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【事実発掘!FACT JAPAN 47 NO.24 】宮城県仙台市

#カラダ以外は縛られたくないー

あ、大丈夫です。気はたしかです。トラピーこと佐伯です。自宅待機が続いて狂ったりしてません。前回ゆるキャラを愛する三寺より、『FACTの進化を止めないビジネスディレクター「トラピー」からお送りします!』という振りをいただいたので、今いちばん愛するゆるキャラ?の座右の銘から今回のコラムを初めて見ました。どうなるんでしょう。

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このコラムもついに後半戦突入ですが、前の投稿者からの前振り、地味に気にしちゃうんです。しかも”ゆるキャラ”をテーマにしておきながら、全然内容がゆるくなく、ガチに内容が良かった前回(笑)。じゃあもうこちとらプレッシャーなんぞ通り越して、いちばん振り切った究極のゆるキャラからゆるく始めようと思い、冒頭の言葉に辿り着きました。

言葉の主は、『きっこうちゃん』。ついにこちらのコラムでぎりぎり下ネタに踏み込みますが、避けては通れないので説明すると、その名の通り、きっこうちゃんは亀甲縛りをされたウサギのキャラクターです。その時点でもはや意味がわからないのですが、たとえロープで肉体は縛られていても、彼女(彼?)の心は誰にも縛ることはできないのです。いやいやどんなキャラクターだよと。どうやったら、かわいいウサギを縄で縛ることになるんだよと。しかし、今回は残念ながら『きっこうちゃん』について語ることはコラムの本質ではないので、そんな普通じゃ思いつかない『きっこうちゃん』を生み出した東北最大の雄県・宮城県の「仙台」という土地について語らせてください。
(きっこうちゃん、マジで最高なので見てみてください。笑
https://www.instagram.com/kikkouchan/ )

本人たちも気づいていない仙台っ子の本性

誰が言い出したか東北人の気質―「我慢強い」「遠慮しがち」「謙虚」。それは東北最大の都市の仙台も同様のようで、仙台の人に自分たちの県民性や気質を尋ねた各種のアンケートを見ると、以下のようなキーワードが共通して挙がってきます。「穏やか」「優しい」「真面目」そして「バランスが良い」・・
一説によるとそのような仙台人の気質をつくったのが、あの伊達政宗。”独眼”竜で有名な政宗は、幼少期に患った病が原因で隻眼に、つまり片方の目を失ってしまい、それがコンプレックスで引っ込み思案の性格に。一方で、空気や時代を読むことに長け、豊臣秀吉に目をつけられながらも、徳川の世になってから今もなお繁栄する仙台の礎を築いた・・って、いやいや!!

否定はしません。仙台の人にはそういう側面もたしかにあります。そして政宗にも確かにコンプレックスはあったかもしれません。しかし、あの政宗が引っ込み思案?そもそも『伊達男』の『伊達』って、『伊達政宗』の”伊達”からでっせ。(※花の慶次も引くような全身白装束で豊臣秀吉の前に現れて、遅刻の言い訳をした際に生まれた言葉と言われています。)
優しくて、穏やかでバランスが良いなんて、仙台人の一側面でしかなく、その本質はむしろ真逆の性質な気がします。
かと言って、「怒りっぽい」「冷たい」「ルーズ」、というわけではありません。目に見える表面的なパーソナリティの裏側、心の奥底に信じられないぐらいの(良い意味での)プライドと燃え上がるエネルギーを併せ持っているのが仙台っ子の人間性に思えてなりません。
大半が降雪エリアで、時の都からも距離のあった道の奥、つまり”みちのく”と言われ続けてきた東北地方はいつも多くのハンデを抱えていました。しかし同じ東北の中でも、仙台ではひとりの引っ込み思案なのに目立ちたがり屋というヤバい(※褒めてます)英雄の精神と視点が、ハンデをオリジナリティに、ピンチをエネルギーに変えて行ったのです。

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ハンデをチャンスに変えた独眼竜の視点

宮城、中でも仙台が、東北随一の都市となったのはひとえに藩祖・伊達政宗の功績であることは誰もが認めるところです。
戦国大名としての活躍も広く知られていますが、時代を代表する文化人・教養人でもあり、天下統一の夢敗れた後、江戸や上方(大阪)に負けない気概で、北の大地に自分たちの”都”を創り上げようとしました。
古代以来、東北の地に根付いてきた文化の再興・再生を目指しながら、江戸や上方、海外の文化をも柔軟に取り入れ、何より自身の独創性をミックスして、これまでになかった、まさに”伊達”な文化を作り上げました。

見た目が壮麗・華美だっただけではなく、そこに住む民のことも考えられた都市計画は今なお仙台が”杜の都”と語られていることからも見て取れます。元々は、政宗が「宮城野」と呼ばれていた今の仙台に城を構えた際に、家臣達に植樹を奨励し出した事が”杜の都”のはじまりと言われています。しかし当時は街の美観のためなどでなく、飢饉時に食料とするため、また潮風から街を守るための木々の植樹でした。こうしてもともと荒野だった仙台の街は、その植樹政策によって木々の潤う緑豊かな城下町となりました。

第二次世界大戦時の仙台空襲でも多くの命や歴史ある文化的遺産とともに、その緑豊かな街並みが失われてしまいましたが、戦後もケヤキの植樹をめげずに始め、今に至る美しい街並みを作り上げました。
そして11年前の今日、3月11日に東北を中心に日本を襲った東日本大震災ー。仙台もまた大きな被害を受けましたが、それでもまた一歩一歩、ひとつずつ街を蘇らせてきました。
今も仙台の街の中心地には緑豊かなケヤキ並木、電線は地下に埋め込まれ、他の日本の都会に見られる雑多さ、雑踏さはまったく見られません。

仙台から東北、日本を動かすー

400年以上もの歴史の間に戦災も天災もあった仙台は、それらを乗り越えて今に至る素晴らしい街と人が集う東北を代表する都市になりましたが、東北は全国で最も人口減少・高齢化が深刻で、震災後に様々な地域的・社会的課題も表面化した「課題先進地」。仙台市も他の東北の市町村と同じく、少子高齢化や人口減少の問題を抱えます。

しかし、もともと同じ東北間での連帯や連携意識が強かったことに加え、東日本大震災を契機として、東北エリアでは社会的課題解決志向が高まっているそうで、今後、仙台を中心に東北から日本の(地方)課題を解決するムーブメントが起きる予感がしてなりません。
仙台市が2019年に策定、今もアップデートをしている『仙台市経済成長戦略2023』にも、「東北各地からの人材流入や経済的取引など、東北に支えられながら仙台が発展してきた」旨が記されているのが印象的で、戦略の目指す目的(ゴール)も『仙台・東北で暮らす人々が豊かさを実感できる未来』となっています。
この精神も、一度は抱いた天下統一という己の野心を、その後は自らの住む街をどこにも負けない住みやすい街にするという民のための志に変えることのできた政宗イズムの名残ではないでしょうか。

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最後に、『隻眼』には【片目】という意味の他にもう一つ意味があります。そのもう一つの意味は【物を見抜く眼識。優れた識見。また独自の見識】
他の戦国時代の群雄と比べると後から生まれた政宗は「あと10年早く生まれていたら天下を取れた」とも良く言われますが、当時天下を取れずとも、その“ハンデやコンプレックスをエネルギーに”、“天下統一という野望を民のための政に”変える二面性で、日本の未来を明るくする種をすでに撒いていたと言えるでしょう。

パのお荷物球団と言われた楽天イーグルスは震災のあった翌シーズン、劇的な日本一を遂げ、震災で傷ついた東北の人々の心を奮い立たせ、日本中の人々に感動を与えました。
ハンディキャップはハンディキャップです。しかし物事は決して一つの側面や、その時点の評価だけで本当の価値を測ることはできません。そのハンデや苦境を埋めようとする創意工夫が、情熱が、時に人々をつなげ、時をも超えて新たな価値を生み、人々やその時代を前進させることにつながるのです。

なかなか明るいニュースに触れづらい世相な上に、流行り廃りの変化が早く、新しいものがすぐに古くなってしまう戦国時代以上に価値観の変化が激しい時代ですが、政宗のような柔軟な二面性と視点が必ず素晴らしい未来を拓くことになるー
亀甲縛りのうさぎの話から始まったコラムを、なんとか良い話(風)に終えることができたところで、FACT随一の独自視点の持ち主・松原さんにバトンを渡して今回は終了です!

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