SNSのせいで、、

大人になっても〝言葉〟を大切にしたい、鳥です。
最近まで、ちはやふるを読み返していたのですが、改めて、和歌ってすごいなって思います。
だって、あの31字の中に、すごく沢山の情報を詰め込むんですよ。
もしも、Twitterの文字数制限が31字だったら、不便極まりないですよね。140字ですら、足りねぇよって思う時もありますもんね。
〝ありますもんね〟で思い出したんですけど、、、、思い出すなよって思いますよね。どうせ、どうでもいい話をダラダラするんだろって、、んま、その通りなんですけど、、、

昔、〝はないちもんめ〟って遊びをやりましたよね。漢字だと〝花一匁〟なんですけど
今の子って、花一匁ってやるんですかね。そもそも知らなさそうっすね。
僕が、小学校低学年の頃はギリギリ残ってたんですよね。
『あの子が欲しい』
『あの子じゃ、分からん』
『相談しよう』
『そうしよう』
『べー』ってね、
やってたんです。楽しかったなぁとか思ったんですけど、多分、僕は、陰キャなんでやってないんですよね。
きっと、せいぜい教室の窓から、中庭で花一匁をやってる女の子を眺めてたんでしょうね。
〝花〟って、女性を表す隠語で、〝匁〟って丁銀の単位なんで、花一匁って人身売買の遊びなんですけどね、恐ろしいですよね。
このご時世では、PTAとかで問題にでもなりそうですね。

最近、誹謗中傷やら、人種差別やら、すごく嫌なニュースが多いですよね。悲しいです。そんなものはあっていいはずがないです。
グローバル化の進んだ世界でも、まだまだ人種差別はなくならないですね。

鶴見俊輔さんって学者さんがいたんですけど、
その人がなんかの著書の中で、『グローバル化で戦争がなくなる』的なことを書いていた気がしなくもないんですよね。すごくあやふやな情報なので違っていたら、ごめんなさいなんですけど、、
それってすごく面白い考え方だなって思うんですよね。
要は、グローバル化って、すごく、すごく、雑に言うと、『国境を無くそう』的なことじゃないですか。つまり、グローバル化で国境が曖昧になると、戦争、つまり、国家同士の武力闘争がなくなって、
全部が内紛や紛争と捉えらることができるってことですね。

でも、実際、今、世界のいろんなところで武力と武力の衝突は起こってますが、その中に〝戦争〟って呼べるものってどのくらいあるんでしょうね。
僕のイメージでは、戦争って、国際法も考慮すると、『最後通牒→宣戦布告→開戦→休戦→終戦』の流れがあって、
そして、民間人は巻き込まない様に最善の努力をするのが、
それが、僕の中での、特に現代においての〝戦争〟のイメージなんですよね。

争いなんていうのは、無いに越したことはないんですけど、、
でも、戦争じゃない武力の争いって、戦争より悪質だと思ったりもするんですよ。
だって、平気で民間人も巻き込むし、何よりも、『宣戦布告』って、始まりがないから、終わりもないんですよ。どっちかが、力尽きるまで続く可能性があるんですよね。

そう考えると、人種間の争いっていつ終わるのかって、途方に暮れますね。

あっ、ここからが本題っすよ。
相変わらず、長い長い前置きでしたとさ。

僕、SNSってものが普及して、
人間は〝言葉の力〟を失ったんじゃないかって思うことがあるんです。
だって、今ね、黒人差別を無くそうよ、って一般の人も、
そして、世界中の多くの著名人が、メッセージを発信してるじゃないですか、
この現状で、「あっ、何か変わりそうだ」って感じてる人、いますか??
『変えたい!!』って気持ちはすごい伝わります。
『どうにかしなきゃ!』って、ほんとに沢山の人の想いが、世界中を飛び交ってるのも分かります。
僕だって、差別なんて無くなれよ!って思ってます。
でも、僕には、変化の兆しは、まるで見えないんですよね。僕だけかも知れないけど、、、。

SNSが普及したせいで、
〝言葉〟ってすごく軽くなったなって思うですよ。
世界中の誰でも、いつでも、手軽に、発信できるものになってしまったから。
昔は、言葉や意思を世界に向けて発信するのって、恐らく、そう簡単なことではなかったはずです。少なくとも、ある個人が、1人で出来ることではなかった。そういう人の方が多かったはずです。
でも、あまりにも、それが簡単にできるようになったから、
大袈裟な言い方をすると、〝言葉〟って、自由財みたいになった気がするんです。どうしても。

SNSが普及し始めた頃は、SNSに未来を感じたし、それだけの力があったとも思います。
実際、アラブの春では、その力を存分に発揮したと思います。
アラブ諸国の独裁政治の国々で、インターネットを通して、外の世界を知って、自分たちの置かれている環境に疑問を持って、SNSで、デモを呼びかけて、大規模な民主化運動が沢山の国で起こった。

でも、僕は、その時がピークだったんじゃないかなって思っちゃいます。
実際、そのアラブの春の時ですら、民主化に成功した国って、チュニジアだけだって言われますよね。

そして、もう一つ、僕は、
デモって、そんなに意味があることとは思えないんですよね。
特に、民主主義の国家だと。
意味がないって表現は誤解を生みそうですね。
もっと適当な言い方をするなら、何かを変えるほどの影響力は既にない。って感じですかね。
だって、僕らには、〝選挙〟っていう、意思を示す機会が与えられているんですよね。
逆に言えば、役所に対して、意思を示すことができるのは、〝選挙〟だけなんですよね。
だって、その時以外に、何を言ったって、『民意は示された』で片付けられるじゃないですか。
アラブの春の時に、独裁政治の国においても、意思を示すデモは成功しなかったんです、
民主主義の国家だと、より難しくなると思います。

でも、国家に対するデモは、可能性は低くても、全く意味がないわけではない場合もあるかもしれない、もしかしたら、少しは変わることがある可能性は否定できないです。
けども、けどもね、今、起きてる、人種差別のデモって、より難しいと思うんですよ。
だってね、あの、あれだけ大きくなった、あの声を、誰が受け止めるんですか。
あの声はどこに向かって飛ばされてるんですか。あの怒りをぶつける相手はどこですか。
明確な受け皿が無くては、変えようが無いでよね。
分かり易いリーダーがいないですよね。

すごく冷たい事を言ってるのかも知れません。
でも、今のやり方じゃ、何も変わらないと思います。
新しい、今までとは違う何かを考えないと、、、。

SNSの普及もあって、
もはや、言葉やデモって、社会を変えるだけの力を失ったって、やっぱり、僕は思います。悲しいけど。

こうなるまでに、人種差別をなくせなかったのは、
先進国の人間の怠慢ですね。

やっぱり、ヒップホップに着想を得たファッションも好きな僕にとっても、人種差別は心が痛みますね。
だからこそ、次のステップを探さないととも思うんですけど

あぁ、あんまりこういう真面目な話は、好きじゃないんですけどね、
最近は、引きこもって、吐き出すところもないんで、、

次は絶対しょうもない文章書こう。

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