MARC JACOBS 2020年秋冬
古代ギリシャの叙事詩人であるヘシオドスが『神統記』を完成させたのは、今から約2700年前のことである。
この神統記というのは、いわゆるギリシャ神話の諸神についての系譜をまとめたもので、日本における『古事記』のようなものだ。神統記は美しい序歌から始まる。
そして、本編の書き出しはこうだ。
「まず初めにカオスが生じた。」
ギリシャ神話では、世界は〝混沌〟から始まり、そして今に至るのである。
2020年2月12日
マークはMARC JACOBS FALL2020のコレクションを発表した。
今回、マークが2020年秋冬のコレクションに設けたテーマは
〝Celebrating chaos and form by conjuring the outermost expression of our innermost feelings〟
また難解なテーマを設けてくれたものだ。
〝心の奥底にある嘘偽りのない意識が最も外側の表情を呼び起こすことで、無秩序と慣行を称賛し世に報せる〟
とでも訳そうか。
会場はいつも通り、パークアヴェニューアーモリー。
暗闇に包まれた会場に、一筋の光が差すと姿を現したのは伝説的なダンサーで振付師でもあるキャロル・アーミタージュ。彼女が踊り始めると、ロシアのピアニストであるアントン・バタゴフの、彼もまた異端児と呼ばれた男だが、Orchestra Rehearsalが轟々と流れ始め、モデルと54人のダンサーが登場した。
アーミタージュの振り付けで踊るダンサー達の間をモデルたちが闊歩する。
ダンサー達の動きはなんとも猟奇的にも見える。まるで油を差し忘れた機械のように、少し違和感のある不自然さ。男性は女性服を着て、ヒールを履いて踊る。独りで見えない誰かと格闘する女性ダンサー。大勢のダンサーがスペースいっぱいを縦横無尽に走り回るが、何故だか僕には、檻のなかを歩き回る動物園の動物のようにも見えた。
最近クチュールちっくなコレクションが続いていたが、今回はシンプルで着やすそうな服が目立っていた。上質な生地と息を喫むほどに美しい仕立て、古典的なスタイルをモダンに再解釈した服たちは、かつてのマークを想起させる。そういう素晴らしいコレクションだった。
シンプルなシフトドレスに、暖かそうなでゆったりとしたAラインコート、50年代のクリスチャン・ディオール氏のクチュールを彷彿させるような艶っぽいガウン、落ち着いた色のシャープなスーツ、アニマルプリントのコートやファーコートを着たモデルたちが世界を魅了した。
しかし、そんな煌びやかな装いとは裏腹に、彼女たちのインナーの多くがブラやホットパンツなどの軽装。まるで、本当の自分を隠すし、諂うかのように、上等なコートやジャケットを纏っていた。
そして、メリージェーンやピーターパン・カラー、マデリーン・ハットなど、思わず純粋無垢だった幼少期を思い返すようなアイテムも数々登場した。
さらに、ショー後半に登場した、シルバーのマトラッセ加工のファーコートや、映像でしか見てないから定かではないが、ラバー風の素材を使ったドレスは僕の意識を未来に誘うものだった。
過去→現在→未来へと流れる遼々たる時間への敬意を覗かせつつも、
各個人が秘めている複雑な心境や本音、しかし、それを抑制して、外では別の自分を演じる現代人を嘲笑し、そして、それに似たように、時代や時勢も、秩序もなく自由に流れているように見えるが、実際は目に見えない拘束力や慣行に縛られ檻に囚われているようなものである。だがしかし、ちょっとしたことが契機となって、ネジが外れ予測不可能なものになる。
そんなメッセージが込められているかのように、僕は感じた。
50人以上のダンサーが踊り、88人のモデルが行き交う会場にあえて残されたようなバミリが、さらに僕にそう思わせた。
ショーの最後、鳥籠から放たれたかのように、ゲストの間をダンサー達が通って、暗闇に姿を消す。ゲスト達はまるで自分の日常が壊されたかのような表情を浮かべ、彼らが自分の横を通りすぎるのを傍観していた。
本当の自分とは何か。自分自身という存在は何なのか。
かつて、アリストテレスが『形而上学』で、ハイデガーが『存在と時間』で挑んだ「何かが存在するとはどういうことなのか」という難題に、マークもまたファッションを通して挑もうとしたのかもしれない。そういう気概すら感じられる素晴らしいコレクションだった。
MARC JACOBS FALL2020のコレクションの後に、顕著に猛威を奮い始めた新型コロナウイルスは世界を困窮させ、我が物顔の人類を疲弊させた。
偉ぶった我々の経済予想などのありとあらゆる予測は崩壊し、世界情勢までも書き換えようとしている。
日本でも総裁4期目すら噂された安倍総理が、その対応のストレスや疲れからか、持病を再発し、首相の座を降りることを決断した。
コロナウイルスという一つのきっかけで、順調に思えた多くのことが予測不可能なものになった。
〝運命の女神が我々の行動の半分の支配者であることは真実だとしても、残りの半分の支配は我々に任せているということもまた真実であろう。
運命は時代状況を変化させるが、人間たちは自分たちのやり方に固執するので、両者が合致している間はうまくいくが、食い違いが生じるとただちに不運に見舞われる。
運命の神は女性なので、運命を支配しようと思えば、叩いたり突き飛ばしたりして服従させる方がはるかに容易である。よって、運命は冷静に振舞う者たちよりも、勢いに任せた振る舞いをする者達の思いのままになるのは周知のことだ〟
マキャヴェッリはその著書『君主論』で斯様なことを述べている。
(※ 本当はもう少しキツイ表現を使っていますが、僕が柔らかい表現に変えているところが一部あります。)
コロナで世界が混沌と化している今こそ、古い慣行や腐りきった社会のルールに囚われず、勢いのままに自由に自分を貫く、そうすれば運命はきっと力を貸してくれるはずである。
マークが暗示するように、今一度、自分自身と向き合い、本当の自分を曝け出しすには絶好の機会なのかもしれない。
だって、新しい世界はカオスから始まるのだから。
追記
MARC JACOBS FALL2020のコレクションが世界一素晴らしかったのは、世界の共通認識ですが、それ以外は全て鳥大朗個人の見解です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?