学びは止めませんが、休学はします。
こんにちは、とーま(@hap6soldier8)です。
本日は近況報告です。
大学を休学します。
今の気持ちはワクワクです。
同期のみんなへ。
僕はまだ、学割使います。
僕はよく「頑張らなきゃ」という言葉を口にしてしまいます。
"休むこと"がなんだか良くないことだと思っているときがあるからです。
頑張ってないとダメだと言い、そしてダラダラしてしまった自分を傷つける。
でも人間だから働くときにダラダラしたいなと思う瞬間はある。
逆に、OFFの日でも働きたいなって思えるときだってある。
だから、「休む」って良いとか悪いとかそういうのではなく、パフォーマンスを向上させるもの。
だから、"休学"という大きな流れでいうと、人生のパフォーマンスを向上させる一つの"選択"という風に今は思えてきました。
その選択を決めた経緯、そしてこれからのことについて書きました。
是非、お楽しみください。
◆休学をする理由
「休学」と検索すると、割と上位に「休学 理由」が出てきます。
僕も無意識のうちに、自分の内面にある言葉にできないことをネット上に探しに行くことはよくあります。
ネットに理由を探しに行く自分は好きじゃないです。
今書いていて、こういう行動をとってしまうときはどうしたらいいんだろうと考えていました。
一旦話を進めます。
僕の休学理由って何だろう?
これが一番しっくりくるんだ。
"もっと自分勝手に生きてみたい"
僕は9月まで就職活動を続けると決めて取り組んでいました。
実は、就活は大学2年生の頃から漠然と意識していました。
「意識高いな」
と思う人もいるかも知れませんが、恐れから逃れるための行動なので意識高くはないですね。
あのときも"将来への不安"からとりあえずインターン行ったり、プログラミング始めたりしていましたね(笑)
「"今"を生きれてないな」
と、2年経って思います。
そんな不安発信の僕ですが、悪いことばかりではありません。
就活中は本当にたくさんの方にお世話になりました。
情報収集が好きな僕はたくさんの会社を調べ、ニッチな会社探しが趣味と化していました。
社会のことも少しは学べて、自分の周りで起きていることや存在していることへ見方が変わりました。
そういったプラスな要素はありつつも、結局8月になりました。
そのときの自分には
「ここに全てを賭ける!」
という具合に臨めない自分がいました。
なんだか戦闘不能状態で、どの会社も同じに見える。
家でスーツの上だけ着て、パソコンの前でドキドキして、自分の言葉が自分でも腑に落ちない感覚で面接をし、汗かいて、一日が終わる。
活動しているけど、活動している感覚がない。
「あ、自分死んでる。心死んでる。」
僕の就活は、こうして一旦幕を閉じる運びになりました。
「働きたくない」と思っているわけではないです。
自分は「働いてみたい」という具合。
「働きたい!」ではない。
"あともう少し!"という感じなんだろうなと思います。
嘘ついて自信あるように練習したところで、それは受かるために過ぎないと思ってしまうからできない。
「それ、自分じゃないもん」
という声の方が大きかった。
このまま続けたところで、また偽りの人生を歩んでしまうことになると思いました。
どういうことかというと、
僕はおよそ一年前にLDS(ライフデザインスクール)というプログラムに参加しました。
LDSを経てからようやく、「これ頑張りたい」とか「あれやってみよう!」という本来の自分・心の声を取り戻せてきました。
「これが僕の人生を生きるってことかな!」という感覚が少しずつ増えてきました。
しかし、就職活動では自己分析というものがあります。
これまでの自分の人生を振り返って、普遍的な価値観を探し、「こういうことに関心があるんだね~」という具合に。
だけど、これまでの自分は心の声に従って生きてこれなかった。
高校生までは勉強で結果を出せたときもあったけど、その全てが恐れ(欠点埋めなきゃ)を回避するためにしていたことだと分かっているので「関心」ではないんです。
偽りの自分を話して「一緒に進もう!」と言われても「すみません、本当の僕はそっちに行きたいんじゃないんです」という声が出てくるだろうなと心では思っていました。
本当の自分をこれからもっと増やしていこう!というときに、「あなたはどんな人なんですか?」という質問は苦しかった。
8月まで続けていて、結局僕は良くて「働いてみたい」、悪くて「僕には何もない」というモチベーションのままでした。
そんな奴を取ってくれる会社なんてないなと思いました。
「好きかも知れないから結婚してください!」、「僕には何もないけれどもお婿さんにしてください」
でOKがもらえたら逆に怖い。
てなわけで、僕はもっと「自分のこと、働くこと、生きていくこと」に対して向き合っていく必要があると思いました。
思えば、結構前にコーチングを受けて"就活したくないのにやっている"ということに気づいたものの、それを認めるのが怖くて続けていました。
だから今度はちゃんと、「やりたい」という気持ちで動いて、経験して、感じて、自分を知って、また動くことをする必要があると思いました。
これが「自分勝手に生きる」というやつです。
"卒業する"という選択もありましたが、正直研究に向き合う気力がないので休学にします。
教授には「飲み会には誘ってください」と伝えているので、僕がやりたい「研究室仲間との関係性の構築」においてはできそうかなと思っています。
◆自分勝手な休学プラン
やりたいことは山ほどあります。読書(最近読みたい本:使える行動分析学)、保育士資格の勉強(「働く」において、子どもと関われるからという理由で)、フリースクールのお手伝い(将来学校を作りたいという妄想に向かって)、屋久島の森の幼稚園でのボランティア(子どもとの関わりの新骨董を学びたい)、教育系インターン(教育の繋がりとか、実行力とかup)、沖縄で働く(楽しそう)...etc
山ほどある中で、今のところ僕が一番やりたいと思っていることは、
「ハンドパンを担いで旅をする」
です。
ハンドパンとは、
鉄を主成分とする金属製の体鳴楽器である。素手(ハンド)で叩いて演奏するスティールパン(パン)というのが由来で、2000年にスイスのPanArt社が開発したハング(Hang)および、それに似た形状に作られた楽器の一群の総称である。
wikipedia
写真は僕のハンドパンです。
クロアチアのvibeというメーカーさんが手がけたもので、スケール(音階)はAkebonoという"和"を感じさせる音色を奏でることができるハンドパンです。
調べたら中級者向けのスケールらしい。
最近は曲のフレーズ作りにハマっています。気づいたら3時間経っていたとかよくあります。こういう自分になれていることが嬉しいです。
僕は、一年程前に明治神宮前で演奏していた方を見かけてこの楽器に惚れました。
がっつり音楽をやっていたというわけでもありませんし、高校の音楽の授業では音楽理論が分からなすぎて辛かったし、人前で歌を歌うテストとかもありましたが「無理!」という具合です。
でも、これを通して僕は"生き様"とか、"みんなが深く繋がれる空間"とかそういうものを作りたいと頭の中で描いています。
正直、これが仕事につながったりするのだろうかと考えてしまいます。
今はそういうことをあんまり考えたくないって感じです。
没頭したい。それだけ。
旅は、沖縄→四国→九州or中国or関西 という風に進めていこうと思ってまーす。
◆最後に、一年後の自分へ
「休学ライフどうだった?」
即答でいろいろ返ってきたら嬉しいな。
だけど、別にそうじゃなくても流されずに自分の選択で生きた期間だったという事実は他の人にはない経験だからね~。
そういう選択を取ってこなかった君にしてはなかなかだよ。
「一年前と比べてどう変わった?」
全然変われてないかも。。。とか思いそうだな~(笑)
変われていないと思うのは、気づいていないだけだよ。
そういうときこそ、いろんな人と話すんだ。
きっとたくさん変化ある。
君の周りにはたくさん仲間がいるだろ?
早くLINE開いて、スケジュール合わせてね。
「この一年から学んだことは?」
多分たくさん出てくるだろうし、まとまってもいないだろうからしっかりノートに書き殴って整理してね。
振り返りには時間使うこと。
やりっぱなしは禁止だからね。
「これからどう生きていきたい?」
"心の声に従って"という指針は変わんないと思うんだよな~。
心の声に従った先を知れたら嬉しいな。
どんなものがあるんだろう。
誰と生きたい?どこで生きたい?どう生きたい?
これは嫌だな~ってことは?もう勘弁!ってことは?
ちゃんと教えてね!
「最後に」
"自分勝手に生きたな!"
をしっかりと受け取れますように。
おわり