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翻訳・通訳キャリアの源泉:炊き出しボランティア(ベトナム語 翻訳・通訳者 ハー・ティ・タン・ガさん:その5)

炊き出しボランティアが人生の契機に

阪神・淡路大震災があって、張り工の仕事はかなり少なくなった。
それで、たかとり (*註)のボランティアをするようになりました。

[*註:当時、鷹取教会救援基地。震災から1000日目までの呼称で、その後「たかとり救援基地」に改称し、2000年4月には「たかとりコミュニティセンター(TCC)」に展開]

震災で大変だったときに周りの人にいろいろお世話になったので、私に何ができるかと考え、炊き出しでベトナム料理を作ることでみんなに恩返ししようと。そこからいろんな関連の仕事につながっていきました。

当時、たかとりには1日200人ぐらいボランティアさんが来ていたので、朝昼晩と食事づくりがすごく大変だった。

だから、鷹取教会につながりのあるベトナム人のお母さんたちも手伝いませんかと声が掛かりました。

ベトナムのお母さんたちは4グループに分かれて、週替わりで月1回ずつ作ることになりました。あの時はすごくハードで、生春巻きなんか、もう朝から晩まで巻いてた。

神戸市長田区は阪神・淡路大震災で大規模な火災に見舞われた。
ガさんは日本人とベトナム人が一緒に居た避難所で、
対立しがちな双方の緩衝材となるべく、炊き出しをした。

私は避難所でも炊き出しをしていました。
避難所にいる人たちとはぶつかることがあったけれど、食べ物を出せば仲がよくなるのではないかと思って始めたんです。

避難していたのは鷹取中学校だったけれど、子どもがうるさいとか、声が大きい、騒いでいるとか言われたね。

鷹取中学校でベトナム人と再会できて、その人がけがもせず元気でいると、うれしいでしょう?
それで声を上げたら「なんで騒ぐのか」と文句を言われる。
でも、生きているって良いことじゃないですか、私はそれだけで喜ぶよと説明すると「ああ、そうか……」となります。

だから表現のしかたが違っていて、誤解されるというのもありました。

「避難所には外国人は入ったらあかん、出ていって」と言われて出ていった人もいるよ。

当時は、避難所の仕組みがわからなかったんです。
たぶん今だったら出ていかないけれど、昔はそう言われたら、そのまま「(避難所は)私たちがいるところじゃない」と思ったかもしれない。

神戸定住外国人支援センターのスタッフとしてベトナム人の生活相談に携わる

水曜日に炊き出しボランティアに来るようになって、鷹取教会の神田裕神父から、KFC(神戸定住外国人支援センター)をつくるからスタッフになってくれないかと誘われました。

当時、私が知っているのはゴム屋の言葉ばかりだったから、自分にはスタッフなんてできるとは思っていなかった。

それなのに中村通宏さん(KFC発足後の副代表。現:NPO法人日越交流センター兵庫 理事長)から推薦されて、神田神父も私がよいと思って声を掛けたそうです。

悩んで悩んで「神父さんの指示だから、従わないといけないのかな」「だいじょうぶだろうか」と思っていたけど、思いきって引き受けたおかげでいろいろできるようになったね。

具体的な仕事としては、生活相談が多かったですね。
仮設住宅の申し込み、未払い賃金、市営住宅のこととか。

「仮設住宅の申し込み、未払い賃金、市営住宅……。
いつのまにかケースによっては私も対応できるようになった」

最初は金宣吉さん(KFC代表)が対応して、私はただ通訳をしていたけれど、いつのまにかケースによっては私も(相談の)対応ができるようになった。

同じ相談内容なら、金さんがいなくても私が対応することが積み重なって、今では知識が豊富になりました。

どちらかというと、ちょっと厄介な相談のほうがうれしいかな。
勉強できるチャンスだと思えるから。
少し変わった病気だと、私が病院に連れていきたいなとか。

やはり経験を積まないとだめですね。
今はたいていの病気については、かなり説明できるよ。

F:生活相談を始めてから丁寧な言葉づかいに変わったのは、いろいろな人に出会うようになって、言い方の違いがわかるようになったからですか。

そう、自分が話していた言葉とはぜんぜん違うんですね。
今でも、お医者さんと話す場面では慎重になります。
やはり、しゃべり方が違うから。


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