頑張ってないとダメ?
僕は20年ほど生きてきて、「あの頃の自分は本気で頑張れてたな」と思えることがほぼない。
いや、ほぼじゃなくて。
ない。
そりゃ瞬間はあるよ。一瞬燃えて。
「お、俺すごい、頑張ってるかも」
みたいな。
でもさ、燃え尽きて反動で何も手につかなくなったことばっかり。
喉元過ぎればって、うまく言うなーって感じ。身に覚えがあるどころの騒ぎじゃなくて笑えてくる。
でさ、頑張った気がする時期ってあるけど、いっつもこう考えるんだよね。
「俺より頑張ってるやつがいるからなぁ」
ってさ。
だから、後から振り返って
「キツかったなぁ…」
って思うことはあっても、
「あの時の俺は本当に頑張ってた。誰よりも本気で取り組んでいた。」
なんて思えたことない。
これ、普通?異常?
Twitterとか、色々見てると「自称:本気で頑張れてる」人が多すぎて気持ち悪くなる。
頑張れない自分は存在価値が無いかのような、ね。
でもさ、関係ないんだよね。
自分の中で頑張ったなって思えれば十二分だと思う。
だって、自分のことなんて自分でしかわからんし、他人のことなんて知ったこっちゃ無いさ。
自分なりに「もっとできる」と思うなら、そのための手段を模索すべきだと思う。
「もっとやってる人がいる」と思うのもいいけど、それが正解じゃ無い。
仮に誰かより明らかに劣っている・足りていないと感じても、自分の中での最高が出せてれば百点だと思う。
だから、本気とかどうでもいいの。
やりたいこと、目指すもの、なりたい姿があったとき、自分なりにどう目的地に辿り着くか。
最短で目指せるのも強さ。
迷って、悩んで、「は?意味わからん」と思いながらも辿りついたら、仮に誰よりも遅くても、目的地に辿り着いたその時点でめちゃ成長してるだろうね。
え、それでよくない?
その先に目的があるなら、そこから逆算して急いだ方がいいこともあると思うけど、そこまでの過程って本気で頑張れてないと無意味なの?
本気って誰が決めたの?倒れるまでやるのが偉いの?本気に見えなかったらダメなの?
いや、どうでもよ笑
昨日の自分より1ミクロンでも成長してたら100点満点。
本気なんてのはまやかし。
耳障りがいいから物語上で蔓延しただけのただの言葉。
他人なんてほっといて、自分で動いたものがち。
大丈夫。あなたは進んでる。僕も進む。
頑張ってるとか、本気とか、知らないけど、進んでる。
それだけでいい。
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