ピースの自己紹介(2022/09/29更新)
自己紹介を更新しました!
初めまして!ピースです。2022年7月4日に投稿を開始しました。
幼少の頃に父に教わった運河でのハゼ釣りがきっかけで釣りが大好きになり、50代の今まで、沼釣り、川釣り、海釣り、渓流釣り、湖での釣りと、様々な釣りを楽しんできました。その中で、一番長く続いているのが、7年前に始めたへらぶな釣りです。
1.釣りとの出会い
私が釣りを始めたのは、今から44年前、小学校1年生の頃だったと記憶しています。父に初めて、海に繋がっている運河にハゼ釣りに連れて行ってもらいました。ハゼは、スズキ目ハゼ科に属している魚で、河口から河川に至る汽水域に生息ししていると言われています。体長は10cmから、大きいものでは20cmを超えるものまでいます。
魚釣りの道具(つり竿、道糸、ウキ、ウキゴム、よりもどし、オモリ、ハリス付きハリ。たったこれだけです。)は、何時買っていたのか分かりませんが、最低限のものは揃っていました。恐らく私が物心つく前から父が持っていたのだと思います。
エサは近所の畑の端にあった堆肥の山を掘って、ミミズを採取したものを持って行ったので、エサ代はタダです。今は、私が住んでいる地域ではミミズもお金を出して釣具店で買うのが当たり前の時代ですので、当時の田舎はその点恵まれていました。
出掛けた釣り場は、海に繋がっている運河で、石積みの護岸には、運河に沿って松の木がありました。そこで父から釣り方の手ほどきを受けて始めたのが釣りの第一歩でした。
魚が釣れるまでの一連の流れは次の通りです。
水中で魚がハリに付いたエサを口にくわえると、川面に浮いている玉ウキがピョコピョコと上下に動き、水面に波紋が立ちます。
そのタイミングで竿をスっと少し立ちあげ気味にして魚の口にハリがしっかりかかるようにすると、魚が掛かっていれば竿の先がしなり、手にプルプル、コツコツと振動が伝わってきます。
それからゆっくり竿を立てていくと、水面に魚が顔を出します。
そのまま更に竿を立てて、魚が自分の手元まで引き寄せたら、道糸をつかんで魚を水中から引き揚げ、陸地に魚を横たえてハリを外します。
特に、1.と2.の段階が楽しく、また連れてくる魚も大小さまざまなサイズがあり、魚ごとに挙動も異なるので、何時までやっても飽きるということがありませんでした。
更にこのハゼ釣りの楽しいところは、食べると大変美味しいことです。毎回ハゼ釣りに行くと、大抵20~30匹は釣れるので、水を入れたバケツで活かしたまま持ち帰り、自宅で父が下ごしらえをし、天ぷらにして夕食の食卓で頂くのが楽しみでした。
2.釣りキチ三平をきっかけに釣りに夢中に
小学3年生の時、父親の転勤の都合で田舎の市から県庁所在地の市にある新興住宅地に引っ越しました。そのため、運河の釣りには行けなくなりました。しかし、その住宅地は山を切り崩して造成工事を行っているところもあり、まだその奥には川や沼が点在していました。
この頃夢中になったのが、テレビ放送が始まった『釣りキチ三平』でした。私と同じ50代前半より上の年代であれば知っている方も多いと思いますが、このアニメに出会って、主人公の三平三平(みひら さんぺい)少年に自分を重ね、様々な釣りの魅力に引き込まれて行きました。子供向けの釣りの入門書を買って読み漁り、川、沼、海にいる様々な魚の釣り方の基本を覚えていきました。
ハゼ釣りの次にはまったのが、沼でのマブナ釣りです。これも週末に父が釣りに連れて行ってくれたことで実際の釣り方を覚えたものです。基本的にはハゼ釣りと使う道具は変わりません。唯一大きな違いと言えば、エサがミミズではなく、練り餌という、粉末状のエサに水を加えて練り、直径1cm程度の大きさのダンゴ状に丸めてハリに付けたもので釣るということ位です。
ほぼ同じような釣り方にも関わらず、なぜはまったのか?というと、魚がエサを口にくわえた時のウキの動きがハゼの場合よりももっと複雑で、ハゼよりも体高があり体の幅も広いため、ハリに掛かった場合に魚が引く力が圧倒的に強いので、その手ごたえが堪らなく心地良かったのです。
マブナ釣りは、もともとマブナを釣ることを目的としていた訳ではなく、沼で釣れる魚が全てマブナばかりだったという結果論です。本当は、釣りキチ三平で見た、「へらぶな」という釣るのが難しく、形の美しい大きな魚を釣るのが憧れでした。
へらぶなとは、川、沼、湖などに生息する淡水魚で、琵琶湖に生息するゲンゴロウブナを品種改良して生まれた魚です。ヘラブナ釣りの歴史は古く、様々な釣法や道具があり大変奥深いものです。最近(でもないか?)はルアーを使ったブラックバス釣りや、海でのルアー釣りなどがテレビでも放送され、若者から中年層の人気を集めていますが、高齢になってもそのような釣りを楽しんでいる方ってあまり見ないような気がします。
一方、へらぶな釣りはその逆です。若年層にはそれほどポピュラーではありませんが、逆に中高年以降のシニア層に根強い人気があります。このような方々は、中高年になってからへらぶな釣りを始めたのではなく、子供の頃や若かった頃に始めて、何十年も飽きることなく楽しんでいる方々が多いです。これは裏を返せば、生涯飽きることのないほど奥が深く楽しい釣りだということだと思いませんか?
私も子供の頃からへらぶな釣りには憧れを持っていましたが、当時はとても敷居が高く、自分には出来ないものだと思い込んでいました。その大きな理由は4つあります。
へらぶな釣りを始めるまでに準備しなければならない道具が多いと思っていたこと。
一つ一つの道具が高価で、子供のお小遣いではとても手が届かないと思っていたこと。
そもそも、何処の沼や川に行けばへらぶながいるのかが分からなかったこと。
とても繊細で、初心者には釣ることができない魚だと思っていたこと。
ですが、44歳になり、ようやくへらぶな釣りを始めるきっかけが出来ました。
3.きっかけは高ストレス状態からの解放されたかったこと
ちょっと前置きが長くなると思いますが、お付き合いください。
私がへらぶな釣りを始めたのは、2015年の夏のことです。この頃、職場での人間関係や仕事の悩みで精神的に落ち込んでいました。1度目の転職で、私は開発コンサルタントという、発展途上国政府向けに、様々な社会インフラ(水資源、電力、防災、道路交通、環境、上下水道など)整備の国際協力事業を日本の政府機関から受注して実施する業界の会社に入社しました。
入社早々、当初会社から示されていた条件と違い、その会社が自分の専門分野を必要とする事業を何も行っていないこと、そして事業立ち上げをするための計画、情報、資料、ツール、人材、予算の何も持っていないことを知り、愕然としました。私は自分のこれまでのキャリアとは無関係の技術分野を管轄する部署に配属になり、何も分からないまま同僚の仕事のサポートという名目で、入札資料作りの際、発注者からの業務仕様書の内容をベタ打ちしたり、文章の読みやすさや「てにおは」をチェックしたり、資料の見た目の体裁を整えたり、という事務仕事をやらせられました。
しかし、コンサルタントという仕事は基本的に受注産業です。仕事を取ってきてなんぼ。という世界ですので、自分の専門分野で受注による売り上げ確保に貢献できなければ、その人間の存在価値は全くありません。
そこで私は、当時の上司に相談し、自分の専門技術分野のコンサルティング案件を受注するために、前職の会社への営業を提案し、恥を忍んで元上司に「仕事を頂けないか。」と頭を下げに行きました。他社のプロジェクトメンバーに補強要員という形で入れて頂くことで、業務委託収入を得ることが出来るようになると共に、プロジェクトチームから好評価を頂けたことから、次第に別のプロジェクトへの参加の引き合いも来るようになりました。
また、社内の新規事業開発の研究予算を確保し、業界の動向調査、自社の現状分析、競合他社分析、新規分野参入のために必要な体制整備とリソースについての提言を報告書にまとめ、経営陣に対する提案を行いました。更に、人事と協力して自分と同分野の人材採用活動も積極的に行いました。
しかし、会社の看板にそもそも自分の技術専門分野がなく、実績もわずかであることから、キャリア採用を希望する人材からの知名度がなく、志願者数が少ないことに加え、会社として求める要件を満足できる人物を確保することはできませんでした。
結果的に、私は常に他社プロジェクトの助っ人的ポジションで業務を行い、同じ会社の同僚達と一緒のプロジェクトチームで仕事をすることはできませんでした。また、上司、同僚達は誰も私の専門分野についてサポートすることもできないため、何か業務上の問題が生じても、全て一人で解決しなければならないという精神的重圧の中に居ました。
また、発展途上国の仕事は、仕事自体が日本国内の会社のような、約束した期日までに仕事を仕上げる、という常識が通じない世界で、期日が守られないことは日常茶飯事、訪問の約束をしていても、いざ当日その場に行くと、「今日から担当者は2週間出張で帰ってこない。」など、悪びれることもなく返事が返ってくることもざらです。更には、出張中の
滞在環境についても、治安面、衛生面の不安があり、常にトラブルに巻き込まれないように警戒心を持って過ごさなければならないという高ストレス状態が続きます。
このような、常識の通用しない国でのストレス、帰国すれば、相談相手がおらず、会社の一員として何も助けてもらえない。という状態が2年以上続き、次第に自分だけがまるで部外者であるかのような疎外感と、常に心がネガティブな感情に支配される状態になっていました。
そんな時、当時小学校中学年だった次女から、私達家族が住む市が企画していた、小型船に乗って地域を流れる川をめぐるイベントに参加したこと、船の上から、川岸で魚釣りをしている人がいた。という話を聞きました。
この話を聞いた瞬間、自分がしばらく釣りから離れていたことをに気が付きました。そして、川岸で自分が釣りをしているイメージが頭に湧いてくると、なんだかワクワクし、それまでどんよりとした暗く厚い雲に覆われていた気持ちの隙間から、光が射してきたような感覚になりました。
そこで、早速週末に現地に近い旧市街地にある古い釣り具店に立ち寄り、足りない道具やエサを購入すると共に、オーナーから釣り場情報を聞き、娘に現地を案内してもらい、久しぶりに川に釣り糸を垂らしました。
その日は本命のへらぶなこそ釣れなかったものの、大小さまざまなサイズのマブナが多数釣れ、久しぶりに、ウキの動きに目を凝らし、元気な魚の躍動を竿伝いに自分の手で感じる楽しさを思い出し、この作業を繰り返すことに没頭することで頭の中を空っぽにすることが出来ました。
この日を境に、ほぼ毎週末のように次女を連れて釣り場に繰り出すようになりました。(次第に自分ばかりがのめり込み、娘はついてこなくなってしまいましたが・・・。)そんな日々がしばらく続くと、以前立ち寄った釣具店のオーナーとも顔見知りになり、周辺を流れる川やへらぶな釣りについての情報をどんどん得られるようになりました。後で分かったことですが、娘と釣りをした川には、昔はへらぶなも生息していたものの、近年は姿を消し、ほぼマブナしか釣れなくなってしまったとのことでした。
その情報を知ったからには、やはりへらぶながいる川で釣りがしたい。という思いが募ってくるのはごく自然のことです。娘と釣りを始めてから約3か月後、以前、車を運転していた時に釣り人の姿を見かけたことのある、自宅から車で10分ほどの場所にある川に一人で出向き竿を出しました。時期は既に寒さ厳しい年末になっていました。
現地の釣り場について、何の事前情報もなく、そもそもへらぶなが釣れるかも分からない状態でしたが、雰囲気的にいかにもへらぶなが居るような感じだったので、年末の休みを利用し、2日間同じ場所に通い、早朝の日の出前から夕方日がとっぷり暮れるまで、ひたすら同じポイントで竿を出しました。
1日目は、終日1度もウキが動くことがなかったものの、それでもいつウキが動くかとずっとドキドキ、ワクワクしながら一日を終えました。2日目、この日も朝から半日何の反応もありませんでしたが、不思議と嫌になったり、飽きたりすることはありませんでした。
14:30、とうとう記念すべき時がやってきました。少しウキがふわっとしたかと思うと、ウキの目盛2つ分(約2cm程度の長さ)がツンっ、と水中に入るアタリ(魚がエサを食べたという反応)がありました。きちんと魚の口がハリに掛かるようにタイミングを合わせて竿を上げると、ずっしり重い魚が、水深の深い場所に潜り込もうとします。それを感じながら、ゆっくりと力を入れて竿を立てていくと、銀白色の綺麗な魚が水面に浮いてきました。魚が逃げないように、慎重に玉網(魚をすくう時に使う柄の付いた網)ですくい上げ、網の中を見ると、美しいへらぶなが入っていました。約36cmほどの大きさでした。
この美しい魚に魅了されて以来、約7年間、下手くそながらもマイペースでへらぶな釣りを楽しんでいます。
4.もう一つのアカウント「ピースの裏側」
このアカウントとは別に、へらぶな釣り以外の、より広いトピックス(主に日々の心の状態、出来事などを赤裸々に記録)についてお話している、「ピースの裏側」というアカウント(2022年8月1日開始しました。)も立ち上げています。
https://note.com/peace_my_mind83
ご興味のある方は是非お立ち寄りください。