も
『も』うれつにやる気がないです。
『も』うそれはそれは、なにも思いつかないほどです。
いつも、なにかを書きたいときは大体タイトルも同時に決まったりします。
僕のそういった文章や作品は、タイトルが内容のテーマ性やコンセプト性を表しているものが多いからかもしれません。
しかし今日はなにを書こうにも、タイトルから内容までまったくもって思いつかず、更新をやめようかと閉じようとした際に、タイトルに『も』という文字を打ち込んでしまったので、今日のテーマ性は『も』となりました。
『も』うすぐ、大喜利天下一武道会という大会があります。
大喜利です。芸人さんがよくテレビで、フリップに面白いことを書いて発表したり、座布団に座った落語家さんがおもしろいことを発言する、あれ。お題に対しておもしろい答えを出す。大喜利です。
その大喜利の大会があと一週間後に控えております。
アマチュアで大喜利やお笑いに興味関心があり、自分でもやってみちゃうような方から、実際に作家や芸人のプロとして活躍されている方まで、さまざまな人たちが一堂に介し、約500人の中から、もっとも大喜利がおもしろい人を決める。そんな大会です。
『も』ともと、その大会を知ったのは、十五歳の高校一年生(といっても通ってなかったのでニートです)のときです。
お笑いを志したのは十三歳の冬。それから二年間は引きこもって、お笑いを研究する日々でした。
その一環で、大喜利に関心を持ち、お題に対して答えるだけの、簡単にできる大喜利にハマり、ネットで大喜利ができるサイト(いまも『ボケて』を始め多数そんなサイトが存在します)でそれなりに腕を鳴らしていたのですが(といっても大したレベルではありません)、いざ、「なにか、自分の実力を試してみたい」「外に出て何かをしたい!」。
そう思って、ネタを作り始めたものの、思いつくのは漫才やコント、それも相方が必要な形式のものばかり。
そもそも相方なんて、引きこもりには伝手なんてなく、一度だけ、中学の際に唯一仲の良かった同級生に声をかけてみたものの、当然のように断られ、そしてまた落ち込み、やる気を失い、ゲームばかりして過ごす。しばらくして、また大喜利ばかりする。お笑いを研究する。ピンネタを作ってみるものの、夜中に自分の部屋で演じてみるときはとてもおもしろく感じても、「やっぱり人前でなんてできないや……」。そう諦めて、また落ち込む。やる気を失くして、ゲームして。しばらくして、大喜利をする。研究する。
そんな繰り返しでした。
『も』う十何年ほども前のことなので、あんまり詳しくは覚えておりません。
ただたしかあれは明け方。いつも通り、夜が怖くて寝れなくて、朝まで起きてたその日に、大喜利のことを調べていたような気がします。大喜利の動画やら、大喜利ができるサイトやら。そのときにふと、思ったのです。「大喜利のライブがあったら……!」。もともと、誰でも出れるフリーライブ(エントリー料だけ払えば出演できるライブ)で、お笑いのネタライブがあることは知っていたのですが、大喜利でもそんなライブがあれば。そう考えて、「大喜利 素人 ライブ」そんな検索をしたような、そんなはずです。
大喜利なら、大丈夫なんじゃないか。大喜利なら、ネタよりも簡単だし、人前でもできるんじゃないかな。そのくらいの意気込みでした。
検索すると、大喜利天下一武道会。そのサイトに行き着いたのです。
『も』っとも、舞台なんてものは一度も経験がなかったし、人前でなにかすることが得意でもなかったのに、そのときは、やたら元気だったのだと思います。朝まで起きて、徹夜して、ハイになっていたのだと思います。
ちょうど。本当にそれは偶然のように、出演者を募集していて、僕は思いつきで、思い切って、大喜利天下一武道会にエントリーしました。
芸名は、本名を書き込んだのちに、「やっぱりそれじゃあつまらないよな」「芸名も面白くなきゃな」と悩んで書き換えた変な名前が、はっきりといまも記録として残っております。恥ずかしい過去ですね。
のちのちわかったことは、その大会は年に一度ほどの不定期でしか開催されていなかったこと。だから本当に、あのときはなにかの巡り合わせだったのかもしれません。
そして、当時の規模でも、百人以上は参加する大きな大会だったこと。
『も』う一度、あの日に戻れたら。そんなことを思ったりも、します。
ああ、いまだったら。なんて。
そんなことを思うばかりの日々です。別に、今の現状に不満なんてないし、むしろ満足ばかりだし、幸せ者だと思います。
ただ、いまの自分だったら、ああ、結果は違ったのかな。ただそんなことを思ったりする、そんなことばかりです。
それは、小学校の頃から、幼稚園の頃から、大人になってからのことも、いくつか。
大会前日。
僕は、ひとりでしか大喜利をしたことがなく(ネットでは、もちろん自分の答えが人の目に触れて、逆に他人の評価もして、交流はあったのですが)、人前で練習する必要を感じたのです。
正直、参考動画としてあがっていた過去の大会の様子を見ても、全然自分の方ができる。そんな漠然とした自信がありました。それはまだ根拠がなかったし、なんとなくです。でも、自分の方がたくさん思いつくし、たくさんおもしろいことが言える。それは明確でした。でも、人前で、目の前に人がいる状態で、大喜利をしたことがない。
だから、両親に頼んで、夕食の場で、「大喜利をするから見ててほしい」。そうお願いしたのです。
しかし、いざ自分でお題を発表して、そしていつもネタ帳として使っているノートに答えを書いて、手を挙げて、自分の芸名を自分で呼んで、自分でお題を読み上げて、答えを出す。両親は二人ともテレビの方を向いているだけ。また答えを考えて、手を挙げて、自分の芸名を自分で呼んで、自分でお題を読み上げて、答えを出す。両親はまだテレビを見ている。テレビでは、大して格段珍しいわけでも、変わった特番がやってるわけでもない。ただ毎週のように両親が見ているバラエティがついている。僕は明日、人生が変わる。予選を圧倒的に一位で通過して、決勝でも切れ味のいい答えを炸裂させて、優勝する。なんと十五歳にして百人超のトップに立って、優勝する。あんたらの息子は、明日そうなる。そうなるのに、ひとりで手を挙げて、ひとりで芸名を呼んで、ひとりで答えて、ひとりで笑って、ひとりで答えにツッコミを入れて、ひとりで答えの解説をして。またひとりで、悶々と考えている。
どんどん、どんどん。焦りが出て、恐ろしくなって、固まって、答えが出てこなくなる。そんな感覚を覚えています。覚えていて、そしていまもまだ、それは残っています。
また答えを出して、ひとりで笑ったあとに、言いました。「ちゃんと見てほしい。明日、大切な日だから。三分だけでもいいから、一回だけでも見てほしい」。
「だって、つまんないんだもん」
『も』う限界で、僕は階段を駆け上がって部屋に閉じこもって、寝れないまま。布団にくるまって、お題を考えては、答えが出ない。そんなことを繰り返しながら、朝を迎えました。
「なんと現役高校生。しかもいちばん初めにエントリーしてくれた方ですね。変わった芸名ですね。すごいですねー」
出場者発表。僕の芸名が呼ばれると、会場はどよめくように笑いに包まれて、そして、僕の紹介を司会者がしたら、また笑いに包まれて。
僕は、無職なんて書くのが恥ずかしくて、高校生としてエントリーしました。高校生が、なんと百人超の中でいちばん初めにエントリーして、しかもぶっ飛んだ芸名をしている。それが、取り立たされる。ウケている。らしい。笑われている。でも。
お題を司会者の人が発表する。舞台上で手を挙げると、司会者の人は僕の芸名を呼んでくれる。だから僕は、あとは、答えを出すだけ。でも、答えを出した直後に聞こえる。
「だって、つまんないんだもん」
そのうち、お題を何度、何度と反芻しても。自分の頭の中で読み上げても、答えが出てこない。
あれだけ、あれだけ。パソコンの前では、ノートの上では、おもしろいことが思いつくのに。なのに。なにも出てこない。
何個答えを出せたかなんて、はっきりと覚えておりません。ただ、一回戦の自分の出番が終わった直後に、会場から逃げ去りました。
一ヶ月くらいして、サイトにあげられていた大会結果を恐る恐る見て、当然のように自分は、一回戦で敗退。僕はもうなにも出てこなくなって、そして一年ほど、お笑いからは逃げる日々を過ごしました。
『も』うれつにやる気がないのは、色んな理由があるんだと思います。でも自分でそれがわかれば、その原因がわかれば、こんなに苦労しないのになぁ。最近はそう思えるように、なりました。たぶん、やる気のもんだいは、やる気じゃなくって、やる気以外にもんだいがある。だから、根性論とかじゃなくって、もっと違うことなんだ、と。
この十何年のあいだにも、さまざまなことがあって、そしていま、あと一週間して、同じ大会に、同じ舞台に、いまもなお立とうとしてます。
三月の終わり頃。その日もたしか寝れなくて、明け方に、大喜利のことを調べたのです。なぜかはあまり覚えてません。ただ、なんとなく。なんとなく調べて、大喜利天下一武道会のサイトに行き着くと、また、本当に、偶然。偶然なのか、必然なのか。第十八回の開催が決定していて、あと数日で、エントリーが開始される。そんな情報が掲載されてました。
なにかしらのご縁があるのかもしれません。なにかしら、自分には、自分を動かす「理由」みたいなものが、あるのかもしれません。
『も』しも、本当に、そんな「理由」が、あったのなら。そんな「理由」が。そんな才能が。
妻に相談してみました。
「こういう大会があって、前にこういう形で、何度か出たことがあって、いつもうまくいかなくって、そもそも舞台にあがったり、人前に出てもいつもうまくいかなくって。だから、どうせ出ても、うまくいかない。だから、ただ見かけていろんなこと思い出して、でも、やっぱりまあ出ないや」
「なんで?」
妻にそう言われて、出ない理由はたくさん。理由がたくさん。いままでの十何年間と、生きてきたやり直したいようなこと、それらばかりでたくさん。だから、「できない」と思う。そう思う理由が、僕には、たくさん。
でも。
『も』ったいない。
妻はそう、おもってくれて、そう言ってくれたのです。
それから一ヶ月。僕は毎日、大喜利をしています。妻を相手に、妻をお客さんに。毎日何問か大喜利をしています。
初めは、大喜利天下一武道会の過去の動画を見ながら。ほかにもYouTubeに上がっている大喜利の動画を見ながら、そのお題に、僕も、答える。
そのうち、妻が色んなところから見つけてきてくれたお題に、実際の大会を想定して、一問三分半で、答える。
妻が一答一答ずつ、審査をしてくれる。
おもしろいのは、「どすこい」。
もっとおもしろいのは、「大関」。
まあまあは、「残った残った」。
よくわからないのは、「ちゃんこ」。
そして、妻は言ってくれます。あなたは、横綱になれる、と。
本当に本当におもしろくって、革命的で、圧倒的な答えを出すと、「横綱」。そう言ってくれます。
それよりも、めちゃくちゃにおもしろくって、すごすぎる。そんな答えは、「アメイジング横綱」。そう言ってくれます。略して「アメ横」。ふたりともスパイダーマンが好きだから。スパイダーマンのような、生き方にたくさん学んできたものがあるから。だから、スパイダーマンの原題である、『アメイジング・スパイダーマン』からアイデアを頂戴して、「アメイジング横綱」。そう呼ぶことにしてます。
『も』うすぐ一ヶ月。たった一ヶ月。一か月が経ちます。だけれど、たくさん気づくことがありました。
初めは、やっぱり答えなんてまったく出てこない。大喜利をするのなんてそもそもいつぶりかもわからない。だし、「自分はつまらない」。そんな考えばかりが浮かんで、アイデアはひとつも出てこない。妻を目の前にしても、やはり人前は人前。だから、なにも、出せない。
それで、諦めて、「やっぱり出ないよ、意味ないよ」。そう言って、放り投げて、やめてしまう。そんな日が続きました。
でも、あるときに、出してみた答えが、妻にウケたんです。
「ぜんぜんおもしろいよ。ここに出てる人とかに負けてない。おもしろいよ」
それから、ぼちぼちと答えが出てくるようになって、自分はつまらないんじゃない。ただ、トラウマが邪魔をして、アイデアが出てこないだけ。いいや、アイデアは出ている、出てくるアイデアはあっても、それをつまらないと思って、すぐに放り捨ててしまっている。それだけ。だから、なにも、答えが出せないんだ。
そう、気づいたんです。
『も』うすぐ、三十になります。
『Tick,tick,BOOM!:チック、チック…ブーン!』という映画があります。アメリカのブロードウェイにて、十何年のロングランを記録した伝説的なミュージカル『レント』の作者である、ジョナサン・ラーソンの自伝的映画。主演のジョナサン・ラーソン役を演じるのは、映画『アメイジング・スパイダーマン』でスパイダーマン役を演じたアンドリュー・ガーフィールドです。
彼ほどに、追い詰められていて、くすぶっていて、人生がうまくいかないニューヨークの若者が似合う男はいないと思います。『Tick,tick,BOOM!:チック、チック…ブーン!』では、人生の節目と言われる三十歳を手前に、あと八日で誕生日を迎えてしまう(つまり三十歳になってしまう)二十九歳のジョナサン・ラーソンを演じています。もうすぐ自分の手がけるミュージカルの発表の場がある。なのに曲がまったく思いつかない。思いつかないし、恋人ともうまくいかない。友人とも、仕事も、人生もなにもかも。
そうして追い詰められて、追い詰められて。そして最後に、ひとつの、当然のようだけれど、当たり前だけれど、自分にとって大切な答えに行き着くのです。
『も』っとも身近なお客さん。それは妻です。
でもそれよりも、もっともっと身近なお客さんに気づきました。それは、自分です。
僕もあと数か月で、三十歳。人生の節目を迎えます。僕はいま、小説を書いています。お笑いは、何度か試みてみて、すべて中途半端でうまくいかず最後までやりきれないまま、やめてきました。そしていまになって、よりによって、十何年前に失敗した、大喜利に、またチャレンジしています。
またしても、懲りずに、いまも。
でも。僕には、僕という、お客さんがいる。
そのお客さんは、なんでか、僕という、僕なんかのこんな結果も実績もなければ、人脈だってないし、ほとんどなにも手にしていない成功していないこの僕の、ファンなんです。
おもしろい、そう、信じているんです。
僕は、必ずや、おもしろい。絶対に、おもしろい。他の人たちは知らないかもしれない。知らない。ほとんどの人が、知らない。知らない面ばかりの僕のことを、おもしろいと、知ってくれている。実際に、そうだった。やり直したいこと。失敗。トラウマ。それも、ともに、見てきて、経験して、目の当たりにしてきて、そしてだから、いま、こうして生きているすべての「理由」を知っていてもなお、まだチャレンジする「理由」を知っている。その「理由」そのものとして、僕を信じている。
僕には、根拠のある自信がある。根拠のない自信はない。でも、僕の自信には、根拠がある。
僕の、僕だけにしか知らない、根拠がある。
『も』しかしたら。
『も』しも。
そんなんじゃない。
『も』っともな、根拠のある自信が。
だからまた立ち上がって、立ち直して、チャレンジしていく。『も』うれつにやる気がないそんな一日でも、『も』っと『も』っと。成長していける。成長してきたから。
たとえ意味がなくと『も』。
価値なんてなくって『も』。
これから『も』。