さようならば、味噌汁
ごはん中、一番ほっとするのは味噌汁を飲んでいるときだ。炊きたてのごはんからしゅうしゅう吹き出すあたたかい湯気、グリルでこんがり絶妙に焼けた鮭、シャキシャキの水菜、どれも食べると美味しくてにんまりしてしまうけれど「ほっ」とはしない。
味噌汁の安心感って、何なのだろう。大勢の飲み会で周囲の会話についていけずぼんやりしていたら、しれっと隣に来て話題を振ってくれる人みたいだ。ありがとう、じつは見ていてくれたのだね、などと思う。
味噌汁をつくる過程もすきだ。といっても出汁からつくるような手のこんだものではなく、近所のスーパーで買った出汁パックをぽいっと放り込んで味噌をぐるぐる溶いてつくる簡素なものなのだけど。味見を繰り返し、ちょうどよい味わいの味噌汁ができたときの嬉しさったらない。濃くなりすぎてしまっても、水をトポトポ足せば大丈夫、またすぐにやり直せるのがよいところ。
昔は、いつも味噌汁の具だけ食べて汁を残しており「ちゃんと飲みなさい」と母から怒られていた。いつからだろう。わたしはいつから、味噌汁がこんなに好きになったのだろう。いつから好きになったか覚えていないものって、ほかにもたくさんある気がする。
今日観た映画で「『さようならば』って知ってる?まっさらにして、またここから新しく始めていこうって意味なんだよ」といった台詞があったのだけど、味噌汁を飲むとき、なぜか毎回そんな気持ちになる。さようならば、味噌汁。
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