お仕事でボツになったエッセイ①
お仕事で3本ボツになったエッセイを3日間にわたり供養していくコーナーです。お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
菜々子さんは、私のお友達がモデルです。実際京都に行ったお話を聞いたり、写真を見せてもらったりしながら書かせてもらい、楽しかったなあ。
お仕事で公開したver.と見比べると「なるほどここがこう変わったのね」と気づきがあるかもしれません。比べてみてね(?)
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「来ちゃった」菜々子はつぶやいた。
絵の具をキャンバス一面に塗りつけたように、どこまでも青い空。昨日までとはまったく違う街の風景が眼前に広がっている。
それもそのはず、ここはいつも菜々子が家族と暮らす東京ではなく、京都なのだ。真冬のつめたい風が時折ふわりと頬をなでる。澄んだ空気を、すっと吸い込み目を閉じた。
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菜々子が京都に行こうと思い立ったのは、ある本に登場したワンフレーズがきっかけだった。
「京都にどんな用事があるのかと云うと、さして用事はなく、いつもそうなのだが、ひとりで街を歩いて考えたいと思っている」。
ああ、何も目的がなくたって、ひとりどこかに行ってもいいんだ。
気がつけば、着の身着のまま夜行バスのチケット売場へ足を走らせていた。
「今夜、京都へ行きたいのですが。ひとりで」
ぜえはあ肩で息をする菜々子。そんな彼女を見て少し驚いた表情を浮かべながらも、受付の女性はカタカタと手際よくPCのキーボードをたたき、こちらに向き直ってこう告げた。
「空席、ございます」
ラスト1席。まるで以前からとくべつに用意された席だったかのような心持ちになり、菜々子はにわかにうれしくなる。コートのポケットから、急いで携帯電話を取り出した。
「お母さん、これから京都に行ってくる」
えっ、これから?電話口で驚く母の言葉をさえぎって、菜々子は電話を切った。どこまでも自由で、どこにだって行ける気がする。わたしは、無敵だ。
*
とはいうものの、完全なる思いつきで家を飛び出してきてしまったため、京都のことなど何もわからない。
到着してからしばらく街をうろうろしていると、喫茶店を見つけた。「喫茶ガーベラ」。壁一面、蔦が張った外観がインパクト大だ。古びた木の扉がぎい、ときしむ。
「いらっしゃいませ」迎えてくれたのは、決して派手ではないが、どこか華やかなオーラを纏う女性。白いふきんでコーヒーカップを拭いている。平日だからか、店内はがらんとしており、柱時計のカチカチいう音だけが響き渡っている。
注文してしばらく待っていると、足元がくすぐったい。テーブルの下を見れば、ふわふわの猫がすやすやと丸まって眠っていた。
「かわいいですね、猫」
思わず話しかけると、女性はふふふと笑った。
「ありがとうございます。わたしがありがとうございますっていうのもおかしいんですけど」菜々子もつられて笑う。
「このあたりにお住まいですか」
「いえ、東京から来たんです」
「そうなんですね。遠くから、ありがとうございます」
どうして来たんですか、観光ですか。矢継ぎ早に聞かれると思っていたので何だかほっとして、菜々子は続けた。
「東京を離れたら、何かが変わるかもしれないってちょっとだけ期待してたのかもしれません。自分は自分のままなのに」
この店の名物だという抹茶とチーズ饅頭を運びながら女性は言った。
「いつだって、変われるんじゃないでしょうか。お客様、ゴッホが本格的に画家を志したのって、いつからだか知ってますか」
「いえ、知りません」
「27才からなんですよ。はい、お待たせしました」
点れたての抹茶をすすれば、ほんのりほろ苦く、けれど甘い。塩気の効いたチーズの濃厚な味わいが広がる、ふかふかのお饅頭。口いっぱい頬張ったら、なぜだかぶわあと涙が出た。
京都に来る前のわたしは、周りのことばかり気にして、惑わされて、「自分」なんて見ていなかった気がする 。
自分が本当にやりたいと思うことを。自分が本当に好きなものを。わたしは絶対、見失わずにいたい。
*
「ありがとうございました。よい旅を」
あたたかい言葉に、思わず頬がゆるむ。
「こちらこそ、ありがとうございます。お会いできてよかったです」
「ひとつ、言い忘れていました。店名にある”ガーベラ”の花言葉って”希望”なんです。よければ、これ」
女性は、レジの横に置いてある花瓶からガーベラを一輪抜いて、菜々子に渡した。
「ありがとうございます」
ぎゅっと握りしめて、菜々子は店の扉を開けた。これから自分を待っているであろう出来事に、胸を躍らせながら。
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