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むかし、今よりずっとおてんばだった私は、身体のあちこちに傷を作っていた。特に多かったのが、膝小僧のすり傷。 どんなに転んでも涙は流さない、つよい子だったらしい。唇を噛みしめ、足を引きずって帰り着くと、自分で怪我の手当てをした。 傷口を水で洗い流すと、全身を電気がびりびり走る。膝こぞうにペタリと貼った、ばんそうこう。濡らしてたまるものかと、必死にバスロマンの波から守っていた。 そんな「おてんばの勲章」をときどき、剥がしたくなった。 ばんそうこうの端をゆっくりと剥がして、
「小林秀雄の晩年」 小林秀雄の妹である高見澤潤子が「兄 小林秀雄」(新潮社)の中で晩年の小林秀雄の事を書いている。 私はこの著作を小林秀雄の死後出版された時に購入していたが、その内に読もうと思い、今日に至った。 迂闊と言えば迂闊であった。 小林秀雄は「本居宣長」の次は「聖徳太子」を書きたいが、次の世代に託す、という文章をどこかで読んだ記憶があったからである。 「兄は『本居宣長』の後は、ルオーのことを書きたかったのである。『ルオーのことを書く事はキリストを書くことであり、
「俳句と人生」 人生に喩えると「冬」は死期であろうか。 「月日は百代の過客にして行きかう年も又旅人也」 芭蕉の「奥の細道」冒頭の文章である。 四十六歳にして自己の死を見据え、最後の漂白に旅立つ彼の姿が浮かぶ。 或る「祈り」を胸中に託してひたすら歩むべく。 「旅に病(やん)で 夢は枯野を かけ廻る」 元禄七年(1694年) 芭蕉・享年五十一歳 私の私見的考察であるが五七五の短い言葉に含まれた世界観は人生における生老病死、人の人生の変化期、推移を四季に託したものと想っ
「いろ」(ニ) よにいろいろありていろしるにつれいろにまみれま みれずいろいろいかさんとすこれいろによりていろ にめざめたるしんがんのまなこといわれどもしんが んはしんがんへいたりふたたびしんがんへとかえり ゆくそのしんがんしんがんのまなこもてるひとしか みえぬこれやむなきことまたこれぜひもなしいかん せん いろのよにありていろのいろにいたりてひとひとと ひととかしそれひといろのいろにみえずいろつよき ひとみゆるこれまたぜひもなししずかなるこころし てひいろのいろひとひい
化身 その姿誰にも見えず、知られず、世にあらず、世にありけり 地水火風は自然界の元素たりや 元素の実体は元素たるか? 法則の法則は法則なりや 根源の根源は根源なりや……… 我は我とは我々の我か 是色即是空と即自と同じなりや? 時空とは変転するや 無と化しても変転するや…… 心とは何処に在るや 肉体が失せても在るや無しや? 意識とは意識であるや 意識の意識も意識であるや…… 神とは神に作られたりや 神は誰に作られたりや……? 言葉とは言葉たりや 言葉は言葉なるか言葉は言葉