"楽しさ"と"充実"は仲良しのようでそうじゃない
お久しぶりです、とーまです。
最近はシェアハウスで暮らしながら、自分のペースで生きてます。
2021年も始まって、早11日が経ちますね。
2021年の10日目にとある挑戦をしたので、記録しておこうと思います。
とある挑戦とは、、、
路上ライブ
です。
今回は、路上ライブをやってみて気づいたこと、感じたこと、そしてこれからを綴りました。
■路上ライブ始めた理由
単純に、
『楽しそう』
だったから。
最近、こういう理由で始めることが増えてきて良きです。
家の中で自分一人で練習していても楽しいんだけど、やっぱり人からの反応が欲しいじゃん?
それが、良い悪いは置いておいて。
人と関わるためにハンドパンを買ったようなものだからね。
『路上への憧れと、人との関わり』
これを求めてやると決めたんだと思います。
■繋がりたい
ライブ中は、
『自分の空間にいるなあ』
という感覚に浸っていた。
「自分の空間にいる」と感じていることに焦点を当てると、二つの解釈ができる。
1.居心地が良い場所にいた
2.その中で本当はもっと遠くの場所に行くことを願っている
路上に自分の居場所が出来た感覚は心地よかった。
気持ちよく演奏することができた。
正直、聞いてくれているかどうかなんて途中からどうでも良くなっていて、自分の精一杯をこの空間に響かせて自分が気持ちよくなるというサイクルがずっと回っている感覚があった。
周りの目は全然気にならなかったし、逆にちょっと引いて見てくれている人に「こっちおいでよ」と言う心理的余裕さえあった。
1時間のライブが終わった頃には自分の中に「楽しい」という感情が湧いてきていた。
楽しかった。
知り合いも来てくれたし、投げ銭もしてくれた人もいた。
みんなに囲まれている感覚はあった。
楽しかった。
だけど、どこか"ふわふわ"している感覚があった。
そういう感覚の中で、シェアハウスに帰宅した。
「どうだった?」
って聞かれて、
「楽しかったよ」
って答える。
「楽しかったよ」
と答える僕の表情は、『いつも通り』だった。
始めは、ハウスのみんなの出迎えが"冷たい"と感じていた。
だけど、その冷たさは自分の感情そのものだったんだと思う。
その感情に流されて、僕はベッド際で一人になった。
同じ空間にいるのに、みんなと一緒にいることができない、繋がれていないことに"寂しさ"を感じていた。
本当はもっと盛大に「お疲れ様!!!」と出迎えて欲しかったんだけど、僕自身がそれほどテンションが上がりきらなかったせいか、そのような雰囲気にならなかったんだと思う。
本当に人生は自分次第だと思う。
僕にとって、『周りとの繋がりを感じて生きること』が大切なことだと改めて感じた路上ライブとなった。
もし今の僕なら、シェアハウスに来た時点でみんなに今自分が感じている違和感をはき出すだろう。
みんなと繋がるために、ありのままの自分を伝えにいく。
シェアハウスにいながらも、それができなかったことが悔しい。
もう、そういう機会を逃さないようにしようと決めた。
自分がふわふわしているアノ感覚。
アノ感覚をしっかり掴んで、向き合い、自分と繋がり、そして周りと繋がっている自分で生きれるようになりたい。
■路上ライブの反省
「音を通じて人と繋がる」がテーマだったんだけど、ここに関しては理想としていたものには届かなかった。
理想は、自分の周りにたくさん人が集まって、その人達同士が関わり合い、繋がりを作っていくこと。
自分自身がコミュニティが生まれるきっかけになること。
そういう出逢いが、その人の人生を豊かにするきっかけになってくれればと思う。
そして僕自身、もっと来てくれた人と関わりたい。
>>>ハンドパンのこと聞かれて上手く答えることができなかった。<<<
>>>始めたきっかけももっと上手く答えられたし、話を発展させたり、展開させたりできたはず。<<<
ハンドパンの技術はもちろんだけど、場作り、コミュニケーションの課題が浮き彫りになった一日だった。
路上ライブ1回やってみても改善点がたくさん見つかるのは大きな学びだし、良い経験をしたなと今では思う。
ー今回の目標ー
新規繋がり10人
収益5000円
ー実際の結果ー
認知度高め4人
収益1000円/累計獲得収益3000円
■とーまのこれから
再チャレンジしたい。
10人集客5000円の価値を届けられるような場作りをしたい。
そして、人との繋がりを感じて生きていける人になりたいし、その価値を届けられる人にもなりたい。
"駆け出しハンドパン場作り人"とーまの挑戦はまだまだ続く
おわり