【事実発掘!FACT JAPAN 47 NO.10】群馬県安中市
ブティックをともに取り仕切る盟友・三寺より、無邪気に『次回”衝撃の事実”をお届けする』と振られた佐伯です。
衝撃の事実なんてなんもなか・・と前回の三寺の佐賀ネタを引っ張りたいところですが、振られた以上は安易に考えていた大好きな沖縄にはそっとフタをして、まったく縁のないところを領域展開して攻めたります!
コロナで旅もままならない中、いま行きたいところベスト1は温泉です。地名じゃないけど温泉です。もう温泉マーク♨️見ただけで、心が翔んでます。
ふわりとした円形に3本の激ユルの湯けむり。あのマークって間違いなく、日本人が一番愛するマークだと思っているのですが、どこでいつ生まれたか知ってますか?僕は地図記号決める時に、なんとなく出来たと思ってました。でも違うんです。
それはアンナカの磯部温泉で生まれたのです♨️
あ、いま皆さん、頭の中に?マークがきっと浮かびましたね。どこやねん、アンナカ、磯部温泉。
東日本の温泉処と言えばやはり群馬。群馬の温泉といえば、言わずと知れた『草津』。そして『伊香保』。さらに『水上』、『万座』・・出るわ出るわ、さすが群馬。
しかしランキング見ても出てこない、失礼を承知で言うと温泉メジャー県のマイナー温泉、それが『磯部温泉』です。
磯部温泉がある安中市も同様で、群馬といえば県庁所在地の前橋、BOOWYの高崎に伊勢崎、桐生や太田なんかが有名なんじゃないでしょうか。
いやいやこの安中、とんでもないポテンシャル(魅力)を秘めた素晴らしい街なんです。
安中市にある磯部温泉で温泉マークが生まれたのは、溯ること360年前の万治4年、西暦1661年。あの黄門様こと徳川光圀が第二代水戸藩主になった年に、幕府が農民同士の土地争いを決着するために出した評決文の図に、磯部温泉を記したこの記号が2カ所、描かれていたのに端を発するとのこと。
今の形の温泉マークに落ち着くには変遷もあったようですが、実は2020東京オリンピック・パラリンピックを迎えるにあたって、『外国の人にわかりにくい』と、温泉マークを新たにする動きが。(海外の人には温かい料理に見える、と。なるほど・・)
しかし最終的には磯部温泉含む全国の温泉関係者らがモーレツに反対。熱意が通じて、現行案を残しつつマークは併存。どちらを使っても良い、となったそうです。
さらに全国の駅弁の中でも屈指の人気を誇る、”おぎのやの『峠の釜めし』”。
そうあれです。発売から60年以上経つあの名物弁当も、安中市にある信越本線・横川駅の駅弁なのです。横川駅の1日の平均乗客数はわずか211人(2018年度、JR東日本調べ)。にも関わらず、東京や新宿、全国の催事会場などで、1日平均8,000個が売れていると言うモンスター弁当です。(ちなみに安中市の2020年時点の人口は5万7000人。)
しかも”おぎのや”こと、荻野屋(本社・安中市)は創業1885年、現存する日本最古の駅弁業者だとか。
安中市も他の地方都市同様、人口流出に歯止めが聞かず、磯部温泉エリアも高齢化や商店の減少が悩み。今では旅館もわずか7軒にまで減ってしまったそうです。
でももうすっかり皆さん、安中を憶えましたよね?行きたくなりましたね?釜めし食べて、温泉入りたいですよね?
さらに元々『愛妻湯の町』を掲げていた磯部温泉は現在、『恋人の聖地』にも認定され、”結び処”というモニュメントが登場。『誓いの絹紐』なるものを二人で結ぶエモい儀式もできるそうです。7色もあるらしい絹紐、これは映えること間違いなしでしょう。
(それもそのはず、安中市は日本の生糸のおよそ7割を製糸している一大ヒモ産地でもあったのです!)
『温泉マーク♨️発祥の地』、『日本屈指の駅弁』、そして『愛妻湯』に『恋人の聖地』というパワーワード・・
加えて、地図を見てみると安中の隣は日本ナンバーワン避暑地の軽井沢。そして南には世界遺産のある富岡(富岡製糸場)。最高のデート観光ルートコンボ!!
今はどのエリアも活性化に躍起ですが、ひとつの魅力、ひとつの街だけではなく、多くのマテリアルをうまく組み合わせる、手を取り合うことで単なる足し算、掛け算以上の魅力が生まれるのではないでしょうか。
「磯部温泉に行こう!」だけだと、恋人や家族に「は?」と言われるかもしれませんが、安中を取り囲む素敵な魅力を合わせてプレゼンできれば、もっともっと街に人も活気も取り戻せる気がしてなりません。
(温泉以外にもメガネ橋に、四季折々の自然、本当に知れば知るほど素敵な街でした。)
もう行くしかなか、アンナカ!
#まだオレも行ってない
さて、次回は・・の前に、長くなったついでに、そんな素敵な安中にどうしても一つだけツッコミたいことがあるのです。
実は安中には温泉マークと並んで、もうひとつ発祥を名乗るとんでもないものがあるのです。それは“マラソン”です。
1855年、幕末の折に安中藩主・板倉勝明が迫る外国の脅威に備え、国と藩を守るべく藩士96名の心と体を鍛えるために安中城から碓氷峠までの7里(現在の28km)を走らせた『安中御城内御諸士御遠足』、通称・『安政遠足(とおあし)』がマラソンの発祥とされ、今でも『侍マラソン』が毎年5月に実施されるぐらいの伝統の一大行事のようなのです(群馬県や市の公式情報サイトにもちゃんと書いてあります。)。
ちょ、待て待て。マラソンて、古代ギリシアの兵士が戦勝報告でマラトンからアテナまで、約40kmを走って伝えた(そして力尽きた)のが由来ですよね?!
五輪競技として現代に登場したのは1896年。”日本のマラソン(発祥)”と言うにしてもそれも変やし、そもそも28Kmってマラソン完走してないやん??
・・ま、いっか。そんなことは温泉の素敵な魅力の前では些細なことですね。
ではでは今度こそ次回予告。
次は見るもの、作るもの、すべてが素敵な松原から、日本のどこかの素敵な事実をお届けします!
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