0193:押印廃止の流れを体感

 菅内閣が推し進める押印廃止の流れは、役所レベルではもう後戻りできない程度に進んでいる。基本的には良いことと思う、印鑑なんてスキャナと3Dプリンタでいくらでも偽造できちゃうから、真正性の証明としてはもう古びかけているのだよね。それでも印鑑証明制度(実印の公的保証)はまだまだなくならないだろう。

 うちの役所では、年明けくらいに事業者からの見積・納品・請求書の押印を不要にした。これまでは全ての書類で印鑑が同じでないとダメ、印鑑も法人印と代表印の両方必要と、経理事務の過程でいろんなダメ出しを受けたものだった。それが全て、一気に、チャラになる。ある意味痛快な経験だった。一方で、役所側が発行する書類については規定の改正が必要になるため、整備はもう少し先になるようだ。これはこれで仕方あるまい。

 4月1日に社会保険関係手続で駆け回った話は以前に書いた。

 その際に印象深い出来事があった。保険料の自動引き落としの手続をするためまず銀行に行ったのだが、三枚複写(年金事務所、銀行、提出者)の書類に印鑑が押してないと指摘された。口座に用いている銀行印を押すように言われたが、年金事務所用には法人の実印を押すとどこかに書いてあったので、違う印鑑になる。その旨伝えて、ひとまず真ん中の銀行用の書類にのみ銀行印を押して1枚目の年金事務所用に証明をもらった。年金事務所に移動していろいろお話を聴いて書類を埋め、最後に「印鑑ですよね」と取り出しかけたら「実は押印廃止で、いらないんですよ」とのこと。はりゃま、さすが国策、国機関の対応は素早いや。

 しかしなんというか、この流れが示すのは「慣性の法則」の強力さだ。社会保険適用ですら印鑑がいらないとすると、これまで印鑑を押すことで担保していた「何か」は一体なんだったのか。印鑑業者の陰謀なんてのは穿ち過ぎ。シンプルに「印鑑を押さなければ本人確認ができない」という暗黙の思い込みだ。それはたかだか単純な政治力学で崩れるものだったのだと、今、私たちは思い知っている。その寸前まで、これほど広大な領域でこれほど即座に押印が不要になるなんて、だれも予想していなかった筈だ。

 同じ事は印鑑だけではないのだろうな。一億総中流化といわれた昭和後期の日本型社会主義の構造は崩れて久しい。理性の国というアメリカのイメージは反転した。私たちは常にその時代に幻想を生きている。それは予想外の方向から剥ぎ取られ、別の幻想に上書きされる。幻想が幻想だったと気付くのは、常にそれが失われてからなのだ。

■本日摂取したオタク成分
『戦闘員、派遣します!』第1話、需要なし、切る。『灼熱カバディ』第1話、カバディはその掛け声以上のルールを何もしらないスポーツ、それを教えてくれる点では目新しい。でもあまり惹かれず、切る。

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