光五郎は、目を見合わせた。
昨日人足が怪我人を運んで行ったので手薄だ。それに今は急いで津川まで戻り、敵の襲来に備えなればならない。ここでぐずぐずしている暇はなかった。朱雀隊士中四番隊は既に先を行っている。
「もしかして、広田様ではないですか?」
 遠慮がちに声をかけてきたのは、桂輔だった。広田と呼ばれた男が、青白い顔を上げる。
「いえね。以前お見かけした時に、あなたが友に瓜二つなので気になっていたのですよ」
 桂輔はニカッと親しげな笑顔を見せた。
「次の村まで、俺と光五郎でお連れしよう。銀十郎は隊に戻れ。俺は後から行く」
 広田に肩を貸しながら、桂輔は銀十郎の方に向かって囁いた。
「光五郎。これで城下まで頼めるか」
 銀十郎は、懐から包みを出した。幾らかの金子が入っている。次の村まで行き、駕籠を頼むか、人足を雇う必要がある三左衛門から頂いた大事な金子だがやむを得ない。
「日新館の病院に連れて行けばいいんだな」
「ああ。ついでに南原まで行って、みな無事だと知らせてくれ。三左衛門様も心配しているだろう」
「わかった」
 光五郎はこくりと頷いた。
「町野隊長には、俺から伝えておきます」
「かたじけない」
 銀十郎がそう言うと、さいの夫とよく似た男は、申し訳なさそうに言った。偉ぶらない話し方も濤市を思い出させた。
「じゃあ、頼んだぞ」
 光五郎に向かって言うと、銀十郎はくるりと背を向け敗走の列に戻った。
 
 
               ◆
 
 
 赤谷口と石間口の合流地点、津川宿は、退却した隊でごった返していた。
「原隊長!」
 そこで見知った顔を見つけ、銀十郎は、思わず駆け寄った。白虎隊寄合一番隊を率いている原隊長だった。
「よくご無事で!」
「ああ。よく戦い始めのうちは勝ち戦だったが、途中で長州の旗が見えた頃から反撃にあった。銃の性能が違いすぎた。退却の時は白虎隊が殿を務めて、死者が一人だったのが不思議なくらいだ」
 そう言う原隊長の髷は乱れたままだ。
「銀十郎殿!」
 銀十郎の姿を見つけた一番隊の少年達が、駆け寄ってくる。
「よく戦ったと聞いた」
「はい。我等先ほど上田陣将様より、激賞のお言葉をいただきました」
 姿勢を正し、彦三郎が言った。
「実戦を経て、訓練の本当の意味を知りました。本当はあの訓練にどんな意味があるのか、わかりませんでした。しかし、銃の名手である銀十郎殿の言うことは間違いないだろうとみなで話しておりました」
「少しは役に立ったか?」
「少しどころではありません。あの訓練がなければ、ここに戻って来られませんでした」
 彦三郎の真っ直ぐに銀十郎を見つめる目が眩しかった。
    込み上げてくる熱いものを隠して視線を移すと、白虎隊の一番隊と二番隊が、それぞれの健闘を称え、再会を喜んでいた。
 そんな中で、板間で既に眠りこけている少年がいた。年若い嘉平次と小太郎、平太の三人だ。思わずふっと頬が緩む。
「明日はまた戦だ。ゆっくり休むといい」
「はい!」
 銀十郎が優しく声をかけると、彦三郎は目尻を下げて幼い表情になった。
    翌日、新谷と津川の間にある諏訪峠を越えて、阿賀野川を挟む対岸に西軍が押し寄せてきた。その数は数百。船や筏を撤収したせいで、渡川できないでいる西軍に、隠れていた朱雀隊士中四番隊付属の砲兵隊と誠志隊が一斉に猛攻撃を加えた。多くの死傷者を出した西軍が退却する。
 東軍はこれを見て勝鬨を上げた。怒涛の様な雄叫びと喝采が響く。川岸の胸壁から後ろを振り返ると、高台から見下ろしていた白虎隊の弾ける様な笑顔があった。
 この日から八日間、阿賀野川を挟んで両軍は激突した。地の利を活かした東軍は、犠牲を出しながらも、各所で敵の渡川を防いでいた。白虎隊寄合隊も大人に混ざって奮闘する。
 均衡が乱れたのは、八月二十三日のことだった。
 


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