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ADHDソウタの自己紹介


初めまして

  • 名前:ソウタ 1児のパパ

  • 年齢:30歳 

  • 出身:東京生まれ福岡育ち

  • 仕事:普段は市の施設の管理(手取り15万円)、金融ライター、ブログ運営(家族のために副業は内緒で貯蓄・投資へ)

  • 副業:金融ライター、ブログ運営(130記事 11月現在)

  • 趣味:料理

  • 疾患:ADHD(発達水準からみて注意や行動の制御に困難がある発達障害)


幼少期の思い出:物心ついた頃から孤独な日常

物心ついた頃、僕には母親しかいなかった。でも、その母親はいつも忙しく、帰ってくるのは夜の21時前後、出てくるご飯は冷たいコンビニの弁当ばかり。

人生で1度も手作りご飯を作ってもらった記憶がありません。

僕の記憶の中にある「家庭の味」なんてものは、存在しなかったです。

夜、キッチンから聞こえてくるのは料理の音じゃなく、テレビの雑音とゲラゲラ笑う母親の声だけ。お腹が空いても、頼れる人はいませんでした。

なので、幼稚園のお弁当の日は、近くのパン屋で買ったパン。小学校の遠足の弁当は朝から早起きして自分で作って、母が作ったように見せかけていましたが、もちろん料理が上手ではないので、おかずはボロボロ、とても友達に見せれるような弁当ではなかった記憶があります。

なるべく同級生にはみられたくなかったので隠すように食べていたことを今でも思い出します。(多分同級生にはバレていたのかもしれない…)

中学生の頃はパンの注文をしながら、自分で早起きして弁当を作って登校していました。もうこの頃になると料理の腕も上がっていました。

洗濯だって誰もしてくれないから、小さな手で二層式の洗濯機を回し、縮んでしまった服をなんとか着ていました。

服も食事も、自分でなんとかしないといけない日々。ついでに掃除も誰もしてくれないので1人でしていました。

その頃の僕には、誰かに守られている安心感なんてなかったです。

みんなにとって当たり前が当たり前ではなかったですしね。

でもそうして育った経験が、僕の強さの源になっているのかもしれないと思うし、ちょっとしたことでも幸せを感じれる感覚があります。


ネグレクトとの戦い:妻との出会いで気づいた過去の傷

母親のもとで育つ中で、空腹や孤独は「普通」だと思っていました。

家に帰っても誰もご飯も用意してくれないし、洗濯も自分でやるのが当たり前。

自分が特別に不幸だとは考えず、これが「家庭」だと疑わなかったんです。

しかし、妻と出会った時、初めて違う「家庭の温かさ」を知りました。妻は、何気なく日々の繊細な気遣いや、食事を一緒に楽しむ時間を大切にしてくれました。

その温かさに触れるうち、自分の育った環境が「普通じゃなかった」ことに気づいたんです。「あの頃、自分は母親から愛情を受けていなかったんだ」と、ようやく実感しました。

妻が気づかせてくれたのは、ただの寂しさではなく、ずっと抱えていた深い孤独と、本来あるべき親の愛情の欠如だったんだと。

気づいた瞬間の衝撃と切なさは、今も心の奥に刻まれています。


ADHDとともに歩む日々

ADHAと診断されたのは、もう大人になってからのことです。

小さい頃から頭の中はいつもカオスで、学校でもじっとしていられず、授業に集中するのも苦手でした。でも、これが自分だと割り切って「どうにかやり過ごせばいい」と思っていました。

大人になってからも、集中力が続かなかったり、同時に色んなことを考えて混乱したり。

毎日のように「普通じゃない自分」に悩まされました。でも、妻が「それがあなたの個性だよ」と言ってくれたことで、少しずつ自分を受け入れることができるようになりました。

ADHAだからこそ浮かぶアイデアや、考え続ける探究心、行動力。

今はそれが自分の強みだと思えるようになり、特に物心ついた頃から数学が得意になり、金融に対して関心とリテラシーがあったため、気づいた頃には金融ライターの副業で、独自の視点を活かせる場を見つけたのは大きな転機でした。

さらにライターを武器に自分のブログ運営を開始して、今現在では月30万円程度安定的に副収入を得ることができました。

自分を否定するのではなく、「この特性をどう活かせるか」を考え、毎日を前向きに生きる日々です。


逆境から見つけた「自分らしさ」

自分の人生には、当たり前の「家庭の愛情」や「守られている安心感」がなかったです。

それでも自分を支えるために、なんとかやりくりする日々でした。ずっと「自分には何もない」と思っていたけれど、妻との出会いや、金融ライター、ブログ運営という仕事に没頭する中で、少しずつ自分の中に光が見えてきたんです。

金融ライター、ブログの副業を始めたことで、自分の特性がプラスに働く瞬間を感じるようになりました。

ADHDで生まれた発想力や常識にとらわれない視点が、人とは違う価値を生み出せると気づけたとき、初めて「これが自分の強みだ」と思えたんです。

「愛されていなかった」と気づいたあの日の痛みも、今は自分を支える力に変わりました。

どんなに欠けた部分があっても、自分で見つけた強みを持って、これからも前に進んでいこうと決めました。


金融ライター・ブログとの出会い:自分の強み発見

金融ライターとしての副業は、偶然の出会いから始まりました。

最初は自分の興味を試す程度の気持ちで始めたものの、やっていくうちにそれが僕の心を強く掴んでいきました。

数字やデータを扱う仕事は、一見、ADHDの特性とは逆の「冷静さ」や「注意力」が必要なものに思えたけれど、逆にその「混乱した頭の中」でこそ、斬新なアイデアが浮かんできたのです。

記事を書く過程で、自分の言葉で人に価値を提供できる喜びを感じると同時に、他者からの反応に励まされる日々が続きました。

読者からの「この記事のおかげで理解できた」「老後の不安がなくなった」とのメッセージが、今でも心に響いて。

自分の発信が誰かの役に立つと時間した瞬間、自己肯定感が高まり、自分自身を誇りに思えるようになりました。

金融ライターとしての成長は、ただの副業にとどまらず、僕の人生そのものを変えてくれました。

さらに、そのライターという仕事が「自信」へと変わり、ブログ運営にも挑戦。そのおかげでさらに副収入を得ることができました。

過去のネグレクトやADHDの特性が、今では自分の価値に変わっている。

これからも、新しい挑戦を通じて自分らしさを磨き続けていきたい。

自分の人生を、自分の手で作り上げていく。その意欲が、未来への道を照らしています。


未来への挑戦:家族とともに人生を10倍楽しむ方法

過去の経験や苦しみを乗り越えてきた今、僕は「人生を10倍楽しむ」ことを目指しています。

それは単なるスローガンではなく、日々の生活の中で実践する具体的なアプローチです。

ADHDの特性を活かして、好奇心を持ち続け、新しいことに挑戦し続ける姿勢を大切にしています。

まずは、毎日小さな目標を設定することから始めています。

たとえば、毎週新しい本を読むことや、普段行かない場所へ出かけること。

新しい経験やを通じて、自分の視野を広げ、未知の領域に飛び込むことで、楽しさや発見が増えていくのを実感しています。

これまでの「普通」の枠を超えて、自分にとっての「楽しい」を再定義することが大切だと感じています。

また、金融ライターとしての活動を通じて、自分の知識や経験を他の人とシェアすることも心がけています。

自分が得た教訓や知識が、誰かの助けになると信じて、より多くの人に価値を提供していきたい。

これが僕自身の成長にもつながると感じています。

未来を考えると、僕の妻や子供にとっても、愛と支えのある環境を提供することが重要だと思っています。

妻には、ともに楽しめる趣味を持ち続け、笑顔を絶やさずにいることを心がけたい。

子供には、自由に夢を追いかけられるように、未来に向かって自信を持てるよう、愛情を持って接することが、僕の最も大切な使命です。

未来は不確実で、時には怖いこともありますが、自分の手で作り上げていく責任を持っています。

過去も苦しみを乗り越えて、今の自分がいるからこそ、新しい挑戦に向かって進む勇気があります。

これからも自分らしさを追求し続け、家族とともに人生を心から楽しむ方法を見つけていきたいと思っています。


僕のストーリーを最後まで読んでくださり、ありがとうございます。ここまでの道のりは決して平坦ではありませんでしたが、同じような経験を持つ方々と共感し、支え合うことで少しずつ歩みを進めてきました。

もし、私の経験や知識があなたの心に響いたり、何かしらの助けになったのであれば、ご支援・サポートをいただけると嬉しいです。

あなたからのご支援が、これからの金融ライターやコンテンツ制作やさらなる挑戦の原動力になります。

あなたのサポートが、私にとって大きな励みです。

共に成長し、より豊かな人生を目指していきましょう。どうぞよろしくお願いいたします。

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