
ムスリム女性は本当に可哀想なのか―ヒジャブ着用をめぐる多様な視点から
1. 序論
1-1. 調査の目的と背景
世界中で人々が異文化圏へ移動している近年、多国籍国家と呼ばれる国が多く存在するようになった。日本にも多くの外国人が移住しており、結果として国内におけるムスリム人口も増加する一方である。しかし我が国におけるイスラム教の歴史は浅く、他国に見られるような政治的・宗教的確執はないものの、理解も十分でないのが現状である。特に女性に関する側面は「抑圧」や「制約」といった固定観念と結びつけられることが多い。そこで筆者は、日本では得ることの難しい宗教体験を海外で得ることを目的としてカナダでのフィールドワークに取り組んだ。本稿では、筆者が留学中に得た気付きを元にイスラム文化における女性観に関して得た考察をまとめ、日本人のイスラム教理解を深めることを目的とする。
1-2. 調査方法
本稿を執筆するに当たり、いくつかの先行研究を参考にした。コーランの解釈についてやイスラム教の文化的要因、アメリカでのムスリム女性の変容など、複数箇所において文献の引用等を用いていた。これらを参考に本稿の視点からさらなる論述を加えている。
また筆者の留学中の調査としては、実際にモスクを訪れ、ムスリムの友人や施設の管理者からイスラム教の文化や考え方を教わった。加えて、宗教施設内外において3名のイスラム教徒にインタビューを行い、リベラル国家に住むムスリムの価値観について調査した。
2. イスラム文化における女性観
2-1. 教義における女性の位置づけ
イスラム教社会は、男性が女性を抑圧する家父長制と結びつけられて考えることが多い。実際、女性の権利が侵害されていることも多く、その正当性は聖典に帰されることが一般的である。コーランには男女の立場の違いに対していくつか言及があるが、その中でも最も多く引用されているのが、以下の一節である。
男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが、一方を他よりも強くなされ、かれらが自分の財産から(扶養するため)、経費を出すためである。それで貞節な女は従順に、アッラーの守護の下に(夫の)不在中を守る。あなたがたが、不忠実、不行跡の心配のある女たちには諭し、それでもだめならこれを臥所に置き去りにし、それでも効きめがなければこれを打て。それで言うことを聞くようならばかの女に対して(それ以上の)ことをしてはならない。本当にアッラーは極めて高く偉大であられる。
ここから、ムスリム社会における女性は弱く護られる立場であり、従順でなければならないと解釈されている。
また、モスク内での男女の隔離も、今日の礼拝において如実に表れている。これもムスリム法学者がコーランの一部の節に書かれている事柄を組み合わせることであり、女性が足踏みをすることや礼拝を呼びかけることを禁止されていることを根拠として、イスラム社会における男女の隔離が主張されている(Syed 154)。筆者が礼拝に参加した際も女性用と男性用とで入り口から完全に分かれており、あくまでメインは男性側であることが明確に感じられた。
しかし、コーランにおいては男女の本質的な平等が強調されているという考えもある。Malhotraはコーランの49章13節を引用して、「この一節は、性別に関係なく、自分の価値を決める基準として、正義と人格の重要性を強調している」と主張している(Malhotra 3101)。実際、人類の創造に関するコーランの記述を見ても、男女の序列が記されていないことが分かる。聖書では女性であるイブが蛇に騙され、男性であるアダムを誘って一緒に木の実を食べてしまうという描き方になっているのに対し、コーランでは二人共に欺かれたとされているのだ(Q. 7:20-23)。
2-2. 文化としての宗教
このように、コーランには男性の優位だけでなく、男女の平等を主張する節も多く存在している。それにも関わらず、イスラム社会において未だに女性を抑圧する風習が残っているのには、宗教的な理由以外に、慣習的な理由が大きく関与していることが分かっている。Al-Hibriは、女性の政治的権利の否定は、コーランではなくその国の家父長制の強さによるものであると考察している(Al-Hibri 9)。宗教学的・地政学的な知見からすると、このように宗教がその地域の環境や文化に強く関係するのは一般的である。イスラム以前のアラビア半島では戦争が多く、戦力になり得ない女性の人格が軽視される傾向にあった。従って、イスラム教により女性の立場はむしろ向上したとも考えられ、イスラム教が本質的に女性軽視の宗教であるとは言い難い。
2-3. イスラム教に対する国際的な評価
イスラム教における女性の立場は、国際的に多様な評価を受けている。しかし欧米諸国からは、特にサウジアラビアやアフガニスタンなどで女性の教育や就業、移動の自由が制限されていることに対して批判が集まっている。また、女性の服装に関しても、イスラムの宗教的価値観と、欧米の世俗的価値観の対立が顕著に表れている。例えばフランスのヒジャブ禁止問題は、宗教的自由と女性の権利をめぐる議論の象徴となっている。フランスは厳格な政教分離を掲げており、2004年に公立学校での宗教的シンボルの着用を禁止し、2011年には公共の場で顔全体を覆うベールの着用を禁止した。これに対しては、逆に女性の選択の自由を奪っているとの批判もあり、未だ論争は続いている。このヒジャブについては、次の章で詳しく述べていく。
3. ヒジャブの着用をめぐる多様な視点
3-1. 聖典の解釈によるヒジャブの着用義務
ムスリム女性のヒジャブ着用義務は、コーランの第24章30節にあるように、視線を低くして慎みを保つよう指示する聖句に由来することが多い。特に女性に向けられた31節では、装飾品を覆い、胸にベールをかぶるよう呼びかけている(Q. 24:30-31)。これらの指示は、女性がヒジャブを着用し、慎み深さと神への献身を強調することを宗教的に義務づけていると広く解釈されている。いくつかの国では法的な規制まであり、細かいルールに差はあるものの、イランやアフガニスタンではヒジャブの着用が女性に法律で義務づけられている。
3-2. ヒジャブを選択する女性達
このような背景から、欧米ではヒジャブが抑圧の象徴ともされている一方、自由の国アメリカでヒジャブを選択する女性が増えているという研究がある。Aliはアメリカに移住してきたイスラム教徒二世の女性達がなぜヒジャブを着ているかについて調べた。彼女の調査によると、彼女たちはこれをアッラーの御心と理解し、適切なイスラム的行動とみなし、多くの人が男性からの不要な視線を逸らすことができると感じている(Ali 522)。また、信仰やアイデンティティの象徴としてヒジャブを好んで着用する人も多く、誰もが宗教的抑圧から強いられているものではないことが分かる。
3-3. ムスリム女性への聞き取り調査
このような背景がある中、筆者はカナダに在住するイスラム教の女性3名に聞き取り調査を行い、当事者がこのヒジャブ文化に対してどのような考えをもっているのか聞く機会を得た。以下、その記録である(全て私訳)。
「幼い頃はイスラム教徒の親戚に囲まれて育ったので、ヒジャブを着けることが当たり前だと思っていた。大きくなったら着けられる、大人の印のような物で、憧れすら合った。なので、周りから強制されて着けるといった感覚は全くない。」
「今では私はコーランを自分で読んで、自分の解釈で着用すべきと思って着けている。何が正しくて何が正しくないかは人間が判断できることではなく、全てアッラーが最後に決めること。だから今ヒジャブを着けていない人も正しいかもしれないし、それは私には分からない。ただ私は自分の信じる正しいことをして生きて行く。」
「出身国では着用が義務づけられていたので、あまり好きではなかったが人前では毎日髪を覆っていた。たまに同性の友人と森に遊びに行くときに外したりしていた。コーランにはそのような明記はないはずなのに、国家がそれを都合よく解釈している。神は信じているが、国家の解釈は間違っていると思う。」
「自国の文化に慣れていたため、カナダに来たばかりの頃は、髪や肌を人前に出すのが恥ずかしかった。しかし自分の好きなように生きたいと思い、今では肌を出すことにも慣れた。」
「イスラム教では女性は抑圧されているのではなく、逆にリスペクトされている。だからこそ神聖さや純潔さを守らなければならない。女性を尊重したイスラム教のこの考えは素晴らしいと思う。」
「遊びに行くときはたまに外したりするが、やはりヒジャブを着けているときの方が神聖な気持ちになる。」
これらの証言から、彼女らが主体性をもってイスラム教と向き合い、ヒジャブの着用の有無を決めていることが分かる。一方、この調査で聞いた声は全体からすると僅かであり、着用の義務がない国においても抑圧の事実が隠れている可能性もある。あくまで一部の例として参考にしなければならない。
4. 結論
本稿ではイスラム文化の理解を目的として、ムスリムの女性観やヒジャブの意味について考察した。ヒジャブの着用は単なる服装の選択ではなく、信仰の表現、文化的背景、社会的規範など、様々な要素が絡み合っていることが明らかになった。また、イスラム女性の立場は一様ではなく、地域や個人の価値観によって大きく異なることも確認できた。
今後の展望として、まず日本社会におけるイスラム文化の認識を高めるための取り組みが求められる。例えば、教育現場においてイスラム文化の多様性を紹介する機会を増やすことで、固定観念を払拭する一助となる。また、ムスリムコミュニティとの交流を促進するイベントや、ヒジャブを着用する女性の声を直接聞く機会を設けることも有効であると考える。こうした取り組みを通じて、異文化理解が進み、宗教や文化の違いを尊重し合える社会の形成につながることを期待したい。
参考文献
・Syed, Jawad. "An historical perspective on Islamic modesty and its implications for female employment." Equality, Diversity and Inclusion: An International Journal 29.2 (2010): 150-166.
・Malhotra, Stuti. "Position Of Women In Islam." Journal of Namibian Studies: History Politics Culture 34 (2023): 3100-3110.
・Al-Hibri, Azizah. "Islamic Law vs. Patriarchal Systems: A Woman's Perspective." Law Faculty Publications, (2002): 8-13.
・Ali, Syed. "Why here, why now? Young Muslim women wearing hijab." MUSLIM WORLD-HARTFORD THEN OXFORD- , (2005): 515-530.