今日を何でもない日に‥‥
新型コロナウイ‥‥あっ…virusの影響で、最近はやたらと〝異例〟って言葉が目に入ってきますね。〝異例の無観客試合〟とか〝異例の中止〟だとか、、、
これだけ〝異例〟ばかりだと、もはやそれが日常な訳で「もう当たり前だろ」とも思うわけですが、人間というのは、前を向くのは得意でも、一歩を踏み出して、前に進むのが苦手な、まぁ、案山子の様な生き物でござんして、
案山子と言ってもコピー忍者の方じゃございやせんで、田んぼや畑に突っ立っている、害獣避けの人形の方でございやす。
そんな異例尽くしの今日ではございますが、本日6月の23日は、沖縄県の慰霊の日でありまして、慰霊の日ってのは、沖縄戦での組織的な戦闘が終結した日に制定された記念日でして、今日はこれに関連して一席設けさせてもらいます。
と、まあ、最近、古今亭志ん朝や立川談志の落語をちょいちょい聞き流してるせいで、ちょっとかぶれてみたんですが、めんどくさいのでやめます。
noteを始めてから、1~2ヶ月くらい経つののかな。僕のnoteを読んでくれてる数少ない友人に、基地問題について書いて欲しいと言われて、沖縄で生まれ育っている僕としても、どこかで触れておきたい話題の一つでもあって、んま、タイミングを伺っていたのだけど、、今日かな、ってことでちょっとばかし書かせてもらいますね。
最初に言っておかなきゃいけないと思うのですが、
僕は、辺野古移設は止む無しという立場です。
勘違いして欲しくないので、言っておきますね。
「辺野古に是非是非、」では無くて、「やむを得ない」です。
ちょっと頑張って、書くけど、難しくなるかもしれないので、頑張ってついてきてください。
そもそも多くの人が勘違いしているかもしれませんが、
一介の知事に辺野古に移設をするしないの判断をする権力はないんですよ。
そもそも国の土地なんで、、
この国は皆んさんの大好きな立憲主義で法治国家です。
大学で法学をかじった人間ならば、誰しも知っているだろうけども、
立憲主義と民主主義は緊張関係にあることはしばしばあります。
難しい話を飛ばして、簡潔に話します。
2011年の12月26日に政府からまず環境アセスの評価書が提出されますね。
これから行う事業の環境への影響を検証し、双方の意見を聞いて、修正を加えた、環境アセスメントの最終書類です。
これが提出された以上は、県が受けとらないことは、行政手続法の規定上、あり得ないんですよ。
ちなみに、この時に沖縄県に提出された、評価書は段ボールでおよそ16箱分です。
そして、2013年の3月22日に、
沖縄防衛局(政府)から沖縄県の土木建築部に辺野古埋め立ての申請書が届きます。
その埋め立てを承認するか否かの権限は都道府県知事にありますが、
重要なのはここからで、承認するか否かの基準は公有水面埋立法に記載されている6項目についてその事業の適合性を審査して、判断するように定められています。
つまり、埋め立ての承認は、法律に則り、政治的ではなく、技術的に判断しなくてはならないルールなんですよ。
ここから、県がすることは、その8000ページにも及ぶ申請書に不適当な部分がないかを丁寧に審査することです。
のちに、翁長県政が『瑕疵があった』と主張したのは、この過程のことですね。
つまり、仲井眞県政が審査をして「問題がない」とした申請書に対して、
「間違いがあったから、埋め立ての承認の判断も間違っていた」という主張です。
もちろん、仲井眞県政でもプロの専門家が審査しているのだから、間違っているはずがありません。
そもそも翁長県政は、始めから仲井眞知事の承認を否定するための結論ありきの再検証だったので、当然、その瑕疵があるという主張は通りませんね。
ここに至るまでに仲井眞知事は、政府に対して、いろいろな要求をしています。
・那覇空港の第二滑走路の工期短縮と毎年330億円の予算確保
実際にこれは政府と国交省がだいぶ無理をして、福岡空港の第二滑走路の工事と順序を変えて、7年の工期を5年と10ヶ月に短縮し、予算もつけて、東京五輪前に運用開始できる様にします。んま、阿呆の翁長が工事を止めたせいで遅れているけど、、、
・嘉手納以南の返還
これも今年の3月31日に瑞慶覧の一部が返還されたりと、着々と進んでいますね。
話が逸れちゃった。時を戻そう。
そして、申請書の審査が始まって、
てか、冷静に、東大卒の高級官僚が作る申請書が間違っている可能性の方が、どう考えても低くないですか。
てか、間違えてても、修正されて再提出されるので、いずれ申請書は審査を通るんですよ。審査を通っているのに、知事が不承認にすることは、明らかに知事の裁量権を超えています。皆さんが大好きな、〝法的に!〟です。
そこで、審査が終わる前に、仲井眞知事は、
阿呆みたいな要求を政府にさらに突きつけるわけです。それが、
・3400億円規模の沖縄振興予算の確保
これは有名でしょ
・沖縄本島の南北を結ぶ鉄道の整備
これも最近、目にしませんか??
これも仲井眞さんの仕事ですよ
・普天間基地の5年以内の運用停止
・普天間基地に配備されたオスプレイの半分に当たる12機の県外配備
・キャンプ・キンザーの7年以内の運用停止
・日米地位協定への環境条項の追加
などなどです。
中でも、僕が評価したいのが、最後の地位協定の環境条項の追加です。
これって、すごいことで、沖縄県での米軍の犯罪って何度も話題になりますが、その度に基地に逃げられて、地位協定の壁に阻まれて、日本の法律では裁けません。
これは許し難いことです。しかし、最初からそれをどうにかしろと言っても、これまで何も変わらなかったんですよね。
そこで、仲井眞さんが考えたのが、別の小さなところから変えて、不動の地位協定にメスを入れ、最終的な地位協定、つまり、日本の法律で裁ける様に改定するための突破口を作ろうとしたわけです。
これが通れば、60何年と揺るがなかった地位協定を変えるという偉業になるわけで、、、
こんなふうに、仲井眞知事は、どれもハードルの高い要求を政府に対して投げたわけですね。
それを政府は、
・2014年度の沖縄振興予算を3460億円確保します。
これは県が提示した額を52億円も上回ります。そして、今後7年間、つまり2021年まで沖縄振興予算の3000億円も確約します。
これも、実はすごいことで、予算って年度主義って言って、その年の歳出は、その年の歳入で賄うのが基本なんですよ。
難しいですよね。つまり「今年はこんだけ歳入があるから、ここにこんだけ使えるよね」って決めていく予算なのに、歳入がいくらになるか分かんないけど、毎年、沖縄県の予算は3000億円は確保しますよって約束したんです。
・キャンプ・キンザーも7年間で全面返還できるように担当チームを立ち上げます
・地位協定の環境条項の補足でも米国との交渉開始に合意します。
・普天間の5年以内の運用停止とオスプレイの半分の県外配備についても、段階的に米国と交渉を始める約束をします
つまり、政府は県の求めた無理難題とも思われる要求に応える姿勢を見せたわけですね。
そのすぐ後には、審査上、問題のないことが仲井眞知事に伝えられ、
法的に、仲井眞知事は〝承認〟せざるを得なかったわけです。
あの当時は、政府の条件に食いついて、承認したとか
沖縄を売っただとか批判されましたが、
実際は、話が全然違うんですよね。
もしも、仲井眞知事があれだけの要求を突きつけてなければ、
沖縄県は、何の見返りもなく、辺野古に基地を移すという馬鹿を見る羽目になっていたわけです。
つまり、辺野古移設は、法治国家のこの国では、まさにやむを得なかったのです。
何なら、仲井眞知事は、負け戦を和平に持ち込んだ知将であったと思います。
そのあとは、翁長さんが知事になり、、、、
ここから先のことは書くのもめんどくさいですね。書きたくないです。
仲井眞知事が進めた一歩を、翁長さんがまた引いたわけです。
まさに、我々、沖縄県民は、案山子です。
ここからは、僕の気持ちの話。少し薄情かもね。
僕は、高校生の頃から、終戦記念日だとか、慰霊の日ってのが気に食わないんです。
何故、最後の戦争、つまり、日本が大敗した日を美化するのだろうか、、と。
日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦の終戦日はわざわざ記念日なんて設けないのに、って
犠牲者を弔うことは大切です。分かっています。
でも、わざわざその日を制定して、みんなで祈ろうが、僕には難しい。
というのも、僕らは、ぎりぎり、祖父母が戦争経験者で、
子供の頃から、この時期になると、平和学習をして、体育館に集まり、戦争の痛ましい映像や写真を見て、戦争経験者が涙ながらにする話を聞いてきました。
流行りの言葉でいうところの、戦後第三世代と言ったところでしょうか。
つまり、僕らの次の世代は、きっと戦争経験者に会うこともない子らなんですよ。
戦争が本の世界の話になる子たち。
もちろん平和学習は大事かもしれないが、
でも、僕はその子らに、わざわざ感情の乗った戦争の記憶を受け継ぐことには、甚だ疑問です。
むしろ、無感情に「こういうことがあったんだ」とただ純粋な史実として教え、
彼らなりに考える機会を与えてもいいのではないかと、
しかし、そういう記念日が有る限り、〝忘れてはいけない日〟だと、負の記憶の連鎖をつなげることになりませんか。
僕らは、ギリギリ、戦争経験者と関わることができ、
しかし、戦争の面影のない世界で生きてきた、
そういう世代なのだから、僕らが転換期にならなければ、
この負の記憶の連鎖を、また、次の世代につなげ、重荷を担がせることになるのが嫌なんです。
僕自身が、すごく嫌だったから。
しかし、この世代として生まれた使命なのかもしれないと、平和学習から逃れなかった。
痛ましい光景を見て、心を締め付けられながら、
バカのひとつ覚えみたいに千羽鶴を折っていた。
この鎖を、次につなげる意味は何だと、
僕は次の世代には、フラットな状態で、
沖縄を、日本を、世界を見て欲しいだけなんです。
だからこそ、僕と同世代のウチナーンチュには、
しっかりと学んで、知識を身に付けて、そして考えて欲しい。
僕もそうするし、、
でなきゃ、お前らは、この意味のない連鎖を、
君らの子供にもつなげることになるぞ、って。
それに最近の慰霊の日はどうしても、
政治臭くて、、
平和祈念公園とか慰霊の日は、国籍も兵士も民間も全ての境界をなくして、
沖縄戦の全ての犠牲者を弔うために設けられた、世界的にも貴重な空間なのに、
そこで飛び交う声には、〝うちんーんちゅは〟とか〝日本は〟とか〝アメリカ基地は〟だとか、線引きされた言葉ばかりで、、、
そんな記念日なんて、僕は要らない。
形骸化したものに意味はない。
だから第三世代の我々が、これをどうにかしなければ、
この悲しい鎖はダラダラと続くぞって、
何も解決しないまま忘れられるぞって、
強く思うんだよな。
6月23日が、次の世代にとって、
何でもない日になるといいな。
参考文献
竹中明洋 『沖縄を売った男』
翁長雄志 『闘う民意』
仲新城誠 『翁長知事と沖縄メディア』
高作正博 『米軍基地問題の基層と表層』
水野均 『「世界」は日米同盟に反対していたのか?』