「仮想」みたいな「現実」で踊りませんか。
はじめまして、FAIOと申します。
VIRTUAFREAK、凄い楽しかったですね。
もしかしたら、このイベントが「はじめてのクラブイベント」になったという方もいるんじゃないでしょうか。
私はイベント・VTuber関係者でも無い、ただの1人の客なのですが、このイベントから感じた物凄い熱量を、特に今回「クラブイベントに参加するのが初めてだった」という人に向けて、まだ余韻が残っているうちに書き残したいと思います。
最初に少し自己紹介を。
普段私はVOCALOIDや音声合成ソフト(以下纏めて”ボカロ”と呼称します)を使った音楽が沢山流れる、通称「ボカクラ」というイベントでDJをしています。
また様々な人の協力の下に、来年からはオーガナイザーの1人としても活動させて頂く事になっています。
クラブカルチャーの中でも所謂”アキバ系”(以下”A系”と呼称します)と呼ばれるイベントの参加が中心で、大元の「クラブ」について未経験な点はご了承ください。
そもそもクラブ、DJとはなんぞや、という方にDJ WILDPARTYさんという方がこちらの記事にてめちゃめちゃわかりやすい説明を書いてくださっているので、まんま引用しようと思います。
まずそもそも"DJ"や"クラブ"に馴染みが無い方もいると思いますので超ザックリ説明させて頂くと
クラブ→大きい音が出る場所
DJ→クラブその他で音を出す人
になります。
大きい音が出る場所にいるととても楽しい気持ちになったりします。
その大きい音が更にカッコよかったりすると相乗効果で嬉しくなったりします、それが超大まかにクラブミュージックと言われたりしています。
さて、VIRTUAFREAKで初めて”現実の”クラブイベントに参加した皆さん、どうでしたか?大好きな音楽を大きなスピーカーで大きな音で聴くのって凄い楽しくないですか?私達は本当にそれが大好きで大好きで、本当に大好きで、気づいたら毎週土日の予定が埋まりまくっているような日々を送っています。
自分がVtuberの音楽を聴き始めたのは本当に最近なのですが、キズナアイさんの楽曲を中心にクラブミュージックを意識したものが多いように感じます。更にはRemixなどの文化も盛んですよね。だからこの現場って、「部屋、或いは移動中などに一人で、ヘッドホンやイヤホンでクラブミュージックを聴いていた人」って凄い多かったんじゃないかなって思っています。どうでしたか、初めてのクラブイベント。凄い「非日常感」がありますよね。だって普段生活していて、こんなに沢山の人と大きなスピーカーで音楽を聴くなんて事無いじゃないですか。でも、凄い楽しいですよね、楽しいんですよ。
みんなで一緒に、というのも1つ。でも、特に私は「音楽を五感で感じる事ができる」というのが大好きな理由だったりします。音って空気の振動ですよね。振動が大きくなると音も大きくなるんですが、そうなってくると鼓膜だけじゃなくて体も一緒に揺さぶられるんですよね。参加された方はわかると思います、文字通り低音が体に「刺さった」という感触。あれはヘッドホンやイヤホンでは絶対に味わえない感覚です。凄い気持ちよかったですよね。バーチャルねこさんの楽曲の重厚なキック、本当に美味しかったです。
もう一つ大好きな理由を忘れていました。「拳を突き上げて『好き』を叫んでも許される空間」だっていう事。恐らく皆さんも、大好きな音楽が大きな音量で流れると「最高」という気持ちになったと思います。だんだんそれが溜まってくると気持ちが抑えられなくなるんですよね。流石に電車内や自室で「最高ーーーーーー!!!!!」ってやったら職質か壁ドンを食らうと思うのですが、クラブではそれが許されます。
もしかしたら、昨日はまだ初めてで、そこまで思い切る事が出来なかったという人、いるかもしれないです。それでも、叫びましょう。思いを、感情を。
昨日のあの光景こそが、このシーンが凄い熱量を持っている事の証明です。これだけの人を、しかも初めての人を呼び込めるのはそこに熱量があるから。でも、熱ってそのままにしておくといずれ発散してしまいます。今のこのシーンだって、先駆者の人々がエネルギーを注ぎ続けていたからこの熱量があるわけです。でも、先駆者だけでは限界がくる。そうなってしまってからでは遅いんですよ、もう一度取り戻すにはそれ以上のエネルギーが必要になる。
熱量を継続させるのは簡単です。私達が拳を突き上げて思いを叫ぶ。叫び続ける。彼ら彼女らが、音楽が「声」を求めたら、それに応え続ける。大好きな音楽に思いを叫び続ける。
この先、もしかしたら少しずつ熱が引いてきて「衰退した」なんて言われる時がやってくるかもしれません。そんな時は、あの光景を思い出して、またみんなで集まって、思いを叫んでいきましょう。
ここは「仮想」ではない確かな「現実」。
でも、ちょっと「現実」じゃないような「現実」だってあるんですよ。
だから、その時はまた、
「仮想」みたいな「現実」で踊りませんか。