ホワイトギムナジウム
「ママ、この人だれ??」
息子が尋ねるのも無理はない。こんな銅像見たことがないだろう。まるで札束を自慢する嫌味な金持ちのように、大量の紙を握りしめている。しかも二体とも。
私が黙っていると「偉い人?」と、息子が続けた。
「そうよ、偉い人」
ここは真っ白い体育館。ホワイトギムナジウム。ホワイトハウスの隣に建てられた体育館だ。完成までのスピードはめちゃくちゃ早かった。2020年の11月初めに行われた大統領選挙が揉めにもめたあと、年が開けるころにはもう完成していた。
「これ、何を持ってるの?」
「これはね、投票用紙」
「投票用紙?」
「そうよ、選挙のね」
結果が出たあと、負けた候補者が「不正選挙だ!」と言いだし、再集計を求めた。もう一度集計すると、結果は逆転。すると当然のように、もともと勝っていた候補者は「不正選挙だ!」と言いだしたのだ。
投票用紙は二億枚を超えるので、本当に確かな数字など出ないのかもしれない。公正であると信じたいが、数えている人たちも人間なのだ。政治思想がある。国の各地に派遣された彼らの一人ひとりが全員、正義感を持って票を数えているとは限らない。というのも、お互いが納得いくように証明することは出来ないからだ。
それに疫病が流行ったこともあり、前代未聞の郵便投票があったことも事態を狂わせた。
それから何度数え直しても、結果は均衡していた。そしてなぜか、同じ結果は出なかった。
「じゃあもう、自分で数える!」
片方の候補者は状況を見かねて、そう宣言した。すると、「望むところだ」と、もう片方。それで国中の投票用紙を運び込むため、ホワイトハウスの隣に体育館が建設されることとなった。
輸送作業は徹底された。不正が行われないように、トラックや飛行機には監視カメラがつけられた。ドライバーの身元チェックや政治信条チェックも行われ、もしどちらかの陣営から不正の協力を頼まれるなどしていたら、無期懲役になるという法律も作られた。
そして到着した投票用紙。彼らは、二人で一枚づつ確認しながら自分たちの票を数えていった。もちろんその様子は中継され、おじさん二人がただただ紙を仕分けする映像が世界に拡散された。
それから、波乱万丈な日々が続いた。
まず、1日目の夜。約1000枚数え終わると、「今日はここまでにしよう」とどちらともなく言い、二人はパジャマに着替えた。そのあと片方が「電気を消さなきゃ寝れない」と言うと、「不正をする気だろ!」と応酬が始まった。口喧嘩はもちろん全世界に中継され、夜通し続いた。結局、朝になり疲れ果てて眠ったようだが、二人とも寝相が悪かった。数え終わった投票用紙はぐちゃぐちゃになり、作業は一からになった。
翌日も問題は起きた。運び込まれた食事。数え終わった投票用紙を真ん中に置き、左右に分かれて食べていた。そのとき片方がコンソメスープをこぼしてしまったのだ。滲んでゆく文字。その一枚はどちらの名前が書かれたものかわからなくなり、結局じゃんけんで決めることとなった。
さらに数週間が経つと、体育館の中は汚れてきた。おじさん二人と大量の紙が置かれた無機質な空間だが、ホコリはたまる。片方が「そろそろ掃除の業者を入れないか?」と言うと「これくらい我慢できる」と譲らない。確かに『どこからが汚れているのか』といったラインは人によって違う。それに業者がどちらか片方を応援していたら、相手の名前の書いた投票用紙を捨てるかもしれない。そう警戒したのだろう。結局、上下左右全方向からカメラを向けられた業者が二人の周りを掃除することとなった。
二人は疑心暗鬼になりながら、共同生活を続けた。ときどき言い争いや揉め事がおき、そのたび最初から数えることとなった。それぞれの党に属する議員たちも、リーダーが言いだしたことなので見守るしかなかった。さらに世界中で紙を数えるおじさんのパロディーが作られ、権力への執着を皮肉った。そこまでして大統領になりたいかと。それに、仮にもエリート街道を歩いてきた二人が、人生の終盤でひたすら紙を数えているのを揶揄するものもあった。
それから2年が経った。人々の関心は薄れるかと思いきや、そうでもなかった。なんせ大国のリーダーを決める戦いである。私も永遠に生中継されている映像を、ときどき見守っていた。
はじめは言い争いが絶えなかった彼らも、時には笑顔を見せた。長いあいだ同じ目的を共有することで、絆のようなものが生まれたのだろうか。冗談を言い合っているようにも見えた。
また片方が体調が悪い日には、もう片方が「今日はやめとくか?」と言っている音声も流れた。アメリカのポカリみたいな飲み物を飲ませてあげている映像には、少しほっこりした。しかしまた、翌日になると喧嘩していたりした。
そして、共同生活が始まってちょうど1000日目。ついに二人は1000万枚の集計を終えた。結果はおよそ520万対480万。しかしまだ二億枚以上残っている。十分に逆転は可能だ。ここまでの結果をメモし、二人はハイタッチを交わしたあと、その場に倒れた。
その1000日間は今「ピース・バイ・ダウト(疑いがもたらした平和)」と呼ばれている。まるで結界が貼られているかのように、世界の全ての争いはこの体育館に封じ込められたからだ。
それから10年が経ち、今こうしてホワイトギムナジウムの前で、二人の銅像を見ると、感慨深いものがある。
「お母さん、ここには入れないの?」と息子の声がした。
「まだ数えてるのよ」
「えっ、今はがだれが数えてるの?」
「その子孫たちよ」
そういって私はスマホを起動し、中継されている映像を見た。中では互いの娘や息子たちが、冷房の設定温度で揉めていた。