見出し画像

暮らしの想像が家づくりの基本だよ

#家事分担の気づき というnoteコンテストが目に止まりました。2000年から24年間住宅専門の設計事務所として多くの家づくりに関わってきましたが、常に意識していたのがこの「家事」についてです。

ということで今回は、この家事についてを住宅設計者の目線で書いてみようと思います。これから家づくりを始める方々にとって、なるほどと膝を叩いてもらったら嬉しいです。


家づくりと暮らし

家づくりを考え始めた時に、皆さんは何を想像されますか?かっこいい外観や、広いリビング、それとも高い天井とかでしょうか。とにかくいろんなイメージが思い浮かぶと思います。

@ Gray StudioPro|出典:Freepik

ただ、それらに具体性や明確な基準はないと思います。一方で断熱性や耐震性などの数値的目標を持たれている方は、年々多くなっている印象があります。これは車を選ぶ時と似ていて、安全性はどう?燃費はいいの?という性能値を見るのと同じですよね。

コスパとかタイパなど、いろんなものの効率化を指標にする習慣は、バブル以降急速に意識されるようになったものだと思います。同じ性能ならより安いものを、より早く手にしたい。そんなニーズが生まれても仕方ないのですが、これは住宅業界側が作った仕組みなのかもしれません。

これらを否定するつもりもないのですが「性能がいい」はもっとベーシックに標準(性能がいいのは当然)として捉えていきたいと思っています。では、何を意識していい家づくり(住宅)を考えているのか?それは「暮らし」についてです。

暮らしとはなに?

「暮らし」ってよく目にするし、聞く機会も多い言葉ですよね。でもどこかぼやっとしていて分かりにくいし、よく言えば日本的で奥ゆかしい、悪く言えばどこか誤魔化しが見え隠れする、そんな言葉だと思います。

似た言葉で「住む」というものがあります。この二つを比べてみると、暮らす(し)に対して少しイメージし易くなるかなと思います。以前のこの二つについてnoteしてるので見ていただけると嬉しいです。

この中で「住む(生活)」「暮らす」のことをこんな風に説明しています。

「暮らす」が日単位で時を送り過ごす行為で、一時的な生活の場としてや、本居とは別の場所での臨時の生活でも構わないのに対し、「住む」はあくまでその人(や動物)の生活行為の場として一定の居所を定め、そこに身を置く行為。

「生活 (生活する)と暮らし(暮らす)」の意味分析|藤田勝良より

「くらしを改善する」は、おもに経済状態がもっとよくなるのにともなって衣食住の質や量がよくなることで、「生活を改善する」は、たとえば和式を洋式にきりかえたり、合理化したりすることをさす

「生活 (生活する)と「暮ら(暮らす)」の意味分析|藤田勝良より

ここにある解説を見ると、家づくりという行為の中では「住む」という言葉よりも「暮らす」という言葉を意識した方がいいように感じませんか?

「どんな家に住みたいか」と「どう暮らしたいか」

家づくりを始めると大体こんな問いが浮かんでくると思います。ここまで読まれた方はもうピンときてるはず。

住教育に学ぶ自由な家づくり|建築人のための稼ぎの美学

という感じで「暮らす」をイメージした方が、家づくりにとってはいいのではと考えているわけです。そういう意味では「住む」の概念が性能(数値)主義的であるのかもしれません。

家づくりの中の暮らすは家事じゃないかな

少し前段が長くなりましたが、家事について僕の設計の中で意識していることを書いてみます。家事と一言でいってもその内容は超多岐に渡ります。

「家事の分類をしてみよう!」という企画も目にしますが「ゴミを収集所に持っていくだけがゴミ出しじゃないのよ!」はよくいわれることですよね。

住宅の設計打ち合わせをやってると、だいたいこれについてちょっとした言い合いになったりします。

@ kues1|出典:Freepik

ゴミ出しというのは、家中のゴミ箱からゴミ回収して、空らのゴミ箱を再びセット。そして集めたゴミを分別し、決まった曜日に決まった場所に持っていく。

「ゴミ出ししといて」
「どこにあるの?」

この二人には、ゴミ出しについてのイメージに明らかなズレがあります。ちょっとしたことですが、このズレが後々あと引くことになるので注意が必要ですね。

食事の支度についても似たような認識違いありますよね。「今日の晩御飯は僕が作るよ、だからゆっくりしといて」

うっかりこんなこと言っちゃうと、良かれと思った食事の準備は仇になってしまいます。経験ある方多いのではないでしょうか。

「やるんだったら調理器具もちゃんと洗って、流し周りも綺麗にしといてよ!」

「なんでシンクの中が食器でいっぱいなの?」

「もういい、私がやるから!」

こんなやり取り最悪です。こうならないためにもお互いに、家事の全容を知っておくというのはほんと大事だと思っていて、こんな事例を話しながら僕の設計打ち合わせは進んでいくのです。

楽しく準備、楽しく食事、楽しく片付け

暮らすをイメージした家づくり

ここまで書いたように、暮らすをお互いがイメージし、どんな暮らしをしたいのかを共有しておいた方が良さそうです。その中で大きな存在が家事だと思っています。

一般的に暮らしの中では、明らかに家事は労働だと思います。家族のためパートナーのため子供のためという綺麗ごとだけでは、将来それがストレスになり、幸せな暮らしから外れていくかもしれません。

家事が労働だとすれば、共に暮らすものとしてその対価を提供するか、もしくは一緒に労働するかになると思います。前者でうまくいくのならそれでいいのですが、なかなかそうもいかないですよね。

そこで後者を選択したときに、今回のコンテストテーマである「家事の分担について」が出てくるわけです。

家事の分担について

設計打ち合わせでは、そんな家事のことについて積極的に話題に上げるようにしています。他人である僕が話題にすることで、当事者同士では気付いてないことや、言いにくいことをグイグイ聞いて事前にお互いの「家事」認識を擦り合わせていくイメージです。

この事前調整をした上でキッチンのこと、お風呂場や脱衣室とか洗面所、トイレのことなども細かくヒアリングしていくんです。トイレのあと普段どうされてますか「すぐに手を洗うのか、それともドアノブを回すのか」タンクに手洗い付きのものがあるけど、あの手洗い使いますか?など。

トイレだけでもいくつかの行動があり、そこにも個人差があります。家事目線でいえば、男性の小のやり方「立つのか」「座るのか」問題。座ってやったとしても何故か便座の裏が濡れてる問題。それらを誰が掃除するのか。

そんな細かなところをイメージできると、家事の分担というシステマチックに考えるより、お互いが家事を理解しできる方がやればいいのかなと僕自身は思っています。

便器に手を突っ込むのも、覚悟もってエイっ!ってやっちゃえば意外といけるもんです。ただ、その姿を見た娘は興醒めしてました。

ということで、家事の分担についての答えは「やれる人がやる」もしくは「そこに楽しみを見出せるものがやる」というのがいいなと思います。論理的に家事を分析し、それを関係者が理解共有し、そして率先して実行する。

何事も覚悟だと思います!

#家事分担の気づき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?