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0102 天神様

 自分は、所謂クソ字である。自覚はもちろんある。以前知り合いに、「字が汚いのは、脳の処理に手が付いていってないのであって・・・つまり頭の回転が速い人ってこと」と言われ、未だにそれを信じている。

 少し前に、故・向田邦子氏の食にまつわるエッセイ集「海苔と卵と朝めし(河出書房新社)」の存在をラジオで知り、手に取ってみた。最初のきっかけは単純なもので、自分の持つ食に関するアンテナが反応したというところである。

 そもそも筆者である向田氏は1929年生まれ。一応平成生まれである私とは幾つ年が違うのかというくらい開きがある。本の中では著者の子供時代の話が出てきたりするので、それこそ時代的にも大きな隔たりがあるはずである。それなのに、読んでいて何故か自分の中に内容がスーッと解けるように入ってくる感覚があったのである。やはり美味しいものへ興味や関心、魅力というものは普遍的なものなのだろうか?

 その本の中で特に、自分がシンパシーのようなものを感じた一節を取り上げて紹介したい。
 まず、みなさんは梅干しの種を食べたことがあるだろうか?何を言っているんだ、当たり前だと思ったみさなんはもう一度読み返してほしい。実ではなく種、である。梅干しの種を食べるというのも、本当は正確な表現ではないかもしれない。正確には種を割って、中にある白い仁を食べるということである。これを世間一般では天神様と呼ぶらしい。自分は昔、祖母の家で梅干しが出されると歯で種を割って天神様よく食べていたことをこの本を読む中で思い出していました。
 そしてエッセイの中では、以下のような主旨のことが書いてありました。「子供の頃、天神様を食べると罰が当たって字が下手になる、と脅されたがこれ以上悪筆になることはないだろうと安心して頂戴している」自分は、そんな迷信すら知らずに天神様を食べていたのです。加えて、どうやら迷信は本当だったようです。

 今はこうやってキーボードを使って文字を打っているわけですが、不思議なことに自分にだって、たまにはクソ字を書き連ねたくなる時もあるのです。その為に、万年筆だって買ってみたり。
 やっぱり文字を打つのと文字を実際に書くのでは感覚が違うものである。ちなみに、厳密にいえばキーボードで打つのとスマホで入力するのも自分の中では似て非なるものである。それぞれに手あるいは指の動かし方が違うという物理的な部分が感覚の差として生まれるのかもしれない。

 これからも時には肉筆も使いつつ、しがない物書きとして先人の背中を追いかけていきたいものである。

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