【事実発掘!FACT JAPAN 47 NO.7】福岡県
今日は華金やね〜。今からなんすると?
でも緊急事態宣言もでとうし、早よ帰りーね!
どーも! FACT デザイナーの中村です。
冒頭から馴れ馴れしくすみません。早速お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、お察しの通り僕は福岡県生まれ、福岡県育ち、生粋の福岡人*です。今回は僕の故郷・福岡県にまつわるお話をご紹介します。
*正確に言うと、僕は北九州出身です。ここ、福岡県民的には大事なので明言しておきます…笑
さて、福岡といえば、なんといっても美味しい食べ物!
もつ鍋!水炊き!明太子!ラーメン!ごまさば!鉄なべ餃子!屋台!などなど…
特にラーメンについては同じ豚骨でも、九州豚骨の祖「久留米ラーメン」、細麺こってりな「博多ラーメン」、極細麺・替え玉文化の祖「長浜ラーメン」など様々なラーメンがあります。(明確な線引きについては難しいのですが…)
福岡で過ごした学生時代、課題に明け暮れた学校の授業の合間、忙しいバイトのお昼休憩や親不孝通りで夜通し遊んだ後も。
「ご飯」として「シメ」として、安価でサッと食べられて、お腹を満たしてくれるラーメンには幾度となく支えてもらいました、、感謝してもしきれません涙
学生時代には週7ラーメンを記録することもしばしばでした。
ただ!!!
実はそんなラーメンラバーな僕がラーメンを愛し過ぎていたがゆえに知らなかった事実がありました。
・・・なんと、福岡は豚骨ラーメンよりもはるか昔に「うどん」を食文化として根付かせた「うどん発祥の地」だったのです!!
その歴史は古く、1241年にまで遡ります。
福岡市博多区の承天寺に聖一国師という僧侶がおり、宋時代の中国にわたって大陸の文化を学び帰国した際、うどんの製粉技術を持ち帰ったと伝えられているのです。実際に、承天寺には「饂飩(うどん)蕎麦発祥の地」という石碑があります。(蕎麦については諸説あり)
聖一国師は水力で動く製粉機械の図面「水磨の図」を持ち帰り、それを福岡で再現したことで小麦を大量に粉にすることができるようになり、麺を食べる文化が福岡から全国へ広まったのだとか。
正直これには大変驚きました。
北九州の『資さんうどん」、福岡の『ウエスト」などなど、思い返せば幼少期からうどんと接する機会は数多くあったものの、なんというか特にブームになるわけでも商業的に呼称が広まるわけでもなく、
もはや生活の一部になりすぎていて「麺ならやっぱラーメンやん?」派だった中村はそんな歴史があったとはつゆも知らず。。。
ちなみに初めて豚骨ラーメンが登場したのは1937年。
つまり約700年もうどんさんの方がパイセンなんですね、、、
頭が上がりません。
気になるその博多うどんというと離乳食にも向いていると言われるほどの「やわめん」と「薄口醤油ベース」のさっぱりとしたお味が最大の特徴。
どんなコンディション(酔いの回り)であってもスルッと食べられてしまいます。
これはもう、ラーメン以上に「シメにはもってこいの麺」と言っても過言ではない、かもしれません。
ちなみに「うどん居酒屋」という呼称を初めて使い、美味しいうどんを提供する居酒屋というスタイルを確立したのは弊社オフィスと同じ並びの高架下にもお店を構える『二〇加屋長介』さんなんだとか。知らなかった…!
.
「ラーメン」「うどん」(「そば」)とくれば、まさに福岡は日本の麺カルチャーを支える「麺大国」と呼べそうですね!
また、こうした背景には古くより九州、アジアの玄関口として栄えた福岡の商人文化があるともいわれています。
手っ取り早く、安く、栄養が取れる麺類は食事をゆっくりとる時間のないくらいに忙しく働き、せっかちだった「商人の街 福岡」の人々にはピッタリだったよう・・・
こうしてうどんについて語っているとなんだか無性に食べくなってきました!汗
というわけで、うどんと言えば某四国のあそこでしょ!とお思いのあなた!
コロナが落ち着いた暁にはぜひ一度、うどん発祥の地博多で美味しい福岡のうどんをご賞味あれ!僕も帰福した際には必ず堪能します〜
次回、僕と一番年齢も近く、とても頼りになるFACTの姉御!PRの堀田さんにバトンをお渡しします。お楽しみに〜!
*ちなみに僕は当たり前のように故郷に帰ることを「帰福する」と表現するのですが、みなさんはどうでしょうか。
「帰阪?」「帰北?」「帰広?」なんていうのでしょうか…教えてください。
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